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文学に関するcrow_henmiのブックマーク (28)

  • 戦争を語ることについて――太平洋戦争開戦の日に寄せて - tukinoha’s blog

    中国に侵略戦争をおこなっていたかぎり、私たちは惰性的で無気力なものであったにせよ、抵抗意識をもちつづけてたのであった。……ところが、やがて戦争がヨーロッパに飛火し、それがふたたびアジアにかえって、日が昭和十六年の暮についにあの絶望的な太平洋戦争のなかにとびこんでいくと、私たちは一夜のうちに自己麻痺にでもかかったかのように、抵抗意識をすてて、一種の聖戦意識にしがみついていった。 高杉一郎「『文芸』編集者として」(『文学』1958.4) 昨夜はNHKで放送されていた太平洋戦争の特集番組を観ました。昭和史の専門家というわけではないので内容の批評は控えますが、その中でくり返し「あの戦争では、日人だけで310万人の方が亡くなりました」という言葉が出てきたのに対し、その「日人」とは一体誰のことを指しているのだろう、ということをぼんやりと考えていました。 もちろん戦争体験について語ることは大

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  • ワラノート 徒然草を現代語訳してみる

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  • 給湯器と我が家

    真冬ど真ん中でお湯が出ない ある時、給湯器が壊れた。 1月の冬真っ只中の故障だった。お湯が出なくなったのだ。前日はお風呂にも入っていたため、この故障には驚いた。まさか壊れるだなんて! 異常に気付いたのは平日の朝、顔を洗おうとした時だった。 「? お湯出ぇへん……」 寝起きのためはっきりしない頭で、水が出続ける蛇口をぼーっと眺めていた。そのうちお湯が出てくるのではないかと待っていたのだ。当然お湯は出てこない。5分ぐらいそうしていたかもしれない。 とりあえず、お風呂場にある給湯器のリモコンを確認した。スイッチは入っていたが、変な記号が出ていた。なんだこれ。何でこんなのが出ているんだろう。一度電源を落とし、しばし待ってもう一度入れてみる。一瞬いつもの見慣れた文字が浮かんだが、また変な記号に変わった。無言で再度、電源を入れなおしたが変わらない。 エラーの原因が不明であるため、次にガスは出ているかキ

  • 愛郷塾、高踏塾、タカシマ塾〜『1Q84』とユートピア思想の系譜 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    仕事を終えた自分に贈る指輪 先月の日記に書いた大きな仕事は、わたしにとって社会人人生をその前と後に分けられるくらいセンセーショナルなことだったから、無事にこの仕事が終わったら、その節目を記念して、自分に3つのことを贈ろうと決めていた。 伸ばしっぱなしだった髪をばっさり切る 整体に…

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  • 間テクスト性 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年11月) 間テクスト性(かんテクストせい)は、テクストの意味を他のテクストとの関連によって見つけ出すことである。テクスト間相互関連性と訳されたり、英語からインターテクスチュアリティーと呼ばれたりすることもある。 ある著者が先行テクストから借用したり変形したりすることや、ある読者がテクストを読み取る際に別のテクストを参照したりすることをいう。但し「間テクスト性」という用語自体、ポスト構造主義者ジュリア・クリステヴァが1966年に作り出して以来、何度も借用され、変形されてきた。 批評家ウィリアム・アーウィンが言うように、この用語は使用者によって十人十色の意味を持って今日に至っており、クリステヴァの来の見

  • 批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖

    asahi.Com http://www.asahi.com/obituaries/update/0527/TKY200905270111.html 訃報を知り、驚いている。 第9回格ミステリ大賞の受賞者記者会見で、私は話した。江戸川乱歩のような過去の作品は子どもの頃から読んでいたが、同時代に生み出されたミステリを読んだのは栗薫『ぼくらの時代』が初めてだった、と。同じく、同時代の文芸評論で読んだ最初の一冊は、中島梓『文学の輪郭』だった、と。今思えば、文芸・音楽評論家と称する円堂都司昭のジャンル横断体質は、初期の中島梓/栗薫から受けた影響が大きい。 しかし、結局、人にお会いすることのないままだった。 ご冥福をお祈りします。 『「謎」の解像度』のコンセプトからはズレていたため収録しなかったが、自分は過去に約60枚の中島梓/栗薫論を書いたことがある。 http://noririn414

    批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖
  • 2009.5.3 - 日記

    ところで早川のStrange Fictionについて、編集側がうっかり信用してはならない人を信用してしまったが故の過誤とは切り離して(その件に関しては既に早川から謝罪を受けている)、客観的な感想を述べておこう。 こうした雑誌の必要性は疑いないところだ。純文学が果たして機能しているかどうかは兎も角として、その枠に収まりきれない——当然内部では評価されない作家が、現実に、存在している。事は所謂SFの側でも同様だ。かつて、SFは先鋭な文学への扉であった(いいや、そんなことはない——と、そうした傾向を代表していたある作家がいうのを聞いたことがある。あれは内部の執拗な嫌がらせに負けず個人的に頑張っていただけであって、日SFが先端の文学に向けて積極的に開かれていたことなんか一度もない、と——とすればその方の偉業に対しては感謝と尊敬あるのみだ)。それだけがSFの魅惑であって、ガジェットにもテクノロジー

    2009.5.3 - 日記
  • マゾヒズム、何それ単なる変態でしょいやらしいと思う人にこそ読んでほしい『百舌谷さん逆上する』、における『春琴抄』の書き換えについて - 左隣のインターフェース

    【初めに】 現在講談社「月刊アフタヌーン」誌に連載されている『百舌谷さん逆上する』(篠房六郎著)の主人公は、名を「百舌谷 小音(もずや こと)」という。字は違えど、日で一番有名な「もずやこと」といえば谷崎潤一郎著の『春琴抄』に出てくる主人公「春琴」こと「鵙屋 琴(もずや こと)」だろうと思っていたのだけれど、Googleで「もずやこと」で検索したら、上位10件のうち8件までが「百舌谷 小音」についてのものだった。まあ「琴」は作中でも圧倒的に「春琴」と呼ばれることの方が多いから一概に比べられないが、そんなものかなあ、と思う。 それはさておき、読みが同じ名前を主人公につけるくらいなのだから『百舌谷さん逆上する』(以下「作品」と略。)と『春琴抄』とは内容面でも何らかの関係があるのではないか、具体的には作品のなかで『春琴抄』が何らかのかたちで書き換えられているのではないかと考えられる。以下そ

    マゾヒズム、何それ単なる変態でしょいやらしいと思う人にこそ読んでほしい『百舌谷さん逆上する』、における『春琴抄』の書き換えについて - 左隣のインターフェース