@tenkyoin 中二病弄りを芸風とするネットウォッチャーの人が、タテマエ上「無差別に言及している」振りをしつつ、リアル中学生の中二病は弄らないように「大人の事情」でお手盛りをしているように見えることって、たまにあるような気がする。 2009-11-21 17:00:34 @tenkyoin そういう「お手盛り」の背後に、「リアル中学生のうちの中二病は微笑ましいし、将来のネタになるので見逃してあげるべき」みたいなイデオロギーが見え隠れするんだな。 2009-11-21 17:01:39
![「若者組」のゆくえ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/19f697b64a9bc20d4bed668d5875ed15233a83ce/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F9bb92b0743578e0dda666f1e0d5fe7f5-1200x630.png)
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先日、サマーウォーズ見たら死にたくなったという記事をみて、アホらしいと一笑に付していたけど、実際に映画館で『サマーウォーズ』をみているうちに、笑って済ませられなくなってきたので、文章にまとめておこうと思う。 リンク先の文章のように、“能力的に優れている人達の物語”というのも、羨ましがるポイントの一つかもしれない。しかし、それよりも私が羨ましく思ったのは、あの映画のなかで一貫している、血縁共同体内の承認と信頼のシステムとか、一族の理想とか、アイデンティティの牽引役としての年寄りとか、そういう描写のほうだ。 大家族は希少品、栄ばあちゃんも希少品 『サマーウォーズ』は、大家族の素晴らしさを描いた作品だ。けれどもあの大家族、どうみても希少な贅沢品の類である。ああいう大家族を維持しようと思っても、今日日、そのための基盤があまりにも失われている。[都市郊外への進出] [核家族化] [個人の自由と利便性
藤田直哉氏のエントリー「システム改変的想像力の作品群」(http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20090804)が、最近ぼんやり考えていたことに近かったので、以下メモを。 宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』で、「九〇年代のセカイ系(ひきこもり)から〇〇年代のサバイヴ系(決断主義)へ」というアウトラインを描いた。一九九〇年代の想像力は「ひきこもり系」「セカイ系」であり、『エヴァンゲリオン』『涼宮ハルヒ』等に代表される。これに対し、二〇〇〇年代の想像力は「サバイブ系」「決断主義」によって特徴付けられ、『DEATH NOTE』『コードギアス』等に代表される。《「引きこもっていたら殺されてしまうので、自分の力で生き残る」というある種の「決断主義」的な傾向を持つ「サバイブ感」は、ゼロ年代前半〜中盤の大きな流れになっていく》。 九〇年代の批評を牽引した批評家の東浩紀(とその
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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12:18砕け散った世界の破片をつなぎ合わせるための方法序説 三ツ野陽介と申します。よろしくお願いします。 『砕け散った世界の破片をつなぎ合わせるための方法序説』という長いタイトルを付けたんですけど、「方法序説」というのはもちろんデカルトの主著の題名を真似たわけです。ちなみにデカルトの本の正式なタイトルは『著者の理性を正しく導き、諸々の学問において真理を求めるための方法序説』というものでして、これでは長すぎるから『方法序説』と略して呼ぶのが普通です。 僕の場合は逆に、長いタイトルのほうが、面白いし目立つんじゃないかなと思って、わざと長い題名をつけてみました。砕け散った世界の破片をつなぎ合わせるための方法序説ひとりぼっちから始める思想 「ひとりぼっちから始める思想」というキャッチコピーをつけました。要するに、思想っぽい本を書きたいということです。 出来上がった本のイメージはこんな感じです(自
【最後に:永続するだろうバトクロワイヤル過程】 「現実」の位階秩序が崩れ、平行して「現実」と「虚構」との間の序列が崩れた結果、こうした崩れを前提として、「虚構の現実化」に勤しむ「セカイ系」と、「現実の虚構化」に勤しむ「バトルロワイヤル系」とが、拡がるようになりました。いいかえれば「ゲームを現実のように生きる人々」と「現実をゲームのように生きる人々」が増えています。1996年には前者が目立つようになり、2001年頃からは後者が目立つようになりました。 社会学の思考伝統は、「前提を遡ること」や「文脈を参照すること」によって、自明性を突き崩すところにあります。前提のそのまた前提のそのまた前提…。文脈のそのまた文脈のそのまた文脈…。遡及すればするほど、不動の枠組がヘナヘナになって、確かな正義も大きな権威も消えてしまう――。社会学の分析には、そうした「再帰性による相対化(relativization
──────────────────────── 1992年以降の日本サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日本のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日本のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」
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