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ブックマーク / sessai.cocolog-nifty.com (4)

  • 「脱・原発」…というわけにはいくまい。 - 雪斎の随想録

    ■ 昨日、東京・築地の朝日新聞社に出向いた。 東京都下、節電励行目的で様々なものが休止している。 朝日新聞に隣接する都営地下鉄大江戸線築地市場駅の地上行きエスカレーターは、全部、止まっていた。 「おいおい、どうやって地上に出ようか…」と一瞬、迷った。 駅員の「人力」を借りて階段を上るかと思ったが、エレベーターが一基だけ稼働していたので、それを使って事なきを得た。 若い時、六木駅のエレベーターが一時的に故障し、ビル七階分を階段で降りなければならなくなったことがある。 その時、手を貸してくれたのは、陸上自衛隊のレンジャー部隊の「教官殿l」だった。 雪斎に手を貸すのは、「戦場」よりも怖かったかもしれない。 今は、もはや、そういうことはできまい。 雪斎は、原発推進論者である。 正確にいえば、「安定して電気を供給してくれるのであれば、原発であろうが何であろうが…」という立場である。今のところ、「

    「脱・原発」…というわけにはいくまい。 - 雪斎の随想録
    cubed-l
    cubed-l 2011/04/09
    今すぐ止めるのは難しいという話と脱原発を指向するという話は別のはずなんだがな
  • 「気持ちは判る…」で納得しない…よな。 - 雪斎の随想録

    ■ これは、心底、嫌な話である。 □ 連続テロか 元厚生事務次官宅でが刺され重傷 11月18日  産経新聞 18日午後、東京都中野区の元厚生事務次官、吉原健二さん(76)宅で、家にいたの靖子さん(72)が、宅配便の配達を装った人物に刃物で刺された。女性は重傷。警視庁で連続テロの可能性もあるとみて男の行方を追っている。 同日午前には、同じく元厚生事務次官の山口剛彦さん(66)とその(61)がさいたま市内の自宅玄関で刺され死亡する事件がおき、埼玉県警が殺人事件として捜査している。 吉原さんは1986年に社会保険庁長官、88年に厚生事務次官を歴任。その後、日赤十字社理事などを務めた。 「テロ」という言葉を聞くとは、思わなかったけれども、NHKの九時台のニュースでも、テロというニュアンスで伝えられていた。確かに、年金行政を扱っていた元高官が襲われたのだから、何らかの意図を伴った「テロ」と考

    「気持ちは判る…」で納得しない…よな。 - 雪斎の随想録
  • 「パール論争」の下らなさ・続 - 雪斎の随想録

    雪斎は、新著に次のように書いた。 現在でも、「保守・右翼」知識層の中には、日にとっての第二次世界大戦が「アジア解放のための戦争」であったと主張する向きがある。だが筆者は、そうした「保守・右翼」知識層の中に、「日台湾、朝鮮半島、満州を自らの手で解放すべきであった」という主張を聞いたことがない。戦後においてですら、少なくとも「保守・右翼」知識層からは、往時の海外植民地の保持それ自体に疑義を示す声は、あまり聞かれないのである。ましてや、「帝国」の枠組みと海外植民地が残っていた戦前期には、そうした議論は「暴論」の類であったのかもしれない。 文中、そうした議論とは、石橋湛山に代表される「植民地放棄」論である、たとえば満州を日の独占的な支配地域として位置づけるわけにはいかないという議論は、すでに吉野作造、石橋湛山、古島一雄のような人物によって示されていた。 自らの植民地主義行動を総括していると

    「パール論争」の下らなさ・続 - 雪斎の随想録
  • 久間発言と「核」の自閉意識 - 雪斎の随想録

    ■ 五月中旬にフランスを訪問中にピエール・ガロワ将軍と面談した折、将軍が雪斎に次のように問い掛けて来た。「犠牲者の数からすれば、東京空襲のほうが、広島・長崎jよりも被害は多いはずだ。それなのに、何故、日人は核を特別なものと認識するのか」。一瞬、「ぎくっ」としたものである。 雪斎が言論家として最初期の題材としていたのは、「唯一の被爆国」感情によりかかって「核」を語る姿勢への批判であった。もし、「核の惨禍」を再現させないという意志が物であるならば、日こそが、近年の「核の拡散」を防止するための知恵を持っていてしかるべきである。実際には、そのような知恵が過去において大々的に蓄積された形跡はない。だから、北朝鮮核を巡る「六ヵ国協議」の議論を主導できない。過去半世紀、日は、「反核」の念仏を唱えていたのか。 そこに伝ええられたのが、久間章生防衛大臣の「核」発言である。もう「永田町」の外にいる身分

    久間発言と「核」の自閉意識 - 雪斎の随想録
    cubed-l
    cubed-l 2007/07/03
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