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南京事件とうなずきに関するcubed-lのブックマーク (8)

  • 問われることの重圧 - Close To The Wall

    「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「30万人説を否定しただけ」という発言 - Close to the Wall 日側の行動は批判の外に (6/5追記) - Close to the Wall この二つの記事で私は南京事件でなぜ「30万人説」がことさらクローズアップされ、「多すぎる」といった反応が起こるのか、ということについて書きました。そこでは中国を象徴的に攻撃する手段として選ばれているのではないか、という考えを元にして、そういう発言を批判したわけですが、それだけで終わりにしていいということではないようです。 「南京大虐殺30万人説」の否定にこだわる理由 正直、この増田さん(AnonymousDiary増田)に対しては私の二つの記事をもう一度じっくり読んで頂ければ理解して貰えるはずだとも思うのですが、真面目、というかかなり正直に書かれていると思えたのもあって、私も真面目に答えてみ

    問われることの重圧 - Close To The Wall
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/10
    「30万人なのか、違うのか」と二者択一を迫るのはニセ科学的論法
  • 「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary

    南京事件否定派が成功しているのは「30万人が殺害された、とする根拠が十分じゃない」ということの論証である。しかしそこから直ちに「30万人も殺されていない」とするのは論理の飛躍である。「30万人も殺されていない」と主張するためには、それこそ安全区の人口を南京市の人口とすり替えるようなゴマカシ抜きで当時の人口移動について実証的な検証*1をし、「30万人も殺されたはずがない」ことを示す必要があろう。秦郁彦も(80年代には)こう言っていた。 奥野元国土庁長官は「中国政府にかけあって紀念館のかかげる三十万の数字を訂正させろ」と迫って外務省を困惑させたが、代わる数字の持ちあわせがあったのだろうか。へたな数字を持ち出して根拠をただされれば恥をかくだけで、終戦直後の泥ナワとは言え、生きのこり被害者の証言を積みあげた三十万に対抗できる数字をわが方から出すのは不可能と思う。 (「論争史から観た南京虐殺事件」、

    「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary
  • なぜわれわれは南京にこだわるのか――自己倫理の賭金としての南京―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「こっそり南京アンケート - 「で、みちアキはどうするの?」」を読んで思ったことなど。 南京大虐殺があった/なかった、みたいな、自己の生活と直接的にかかわりのない*1問題について、真剣に論じる人たちというのは何か、ということをみちアキ氏が問うていたので、自分なりに考えてみると、すなわちそのような問題は、われわれにとって自らの倫理のあり方における賭金としてあるがゆえに真剣に論じられるのだという印象を抱いた。 南京大虐殺があった/なかったを問われるとき、それを「どうでもいい」と回避せず「あった」と主張する人は、そこをフックとする問題意識を抱いている。それは史実性をめぐる正確さやレスポンスビリティ、民族主義やレイシズム、あるいは愛国主義や自由主義史観、「歴史家論争」など多様な分野に広がっていく問いとしてある。そして究極的には「人間とは/自分とはいかなる倫理において生きるべきか」をむき出しにしてし

    なぜわれわれは南京にこだわるのか――自己倫理の賭金としての南京―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 「800人だろうが5000人だろうが同じこと。事実は事実。」 - Apeman’s diary

    数々の映像からも、あの日、軍による虐殺があったのは確かなこと。 800人だろうが5000人だろうが同じこと。事実は事実。そこから目をそむけるな! (http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090207/p1#c1244128284) これ、ネタじゃないんだよね? だったらそれは南京事件否定論者および妖怪「どっちもどっち」に言ってよ。4万人だろうが30万人だろうが同じことだ、と。このエントリで紹介してんのは全部『週刊新潮』の記事なんだよ。で、「天安門事件はなかった」と主張しているのは南京事件否定論のロジックなんだよ。

    「800人だろうが5000人だろうが同じこと。事実は事実。」 - Apeman’s diary
  • 史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 非行型愚夫の雑記

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかのコメント欄やはてなブックマーク - 南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでの案の定な反応には何とも言えない残念な気持ちにさせられますね。 それではぼちぼち答えていきますか。 何で「30万人説」を否定するとおこられるの? 日側の研究では30万人説の蓋然性が低いことは常識です。なのに「30万人説」を否定してどっちもどっち的なことを言うと(この論争においていつものことですが)おこられたりすることがあるわけです。理不尽に思えますよね。その反感わかりますよ。 その事情を説明しますので読んでいただければと思います。 6「虐殺少数説」の登場 章で見てきたように、一九八〇年代は、南京事件をめぐる激しい論争に触発されながら、南京戦に参加した旧軍関係者の記録や証

    史実派と否定派をどっちもどっちと言うのは只の知的怠惰の表明 - 非行型愚夫の雑記
  • 南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 非行型愚夫の雑記

    一体、「南京」で何があったのか。 来は笠原氏なり秦氏なりの新書を一冊読めば大体のところはわかるのですが、ネットではその手間すらかけずに、ネット情報のみでいい加減な発言をしている方を見かけることが珍しくありません。 例えば、よく見かける「南京大虐殺はなかった」という表現にしても、発言者はどこまで意味をわかって発言しているのか。「中国側のいう30万人規模の大虐殺はなかった」ということでしたら、この点は日側研究者のほぼ合意ですので、理解できないことはありません。しかし「南京における(少なくとも数万の)大規模な虐殺」の存在まで否定してしまうというのは、ちょっと無理な議論でしょう。 南京事件 初歩の初歩 まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基的には、数多くの中小規模の「事

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 非行型愚夫の雑記
    cubed-l
    cubed-l 2009/05/28
    (追)コメント欄が酷いな。理解する気なんか何もないだろ
  • 映画 "Nanking" の対日批判 - Apeman’s diary

    すでに館の方で昨日エントリを書きましたが、一点だけこちらでも書いておくことにします。 映画の終盤、マギー・フィルムを携えてアメリカへ帰国したジョージ・フィッチ(を演じる俳優)が、アメリカ各地での講演会(上映会)について語っているシーン。ある会の後で、一人の日人がやってきて、「日人にはあのようなことはできない、だからあなたが語ったことは嘘だ」と言ったというのです。否定派が好んで用いる質主義的な議論はすでにリアルタイムで存在していた、ということです。これに対してフィッチは、「私には日人の友人もおり、多くの日人にはあのようなことができないことは分かっている。しかし、残念ながら、私の語ったことは真実だ」と返答します。 今日では、われわれはフィッチの返答も正しくないことを知っています。日人であれ何人であれ、通常の状況ではほとんどの人間は「あのようなこと」を行うことができないが、いくつか

    映画 "Nanking" の対日批判 - Apeman’s diary
  • 歴史修正主義の手口について - 児童小銃

    表題について書こうと思ったのだけど既に議論されていた。 なにが歴史修正主義の問題なのかが未だに知られてない件 (思いて学ばざれば) 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 (Close to the Wall) 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 (Close to the Wall) これらにほとんど付け加える事はないのだけど、自戒の意味も込めて自分の言葉で簡単にまとめておこうと思う。 「議論の捏造」による「足止め効果」 ホロコースト否定論でもそうだし、南京事件否定論でもそうですが、過去に論破された主張をそのまま、あるいは微妙に変形して繰り返す、ということがよくあります。というか、この手の「議論」に遭遇したら8割か9割くらいの確率でそういうループ化した「議論」の一部だと考えて間違いないです、経験上。 こういうのは議論とは言いません。これが議論だというなら全ての

    歴史修正主義の手口について - 児童小銃
    cubed-l
    cubed-l 2008/01/05
    「否定論の方は基本的な事実をスルーし過ぎ(反論すらしていない)」Apeman氏ほどの知識も熱意もない俺が否定論を嗤うのはこれ故
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