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ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (9)

  • 鎌倉幕府はいつ開かれたのか - 我が九条

    「鎌倉幕府がいつ開かれたのか」という問いに対する歴史学研究者の見解は一つではない。1180年から1192年まで12年間の幅がある。これは鎌倉幕府が開かれたことに関する史料が足りないから想像で言っている訳ではない。「鎌倉幕府がいつ開かれたのか」に関する見解は、その研究者の「鎌倉幕府とは何か」という問いに対する答えと連動している。つまり「鎌倉幕府とは何か」ということについては歴史学研究者の間に統一された定義は存在しないのである。しかしだからといって「鎌倉幕府はなかった」という論者は少なくとも歴史学研究者にはいない、と思う。加えて言えば、当時「鎌倉幕府」という言い方は存在しない。「鎌倉幕府」という言い方は、源頼朝が鎌倉に樹立した組織を今日の我々から見て「鎌倉幕府」と定義づけているだけである。しかしだからといって「鎌倉幕府は存在しなかった」という論者は存在しない。もっとも「幕府」という言い方を嫌っ

    鎌倉幕府はいつ開かれたのか - 我が九条
  • 素朴な疑問 - 我が九条

    産経新聞の古森義久氏は以下の記事を載せた(「http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/783146/」)。 アメリカ大統領選挙の開票が進み、東部時間で11月4日午後11時半すぎに民主党候補のバラク・フセイン・オバマ上院議員の当選が決まりました。 その時点で当選に必要な全米の選挙人270人をはるかに越える311人を獲得したオバマ氏は共和党候補のジョン・マケイン上院議員の選挙人155人獲得に大きな差をつけました。 さあ、アメリカがこれから大きく変わります。 日への大きな影響も不可避でしょう。 とりあえずの速報です。 私の疑問はバラク・フセイン・オバマ次期大統領のミドルネームを載せるのに、ジョン・シドニー・マケイン大統領候補のミドルネームをなぜ載せないのか、ということだ。氏にオバマ氏に対する悪意が充ち満ちているのはわかるのだが、少し頭を使えば、基準を統一して中道を

    素朴な疑問 - 我が九条
    cubed-l
    cubed-l 2008/11/06
  • HALTAN氏への質問状 - 我が九条

    HALTAN氏に対してそもそも私が最初に蕪雑な言葉を投げつけたことからHALTAN氏との論争が始まったのだが、その結果HALTAN氏には不快の念を与えたであろうことに対しては反省せねばなるまい。私がHALTAN氏の言い分に対して不快感を持っているのは事実だが、実際責任の大部分は私が最初に「階級概念が分かっていない」とかみついたところにある。これはもう少し正確に表現する必要があった。HALTAN氏は階級闘争史観という概念を不正確に恣意的に使って、自分の左翼嫌いの正当化に使っている、と。 もう一度引用したい(「http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080806」)。 自分がサヨクを嫌いなのは、 (1)階級闘争史観で何でも説明できるのか? (2)仮に(1)が正しいとして、その論理の貫徹が不徹底ではないか?(中略) 主にこの2点です。難しいことは何もない。簡単でしょ? 階級

    HALTAN氏への質問状 - 我が九条
  • 先住民族の歴史 - 我が九条

    アイヌは先住民族か。最近まで日国政府はアイヌを少数民族としてすら認めていなかった。アイヌは同化されて完全に日人になった、という主張だったのだ。アイヌを含んだ単一民族論というのは、アイヌが「日人」に完全に同化された、という理解である。同化政策は19世紀に始まり、明治維新以降は積極的に大々的に行われた。しかし注意すべき点は、完全に「日人」にするのではなく、あくまでも劣等性を刻印した上での「同化」である。アイヌに対する法的差別の根拠となった「北海道旧土人保護法」が1997年まで存続したことに「日」のマジョリティの意識が端的に現れているだろう。「アイヌ新法」の制定は一定の進歩ではあっても、先住権にはほど遠い。あくまでも少数民族として認められたに過ぎない。 いわゆる「アイヌ新法」の問題点とは何か。この法の正式名称は「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律

    先住民族の歴史 - 我が九条
  • 厚顔無恥な連中を無敵ならしめないために - 我が九条

    「荒らし」対策として、匿名での批判を禁ずる黒木ルールや、匿名のものは議論対象と見なさないという津村ルール。これらは「匿名」の定義に差はあれど、ネット上でのフェアな言論を保証するという観点からは尊重されるべきルールであろう。しかし黒木ルールには弱点がある。ekken氏が指摘する黒木ルールの弱点は以下の通りである(自覚のない荒らしにとって「黒木ルール」は全く非力です:ekken)。 黒木ルールでは「匿名でも有意義な情報(批判)は認められる」のだから、あらゆる匿名批判を無視するものではないわけでして、要するに古くから伝わる「荒らしへの対応方法=相手にしない」ということだと思います。これは自分の存在を明らかにして(恥をかく場所をもって)まで他者のサイトを荒らす人がいるはずが無い、という前提があるからこそ有効な決め事です。 「荒らし」の自覚がない人は、書き込んだコメントによって自分が恥をかくなんて事

    厚顔無恥な連中を無敵ならしめないために - 我が九条
  • 扇動されやすい人2 - 我が九条

    前回「だまされていたけど、真実を知った私」という扇動されやすい人の話をした。論理的な思考力を鍛える訓練をしたことがないのに、情報に触れた人が陥りがちな過ちであるが、これは何も今の学生に特有の現象ではない、と思う。 思えば私自身も学校では論理的な思考力を養う訓練は一切行なわなかったように思う。大学進学率が50%を切る、いわゆる進学校の出身ではないせいかも知れない。私がそういう訓練を受けたのは、予備校の小論文対策講座だった。 私は私大文系に進学した。もちろん小論文などない。そのせいか、論理的な思考力が欠落した学生が多かったように思う。私自身論理的な思考力がついていたとは胸を張っていうことはできない。そして概ね情報弱者である。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが

    扇動されやすい人2 - 我が九条
    cubed-l
    cubed-l 2007/05/24
  • 扇動されやすい人 - 我が九条

    現在鎌倉時代の講義*1をやっている。一昨年にもやったが、今年もやっている。なぜだかテスト一発勝負はダメ、という大学で、そのくせ数百人を一つの教室に詰め込むから、講師としてはどうやってテスト以外の評価をするべきなのか、よくわからない。そこで適当な時期に小レポートを書かせている。 一昨年宝治合戦のところでレポートを書かせた。宝治合戦とは、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦泰村が北条時頼に滅ぼされ、鎌倉幕府の政治上の大きな画期となった合戦である。一般には得宗専制への道と評価される事件だが、永井晋氏の『吾鏡を読み直す』という著書の該当箇所を読ませて、レポートを書かせた。永井晋氏は、従来の時頼黒幕説ではなく、時頼は三浦氏から安達氏への外戚の交代をスムーズに行いたいと思い、三浦泰村にも事を荒立てるつもりはなかったのだが、時頼派の強硬派安達景盛と三浦氏の強硬派三浦光村に引きずられる形で合戦に至った、とい

    扇動されやすい人 - 我が九条
  • 珍しいことではない - 我が九条

    伊吹文明文部科学大臣「大和民族がずっと日の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」(2007年) 麻生太郎総務大臣「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日のほかにはない」「今は(世界各地で)人種、地域、宗教でいろんな争いが起きている。日は一国家、一文明、一文化圏で、そういう国はあまりない」(2005年) 鈴木宗男衆議院議員「(日は)一国家、一言語、一民族といっていい。北海道にはアイヌ民族がおりますが、今はまったく同化されておりますから。」(2001年) 平沼赳夫衆議院議員「小さな国土に、一億2600万人のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日が世界に冠たるもの」(2001年) 中川義男参議院議員「(日は)小さな国土に、1億2千6百万人のレベルの高い単一民族でぴちっと詰まっている」(2001年) 山崎拓元副総裁「一民族、一国家、一言語の日の国の

    珍しいことではない - 我が九条
  • 間違っている論理展開 - 我が九条

    間違っている論理展開によって人びとは容易にだまされる。ここでは具体例を挙げて間違っている論理展開について考えたい。人をだます時には論理展開の約束事を破って己が望む解を導き出す。そしてそれは一見論理的であるだけに容易にだまされてしまう。この稿をそうするに当たっては以下のエントリを参照した。「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか。非常に勉強になったので私自身のメモのために自分流に事例を置き換えて考察したい。 まずは間違っている帰納的論理展開。帰納的に論理を展開し、解を導き出すには「適切な事例の選択」が必要である。以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。 うらやましいほど優雅に生きた平安貴族も、じつは短命でした。貴族の代表である歴代天皇の寿命を見てみると、平安前期には54歳だったのものが、中期には44歳、後期には33歳とじつに

    間違っている論理展開 - 我が九条
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