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ブックマーク / sociologbook.net (5)

  • 「私は別にいいと思うけど」 – sociologbook

    こんなことを言ったひとがいた。 「学生がデモに参加したら、就職できないかもしれない。べつにデモに参加するなとは言わないけど、世の中そんなに甘くないから。そういう会社も多いからね」 うまく言えないけど、こういう語り方に似てるものはたくさんある。 社会学者の野口道彦(大阪市大人権問題研究センター名誉教授)の主著『部落問題のパラダイム転換』(明石書店、2000年)に、こんな語りが紹介されている。部落問題に関するアンケートの自由記述部分を集めて分析している章のなかで引用されているもののひとつの、そのまたごく一部だけど、こういうもの。 「差別はいけないことだと思っていても、もしも我が子が被差別部落の人とつきあったりということになると、悩んでしまうかもしれないというのが現状です」 部落の人と結婚しようとする我が子に対して、自らの結婚差別を正当化する語りとして、親からよく語られる、ある種の語りのパターン

    cubed-l
    cubed-l 2015/08/24
    太宰メソッドか
  • sociologbook | そりゃ仲良くできればそれにこしたことはないんですが

    「友だちや彼氏彼女から、『実は私、部落やねん』とか『実は俺在日やねん』とか『実は俺ゲイやねん』とかカミングアウトされたらどうする?」って聞くと、たいていの学生は「そんなの関係ないよ、ひとりの人間として好きだよ」って言っちゃうみたいで、「それ言うたらあかんよ」って言うとみんなびっくりする。 「ゲイだろうが何だろうが関係ない、人間として」っていう言い方は、せっかく勇気を出してカミングアウトした問題に関して「関係ない」って言っちゃうってことだし、とか、部落に対する自分自身の差別意識を変えないまま目の前のそいつだけ特別扱いするだけのことにしかならん、とか、まあこういう話はわれわれの業界ではわりとよく語られる定番の話になってるんですけども、そういうのがまたカミングアウトを無効化する暴力にしかならんのやわ、というと、学生たちはみんなへー、ってなって、わりと最後のレポートでもこのネタで書いてくるやつが

  • sociologbook | 2010/03 そりゃ仲良くできればそれにこしたことはないんですが

    「友だちや彼氏彼女から、『実は私、部落やねん』とか『実は俺在日やねん』とか『実は俺ゲイやねん』とかカミングアウトされたらどうする?」って聞くと、たいていの学生は「そんなの関係ないよ、ひとりの人間として好きだよ」って言っちゃうみたいで、「それ言うたらあかんよ」って言うとみんなびっくりする。 「ゲイだろうが何だろうが関係ない、人間として」っていう言い方は、せっかく勇気を出してカミングアウトした問題に関して「関係ない」って言っちゃうってことだし、とか、部落に対する自分自身の差別意識を変えないまま目の前のそいつだけ特別扱いするだけのことにしかならん、とか、まあこういう話はわれわれの業界ではわりとよく語られる定番の話になってるんですけども、そういうのがまたカミングアウトを無効化する暴力にしかならんのやわ、というと、学生たちはみんなへー、ってなって、わりと最後のレポートでもこのネタで書いてくるやつが

  • sociologbook | パソコン使え!

    おかげさまで学生たちとは仲良くさせてもらってて、毎日こいつら研究室に勝手にぞろぞろやってきて勝手にたまり場にしているのだが、ちょくちょく勝手におれの研究室でゼミと関係ない友人と待ち合わせしたりしてて、堂々と携帯で時間とか打合せしてる。「ほな3限終わったら岸さんとこにおるわ」とか言うて、人の研究室を勝手に待ち合わせ場所にすんな。 で、若い連中と毎日接していると驚かされてばっかりで、ほんとにこいつら独特の行動様式を持っている。いろいろびっくりすることが多いけど、たとえばひとつの例として、学生ってほんとにパソコン使わないよね。別にこれは世代の差ということではなく、ただわれわれの方が世の中でかなり特殊なハビトゥスを持っているということなんだろうけど、それにしてもお前らパソコン使えよ!! ほんとに学生たちはパソコンを使わない。かといってテレビも見ないし、何をしているかというと、携帯をちょこちょこ

    cubed-l
    cubed-l 2010/01/29
  • 学生をかえせ(笑) sociologbook | 2009/05

    いやだから、ゾーニングするにしてもすでにその時点で相手の発言権なり表現の自由なりに制限を加えてるわけだろ。どの対象を誰からどれぐらいの強さでゾーニングするかっていうのはやっぱり社会的に決めていかないといけないわけだろ。この時点でもう表現の自由もへったくれも無いやんか。 どういうたらええかわからんけど、「キモい」とか「不愉快」とか言うて相手に喧嘩売りながら同時に「キミの表現の自由は保証しますけど」って言うのって、首尾一貫してないっていうか、弱腰っていうか、きれいごとやんか。で、「社会的に決められる」っていうのが必ずしもファシズムや無秩序におちいるわけではないことがある程度信頼できるなら、社会的に決めていくことにそんなに弱腰になったり臆病になったりする必要はないんちゃうかっていう話やんか。だいたいちょっと発言の自由を制限しようと言うただけで「世の中の人がみんなそんなこと言い出したらどうする!

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