この論文ではまず、大成功したフリーソフト/オープンソース プロジェクト fetchmail を分析する。このソフトは、 Linux の歴史から導かれる、ソフト工学についての意外な理論を試すという意図で実施されたプロジェクトである。本論ではその理論を、二種類の根本的にちがった開発スタイルという形で論じている。一つは FSF やそのまねっ子たちの「伽藍」モデルで、それに対するのが Linux 界の「バザール」モデルだ。この2つのモデルが、ソフトのデバッグ作業の性質に関する、正反対の前提からそれぞれ生じていることを示す。続いて Linux 体験に基づき、「目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない」という仮説を支持する議論を展開し、利己的エージェントによる自己修正システムとの有益な対比をしてみる。そしてこの洞察がソフトウェアの未来に対して持つ意味について、いくつか考察を行って結論としている
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