映画と音楽に関するcotooyaのブックマーク (31)

  • デトロイト・ロック・シティ〜KISSのコンサートが地獄への片道切符だった頃

    『デトロイト・ロック・シティ』(Detroit Rock City/1999) 2019年12月、キッス最後の来日ツアーがスタートする。1977年に最初の来日公演を行って以来、今回で12回目。このラストツアーは集大成的なショウになること必至で、参加できるファンはラッキーだと思う。(*2022年12月に「End Of The Road World Tour」と題して来日公演が決定) キッスといえば、まさにロックンロール・サーカスとでもいうべき計算し尽くされたステージパフォーマンスが有名。派手なメイクや衣装で装ったメンバーたちが動き回り(しかも時には火を放ち)、完璧な演奏をしながらファンを長時間楽しませてくれる姿は、はっきり言って驚異的。 「キッスアーミー」と呼ばれる熱狂的なファンは、レコードやCD、DVDや書籍はもちろんのこと、キャラクターグッズの収集にも余念がない。1970年代前半、キッス

    デトロイト・ロック・シティ〜KISSのコンサートが地獄への片道切符だった頃
  • これが本当の80年代サウンド⑧〜忘れられた洋楽ヒットにもう一度スポットライトを

    これが当の80年代洋楽ヒット・第8回 80年代の洋楽をまとめたネットコンテンツやラジオ番組や雑誌には、いつもお決まりのアーティストやヒット曲だけがラインナップされている。それは同時代のコンピレーションがリリースされても同じこと。今回の企画はそんなありきたりの選曲ではなく、聴くだけで(観るだけで)「ああ! いた!! あった!!」と歓喜するようなアーティストやヒット曲を思いつくままに集めてみた。題して「これが当の80年代サウンド」。そろそろマドンナやマイケル・ジャクソンの呪縛から解放されよう。ドライブや通勤タイム、懐かしの音源探しに活躍すること間違いなし。(選曲/中野充浩) カウボーイ・ジャンキーズ「Misguided Angel」(1988年) タイトル通り、トロントのホーリー・トリニティ教会での録音セッションの模様を伝えた『The Trinity Session』からのシングルカット。

    これが本当の80年代サウンド⑧〜忘れられた洋楽ヒットにもう一度スポットライトを
  • ロケットマン〜珠玉の名曲を送り出した作曲家エルトン・ジョンと作詞家バーニー・トーピン

    『ロケットマン』(Rocketman/2019) エルトン・ジョンの半生を描いた映画『ロケットマン』(Rocketman/2019)が公開された。 2018年に大ヒットした同じ英国人ミュージシャン、フレディ・マーキュリーの『ボヘミアン・ラプソディ』の後だけに賛否両論はある様子。でも自腹鑑賞してきた感想は、観る者がどこに軸を置くかによって楽しみ方がいかようにでも変わり広がる作品だということ。 物語はエルトンの幼少期からデビュー時期、そしてアルバム7作連続1位という黄金時代を築き上げた1970年代と嵐が去った後の1983年の姿を描く。つまり、派手な衣装とメイクのポップスター街道真っ只中と、それ以前・直後のエルトン。90年代以降の特大ヒットを入口にした世代には疑問だらけかもしれないが、ソングライティングにおける生涯の相棒バーニー・トーピンとの関係性を見れば、この時代設定以外はあり得ない。 エルト

    ロケットマン〜珠玉の名曲を送り出した作曲家エルトン・ジョンと作詞家バーニー・トーピン
  • マンハッタン〜ウディ・アレンは「音楽一つで都会の表情が変わる」ことを教えてくれた

    『マンハッタン』(Manhattan/1979) ウディ・アレンの映画を観るといつも感じることがある。都会で暮らしていることがちょっとだけ嬉しくなるのだ。 と言ってもウディ自身が「不必要な精神問題を次々と作り出すマンハッタンの人々」と指摘しているように、その感情は自己中心的な都会人に向けてではない。いつもより深い愛着を感じてくるのは、馴染みの通りや風景といった街の表情に対してだ。 ウディ・アレンはニューヨークを強く愛する人だが、他の監督では決してロケ先に選ばないようなマンハッタンの「吐息的な場所」をフィルムに捉えるのが得意な人。 それは働く場所、遊ぶ場所、買い物する場所、飲する場所といった種々雑多な喧騒が集まるところであってはならない。時には川沿いから、公園の舗道から、アパートの窓から、誰もいない博物館からといったように、人々が気張らなくてもいい場所から「最も都会的なショット」を映し出せ

    マンハッタン〜ウディ・アレンは「音楽一つで都会の表情が変わる」ことを教えてくれた
  • クライ・ベイビー〜イギー・ポップも出演したジョニー・デップ初主演作

    『クライ・ベイビー』(Cry-Baby/1990) ジョニー・デップの名を一躍有名にしたのは1990年のティム・バートン監督『シザーハンズ』だったが、実は同年に初主演作『クライ・ベイビー』(Cry-Baby/1990)があったことを覚えている人は少ない。 監督はディヴァイン主演の『ピンク・フラミンゴ』などで知られるカルト・ムービーの帝王、ジョン・ウォーターズ。デップはこの監督を非常にリスペクトしており、出演できることに歓喜したという。 ウォーターズは前作『ヘアスプレー』(1988)のまずまずのヒットのおかげで、今まで縁のなかったようなハリウッドの連中から声が掛かるようになった。そんなこともあって『クライ・ベイビー』の制作費は、前回の250万ドルから一気に1200万ドルまで跳ね上がった。 映画ではいつにも増してクセのあるキャスティングが実現。特にイギー・ポップとトレイシー・ローズの出演は

    クライ・ベイビー〜イギー・ポップも出演したジョニー・デップ初主演作
  • シティ・オブ・エンジェル〜天使の腕に抱かれた静寂の愛

    『シティ・オブ・エンジェル』(City of Angels/1998) 優れた映画の大きな特徴として、一つの確固たる世界観の貫きがある。目に見えないムードだ。加えて音楽の使い方が絶妙でもある。 そうした作品の『シティ・オブ・エンジェル』(City of Angels/1998)は、静寂と幻想的なムードの中で綴られた愛の物語だった。ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』のリメイクだが、舞台をロサンゼルスに変え、新たな魅力を放つ作品になった。 主演はニコラス・ケイジとメグ・ライアン。アクション大作が続いていたケイジ。コメディエンヌとして人気絶頂にあったライアン。二人にとっても特別な作品になった。 (以下ストーリー含む) セス(ニコラス・ケイジ)は神の使者である天使としてLAの街を見守っている。ある時は管制塔で危機から人々を救い、ある時は病院で少女を天国に連れて行く。人の心が聴こえたりする

    シティ・オブ・エンジェル〜天使の腕に抱かれた静寂の愛
  • カンザス・シティ〜レスター・ヤングやチャーリー・パーカーが呼吸したジャズの街

    『カンザス・シティ』(Kansas City/1996) 映画『カンザス・シティ』(Kansas City/1996)は、同地を故郷とするロバート・アルトマンが監督し、少年時代に聴いていたジャズへの愛が溢れた作品。と言っても自伝的要素はなく、あくまでも独自のストーリーに徹底する。 1970年代の『M★A★S★H』『ロング・グッドバイ』『ボウイ&キーチ』『ナッシュビル』といったアルトマン作品にファンは多い。だが『ザ・プレイヤー』『ショート・カッツ』『プレタポルテ』と続く1990年代も、まぎれもなく同監督のキャリアのハイライト。作もそんな時期に撮られた傑作だ。 物語の舞台となるのは1930年代前半のアメリカ中西部ミズーリ州、カンザスシティ。アメリカ中が大恐慌に覆われる中、この地だけは活気があった。民主党の悪徳政治のドン、トム・ペンダーガストによって街やビジネスが牛耳られる代わりに、ギャング仕

    カンザス・シティ〜レスター・ヤングやチャーリー・パーカーが呼吸したジャズの街
  • アンダー・ザ・シルバーレイク〜LAとポップカルチャーと陰謀論を描く新感覚サスペンス

    『アンダー・ザ・シルバーレイク』(Under the Silver Lake/2018) アメリカ映画には「時」と「場所」が大きく作用する。何年頃? 季節は? 朝それとも夜? ニューヨーク? ロサンゼルス? それとも北部や南部?…… この“いつ・どこで”を経て魅力的な「人物」や興味深い「出来事」が描かれていく。特に場所や土地は映画全体のムードを示すこともある。誰もが特定の風景を思い浮かべるからだ。 LAは美しさと恐怖、異常なほどの富とその真逆の貧困が混在している街だ。ハリウッドヒルズには豪邸が立ち並ぶ一方、小さなアパートからその豪邸を眺めるだけの人たちもいる。 例えば、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督はある日そんなことを考えながら、『アンダー・ザ・シルバーレイク』(Under the Silver Lake/2018)の脚を一気に書き上げた。 主人公のサムはロサンゼルスに住む33歳。

    アンダー・ザ・シルバーレイク〜LAとポップカルチャーと陰謀論を描く新感覚サスペンス
  • ウォーカー〜ジョー・ストラマーが音楽を担当したアレックス・コックス監督作

    『ウォーカー』(Walker/1987) 『レポマン』(1984) 『シド・アンド・ナンシー』(1986) 『ストレート・トゥ・ヘル』(1987)と、立て続けに熱い作品を放っていたアレックス・コックス監督が手掛けた4作目『ウォーカー』(Walker/1987)。 まるで世界の中心にいて、それが全てであるかのようなアメリカ合衆国の価値観や世界観に反抗心を抱いていたイギリス出身のコックスは、自身の作品にアメリカ批判を反映することでも知られているが、「のけ者にされたアウトローを描くこと」も彼特有のもう一つの重大なテーマ。『ウォーカー』はその両面が痛烈に描かれた映画となった。 コックスが目をつけたのは、19世紀半ばのニカラグアで冒険家から独裁者に変貌したウィリアム・ウォーカー。アメリカ史ではページから完全に抹殺された男だったが、ニカラグアでは「悪のアメリカの象徴」として忘れられることはなかった。

    ウォーカー〜ジョー・ストラマーが音楽を担当したアレックス・コックス監督作
  • 天使にラブ・ソングを〜ナイトクラブの歌手が修道院でシスターになりすますウーピー主演作

    『天使にラブ・ソングを…』(Sister Act/1992) 『天使にラブ・ソングを2』(Sister Act 2:Back in the Habit) 脇役だろうが主役だろうがどんなポジション役でも、ただその人が出ているというだけで、その作品が気になったり、映画館に足を運ぶ気にさせてくれる俳優がいる。その存在感は映画に一筋の明るさを放ち、時にはストーリーや展開に深みを持たせる。今回登場するウーピー・ゴールドバーグの名はそれに相応しい。 アカデミー賞、グラミー賞、エミー賞、トニー賞すべての受賞経験を持つウーピーの映画デビューは、アリス・ウォーカーの同名小説映画化したスティーヴン・スピルバーグ監督によるクラシックストーリー『カラーパープル』(1985)だった。 ある夜、アリスがウーピーのステージを見たことがきっかけで、「主役のセリーを演じられるのは彼女しかいない」と思ったそうだ。スピルバー

    天使にラブ・ソングを〜ナイトクラブの歌手が修道院でシスターになりすますウーピー主演作
  • ビッグ・リボウスキ〜怠惰な男たちをチャンドラーの世界に放り込んだコーエン兄弟作品

    『ビッグ・リボウスキ』(The Big Lebowski/1998) 何もをやっても、例えそれがどんな駄作であっても、一定の評価を得る人がいる。熱狂的かつ影響力の強いファンに支えられ、持ち上げられるからだ。小説音楽の分野に限らず、映画の世界でもこの領域に達することのできる作り手はごくわずか。ジョエル&イーサン・コーエン兄弟は間違いなくそんな映画監督/脚家だろう。 1980年代から助手や低予算インディーズで活動していた二人の名が知れ渡ったのは、90年代になってから。独特のムードを漂わせる『ミラーズ・クロッシング』(1990)やカンヌでパルム・ドールや監督賞を受賞した『バートン・フィンク』(1991)だった。映画作りを楽しむその姿勢はその後、アカデミー賞の脚賞を獲った『ファーゴ』(1996)、大ヒットした『オー・ブラザー!』(2000)と続き、 『ノーカントリー』(2007)では遂にアカ

    ビッグ・リボウスキ〜怠惰な男たちをチャンドラーの世界に放り込んだコーエン兄弟作品
  • マルホランド・ドライブ〜“こんなはずではない自分”が作り出す美しく呪われた世界

    『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive/2001) 前回の『ロスト・ハイウェイ』では、『ブルー・ベルベット』『ツイン・ピークス』『ワイルド・アット・ハート』といったデヴィッド・リンチ作品で“やられた”人は決して少なくないと書いた。だとすれば、今回の『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive/2001)は、“完全にやられた”人が続出した映画だった。 アイデアがやってくる時は巨大な閃光のような力を伴ってやってくる。そしてすべてのものがその中に取り込まれてしまい、魂を揺さぶる。その時点から何をすべきか知る。それが完成だ。 「リンチ世界の集大成」や「リンチの最高傑作」などと評価される作は、いつもより増して謎が多いことでも話題になった。だが、リンチ映画に“理解・解決”を求めるのは野暮というもの。そういう観点で物事を測り始めたら、デヴィッド・リンチは背を向けて

    マルホランド・ドライブ〜“こんなはずではない自分”が作り出す美しく呪われた世界
  • グリーンブック〜黒人天才ピアニストとイタリア系用心棒が“南部”を旅するロードムービー

    『グリーンブック』(Green Book/2018) 第91回アカデミー賞の授賞式(2019年2月下旬)。作品賞に輝いたのは『グリーンブック』(Green Book/2018)だった。同部門で有力視されていたスパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』や黒人ヒーローを描く『ブラックパンサー』を抑えての受賞に一部批判があったようだが、作は人種差別問題を描きつつ、あくまでも“人間の尊厳”を描こうとした点が支持された。 と書くと、何だか難しい作品に思えるが、ストーリーは至ってシンプル。観ているうちに心がジワジワと温まってくる実話だ。実在した黒人ピアニスト、ドン・シャーリーとイタリア系の用心棒トニー・バレロンガが、キング牧師が先導した公民権運動真っ盛りの1962年、自分たちのいるニューヨークからディープサウスと呼ばれる人種差別が激しい南部へコンサートツアーを巡るというもの。 1930年生まれの

    グリーンブック〜黒人天才ピアニストとイタリア系用心棒が“南部”を旅するロードムービー
  • 歌追い人〜アパラチアの美しい風景の中で歌い継がれた“幻の歌”を集める

    『歌追い人』(Songcatcher/2000) アメリカ大衆音楽の形成にあたって、アイルランド系移民たちが果たした大きな役割、その苛酷な歩みは、別コラム「黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”」に詳しい。 ヴァージニア、ケンタッキー、テネシー、ノースあるいはサウスカロライナなどの各州をまたがる山岳地帯アパラチア。人里離れたこの山奥に暮らしていた彼らは「マウンテン・ピープル」と呼ばれ、都市部の文明と接触しないことが原因で「野蛮な人々」と思われていた。 1908年のある日、オリーヴ・キャンベルという女性が夫と共に、ほとんど誰も訪れることのなかったアパラチア一帯を旅して渡り歩いた。彼女が魅了されたのは人々が歌い、踊る音楽。祖国から持ち込み、母から娘へ、祖母から孫へと歌い継がれた歌の数々……そこには“幻の歌”が大量に残されていたのだ。彼女はこの素晴らしさを世に広めようと

    歌追い人〜アパラチアの美しい風景の中で歌い継がれた“幻の歌”を集める
  • ミーン・ストリート〜NYの下町に流れた不朽のラブソング「Be My Baby」

    『ミーン・ストリート』(Mean Streets/1973) ある曲を聴くと、特定の映像や風景を思い浮かべることがある。人によってそれは個人的な想い出であったり、ミュージック・ビデオのワンシーンかもしれない。例えば、不朽の名曲であるロネッツの「Be My Baby」。あの冒頭の「ドッ・ドドッ・ドッ」というドラム音が響くと、反射的に2映画のオープニングが蘇る。 1つは『ダーティ・ダンシング』。そしてもう一つは今回紹介する『ミーン・ストリート』(Mean Streets/1973)。前者がこれから始まる青春の躍動の示唆的役割を果たしているのに対し、後者ははっきり言って世界観がまるっきり一致していない。映っているのはNYの下町の薄暗いアパートにチープなベッド。完全に意表を突く選曲なのだ。 (このあたりのことはこちらのコラムで) ダーティ・ダンシング/ミーン・ストリート〜史上最高のラブソング「

    ミーン・ストリート〜NYの下町に流れた不朽のラブソング「Be My Baby」
  • ルード・ボーイ〜ザ・クラッシュの熱いガレージサウンドと心に響く「Stay Free」

    『ルード・ボーイ』(Rude Boy/1980) ザ・クラッシュが“出演”あるいはメンバーが“演技”した最初の映画として知られる『ルード・ボーイ』(Rude Boy/1980)は、1978年に撮影されて1980年に公開された。日では1987年8月29日から短期間、東京・新宿の映画館でようやく上映されたので、幸運にも観に行けた人もいるかもしれない。 バンドの面々は当時、自分たちが出演したこの映画を余りよく思わなかったようだ。監督/制作スタッフ陣のパンクや音楽に対する理解不足が原因だったらしいが、何よりも劇場向け映画としての完成度の低さが彼らを失望させたのだろう。 しかし、ドキュメンタリー色が強く全編に漂うこの作品は時代とともに再評価され、いつしかザ・クラッシュの貴重なライヴシーンやリハーサル、レコーディング風景を収録した、どうしようもない時代の英国の空気を詰め込んだ“ストレート・クライ・シ

    ルード・ボーイ〜ザ・クラッシュの熱いガレージサウンドと心に響く「Stay Free」
    cotooya
    cotooya 2016/03/23
    stay free、心に響くよね。
  • ロード・オブ・ドッグタウン〜小さな町から起こったスケボー少年たちの革命

    『ロード・オブ・ドッグタウン』(LORDS OF DOGTOWN/2005) サーフィンやスノーボードと並んでXスポーツ(エクストリーム)の代名詞であるスケートボード。 日でも1987年にサーファーやハードコアパンクス両サイドからのアプローチで“スラッシャー”のムーヴメントが起こり、原宿のホコ天や渋谷の代々木公園などでは、ネルシャツやロング&ショートスリーブシャツの重ね着ファッションの彼らを数多く見かけることができた。 スーサイダル・テンデンシーズのようなスケーター・ロックが鳴り響いていたことを思い出す。2020年には東京オリンピックの正式種目にも決定した。 音楽ファッションとの結び付きも深いこのストリートアイテムを描いた最高にクールな映画がある。 その名は『ロード・オブ・ドッグタウン』(LORDS OF DOGTOWN/2005)。斬新なスタイルで1970年代のアメリカ西海岸発カルチ

    ロード・オブ・ドッグタウン〜小さな町から起こったスケボー少年たちの革命
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    cotooya 2015/12/14
    ストリートカルチャーの原点だ
  • ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ〜キューバの老ミュージシャンたちを蘇らせた二人の男の旅路

    『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(BUENA VISTA SOCIAL CLUB/1999) ライは常にハバナのことを考えているようだった。懐かしそうな表情で目を輝かせている時、彼の心はハバナにあるのだと感じた。彼はルベーンやコンパイ、イブライムの素晴らしいエピソードを聞かせてくれたり、キューバに関するや写真を持って来てくれたりした。そしてライに言った。「今度キューバに行く時は必ず知らせて欲しい。私も一緒に行きたいから」 ライ・クーダーがレコーディングを終えてキューバから戻ってくると、ヴィム・ヴェンダースはミックステープをもらい、その音楽に取り憑かれた。それからの数ヶ月は毎日そのテープを聴き続けたという。ライ・クーダーがキューバ国外にはほとんど知られることもなく、今では完全に忘れられた存在だった老ミュージシャンやシンガーたちと共に作り上げたそのアルバムは、1997年に『BUENA V

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    cotooya 2015/11/25
    これは一つの感動であり、歴史的映像。
  • あの頃ペニー・レインと〜15歳で音楽ジャーナリズムの世界に飛び込んだ少年

    『あの頃ペニー・レインと』(ALMOST FAMOUS/2000) この連載では、過去に『ザ・エージェント』や『エリザベスタウン』を取り上げたことがあるが、これらの作品に共通するのは、観終わった人の「虚しく傷ついていた心を優しくして」くれたり、「生きる歓びを思い出させて」くれたり、「逆境は必ず乗り越えられる」こと、「愛する人と真っ直ぐに向き合う」こと、そんな強い気持ちにさせてくれる体験だった。 これこそが当の映画の力なんだと思う。同じような想いを抱いた人がたくさんいると信じているし、書き手もこういう映画で暗闇から救われた一人だ。キャメロン・クロウ監督/脚『あの頃ペニー・レインと』(ALMOST FAMOUS/2000)は、紛れもなくそんな作品だった。 キャメロン・クロウ監督の自伝的作品 『ザ・エージェント』も『エリザベスタウン』もクロウが最初からストーリーを書き上げて撮ったオリジナル作

    あの頃ペニー・レインと〜15歳で音楽ジャーナリズムの世界に飛び込んだ少年
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    cotooya 2015/11/20
    本当に心の底から素晴らしい映画。
  • 夕陽のガンマン〜悪を裁くのは正義でもヒーローでもない。悪を始末するのは“成熟した流れ者”だ。

    Home TAP the SCENE 夕陽のガンマン〜悪を裁くのは正義でもヒーローでもない。悪を始末するのは“成熟した流れ者”だ。 - TAP the POP 『夕陽のガンマン』(FOR A FEW DOLLARS MORE/1965) いつの時代にもやりたい放題の悪というものが存在して、それが謙虚に慎ましく暮らす人たちの脅威となる。正義を掲げて対抗する者もいるが、そのほとんどが邪悪な力によって虫けらのように片付けられてしまう。そんな時、待望のヒーローが突如現れて何もかもを解決する……これまで多くの映画やドラマやコミックで描かれて来た世界だ。勧善懲悪的な結末に、観る側のどんよりとしていた気分も晴れ渡る。 でも現実はそうだろうか? 絵に描いたようなヒーローなど存在するわけがないし、悪特有のずる賢さのもとに、次々と正義が買収されていくのは歴史が証明している。例えば、立派な志を抱いた若き政治家が

    夕陽のガンマン〜悪を裁くのは正義でもヒーローでもない。悪を始末するのは“成熟した流れ者”だ。
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    cotooya 2015/11/19
    クラッシュは日本公演の時、ライブのオープニングでこの映画の果たし合いのテーマを流していた。