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ブックマーク / umedamochio.hatenadiary.org (78)

  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 「羽生」(保坂和志著、光文社知恵の森文庫)

    このが届いたらすぐに読み、その感想文を「黙殺された名著がここに蘇った」と始めようと思っていた。そうしたら「文庫版のためのまえがき」冒頭で著者保坂和志が、 実際、九七年に出版されたときにも、一般の新聞雑誌ではいろいろ取り上げてもらったが、将棋界では一部の棋士の大絶賛を除いて黙殺に近かった。 と書いているではないか。 「黙殺」という激しい言葉は、あまりよく使う言葉ではないと思うのだが、著者も、一読者である僕も、このから想起した言葉が「黙殺」だったとは・・・・・ このは名著である。しかし出版後、当に話題にならなかった。このが提示した視点がさまざまな議論によって広がっていくようなことはいっさい起きなかった。保坂は続けてその理由を、 おそらく、「将棋が弱いド素人が書いたなどまともに読むに値しない。そんなやつに将棋の何がわかるか」と思われたのであろう。 思うにこの将棋界から黙殺された一

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 「羽生」(保坂和志著、光文社知恵の森文庫)
  • フューチャリスト宣言や茂木さんのことやはてなのことなどを酔っ払いながら書いてみる - My Life Between Silicon Valley and Japan

    なんとなく気が向いたので、酔っ払いながら、思ったことを思ったままに書いてみる。 今日は久しぶりに、茂木健一郎さんのブログから、講演等の音声の最近の分をまとめていろいろダウンロードして、聞くとはなしに聞こえてきた話に耳を傾けていた。 「フューチャリスト宣言」の感想で、いやに僕と茂木さんがシンクロしていて云々というのが多いんだが、僕自身も彼と対談するまでは、対談がこんなふうにシンクロするとはまったく思っていなかったのだ。だって、彼は僕とは正反対の人間だと思っていたし、今も思っているからだ。むしろ意見が大きく対立したように見えた「ウェブ人間論」の対談相手・平野啓一郎さんのほうが、人間としては同じ部類に入るのではないかという気がしている。 茂木さんが芸大でやっている授業で、自分が隠したいと思う秘密を頭に浮かべて、その秘密をその中に隠す文章を書きましょう(意味が通じているかな)、という実験をやってい

    フューチャリスト宣言や茂木さんのことやはてなのことなどを酔っ払いながら書いてみる - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/06/22
    "僕は茂木さんと違って、自分の才能をぜんぜん認めていないし、万能感などはとうに高校生くらいのときの挫折ですべて失われていて、そのあとは「戦略性」を拠り所に何とかゴチャゴチャやりながら、今日に至っている"
  • はてな取締役会音声、社員に全部公開した - My Life Between Silicon Valley and Japan

    先週は月曜午後から土曜朝まで、シリコンバレーではてな取締役会合宿。オフィスの会議室で、近藤の家で、カフェで、車の中で、事をしながら、毎日毎日、はてなの経営課題について議論し続けた。 ベンチャーの毎日は一喜一憂、一進一退が当たり前。そんなマドルスルー(泥の中を通り抜ける)の中から「飛躍の芽」が生まれるわけだけれど、飛躍するためには、泥の中にいる状態自体を楽しめる強さを持った会社にならなくちゃいけない。社員一人ひとりがそういう苦しさを楽しめる強さを持たなくてはいけない。 ほとんどの社員が二十代で社会人経験も乏しい。社長も含め取締役といったって皆三十そこそこ。強くあれとは、言うは易く行うは難し。けっこう大変なことだ。いずれいまの試行錯誤を、大きな成功に結び付けたいと当に思う。 今回は特に激しく、さまざまなことを話し合った。その取締役会音声はすべて録音し、社内ブログにアップし社員全員とできるだ

    はてな取締役会音声、社員に全部公開した - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • My Life Between Silicon Valley and Japan - サバイバルという言葉が嫌いなら使わないで話そうか

    Rich Chen(ex-GoogleHatena Inc.取締役)と「はてなの経営」について話をしていると、彼の「グローバルな発想」からいつも新鮮な刺激を受け、学ぶことが大きい。それは彼がアメリカ人だからではなく「英語圏のネット世界」に「住むように暮らしてきた」からである。日人と日語圏とネット上の日語圏ってほとんど一致しているから、ネットを日常的に使うことで「世界」とか「グローバル」を実感するってことはほとんどないと思うけど、「英語圏のネット」って当に「世界」「グローバル」への広がりを実感できる。 「はてなが仮にスケールアップできるようになったとき、エンジニアをこれからどこで採用したらいいのか」という議論でも、Richは「リトアニアかハンガリーがいいんじゃん」とか、いきなり自然体で言う。しっかりした教育を受けた優秀でやる気のある若者たちが世界中でどんどん量産され(だって皆、寸暇

    My Life Between Silicon Valley and Japan - サバイバルという言葉が嫌いなら使わないで話そうか
    d1021
    d1021 2007/06/18
    "設立したHatena Inc. で必要な比較的シンプルな仕事の断片は、Richのサジェスチョンで、時間単価をだいたい決めてCraig's Listに投げるようにしている。"
  • サバイバルって当たり前のことなんじゃないの - My Life Between Silicon Valley and Japan

    僕の「座右の銘」は、アンディ・グローブの「Only the Paranoid Survive」(極度な心配性だけが生き残る)という言葉。サバイバルっていう言葉は、ちょっとざわざわするから、わざと使っている。 それで、なんかサバイバルという言葉に極端に「嫌だ」って感じで反応する人がいるけれど(それが言葉の遊びがしたい人だけならいいんだけどね・・・そういう気持ちがなくても何とか生きていけると甘ったれている人がいるとすればちょっと心配なので・・・・)、「緊張感を持って生きる」っていうごくごく当たり前のことなんじゃないの。家族がいれば、家族と一緒に幸せに生きていくための最低限の原資を稼ぎ続けるぞっていうのはサバイバルだし、どんどん変化していく世の中でプロとして簡単にコモディティ化しないぞと決心してスキルを磨くのもサバイバルだし、勤めている会社が突然つぶれたときにちゃんと他社から誘われたり独立できる

    サバイバルって当たり前のことなんじゃないの - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/06/17
    "そういう気持ちがなくても何とか生きていけると甘ったれている人がいるとすればちょっと心配"
  • 生きるために「読み」 「書くこと」で生きる - My Life Between Silicon Valley and Japan

    フォーサイト誌5月号「シリコンバレーからの手紙」(129)に書いた「生きるために「読み」 「書くこと」で生きる」 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u129.html が、ネット上にアップされました。 ・・・・・・・ 『遠い太鼓』は、四十歳を迎えた村上春樹が、自らの三十代後半を振り返って書いた自伝的エッセイでもあり、独立の意志を固める時期にちょうど三十代後半にさしかかろうとしていた私には、年齢的にも共感し、影響されるところが大きかった。 「四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(中略)だ

    生きるために「読み」 「書くこと」で生きる - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • サバイバルのための人体実験を公開すること - My Life Between Silicon Valley and Japan

    ネットイナゴ問題については、はてなブックマーク開発者id:naoyaのダイアリーを基点に皆さんと一緒に考えていくことになります。僕もときどき参加します。 さて、僕が何かを書くと「ポジティブだ」という意見を述べる人がいる。誰が何をどう読みどう思おうと自由だが、そんな低レベルなところで思考停止してもらいたくないなぁと正直には思っている。 「ウェブ進化論」の中で、 大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される というのが「シリコンバレーの掟」だと書いた。また「ウェブ人間論」の中で、自分の生き方について、 「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルするか」を最優先に考える と書いた。第三者的な立場で世の中を分析してある世界が全体としてこうなっていますよ、こうすべきですよ、ということを書く人は僕以外にもたくさんいるので、そこはもうやる

    サバイバルのための人体実験を公開すること - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/06/16
    "僕が何かを書くと「ポジティブだ」という意見を述べる人がいる。誰が何をどう読みどう思おうと自由だが、そんな低レベルなところで思考停止してもらいたくないなぁと正直には思っている。"→6/15日下
  • 最近つくづく思うこと - My Life Between Silicon Valley and Japan

    たとえば小林秀雄や司馬遼太郎といった故人の作品を読み返すとき、彼らはネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む機会を得なかったんだなあと思い、現代に生きる幸福を痛感する。 ネットは社会全体を相手にするのだから、ある意見に対する賛否両論は当然だし、誤解も生じるし、ときに批判は激しい。でもそんなこと以上に、嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが(たとえたった一人であれ)見ず知らずの人の、あるいは身近な意外な人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。そんな素晴らしい経験の可能性が、いま誰にも開かれようとしている。 結局「モノを書く」ということは、それを読んだ人の心に何が生じたのかということにその意義は尽きるのであって、書いた人と読んだ人とが直接リンクを持ち得ることの意義は何をも上回る。批判からもたくさんのことを学ぶことができ

    最近つくづく思うこと - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/06/15
    "嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが・・・人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。""今週は、はてなの取締役会合宿がシリコンバレーで行われている。"
  • [Silicon Valley Life] He is more playful!

    初夏の気持ちよい夕方、住宅街をジャックと散歩していたら、ある家の前で一人で佇んでいたそばかすだらけの細身の少年が、はにかみながらも意を決したように「ねぇ、ペットしてもいい?」と僕に聞いた。「ペットしてもいい?」というのは、ジャックをなでたりして可愛がってもいい? 噛みついたりしない? 大丈夫? という意味だ。散歩していると、犬が好きで仕方ない少年や少女から、ときどきそう声をかけられる。 「もちろんいいよ」 と僕は言い、ジャックを少年に近づけた。 ジャックは少年の顔をべろべろなめ、大喜びで少年の周囲をぐるぐるまわった。少年は何度もジャックの背中をなでて、とってもいい犬だね、ブラック・ラブだよね、と言った。 「年はいくつ?」と僕は少年に尋ねた。 「9歳だよ」 6歳くらいの子かなと思ったので、ちょっと意外な感じがした。 「ジャックは11歳。君より二つ年上だね」と僕は言った。 「He is mor

    [Silicon Valley Life] He is more playful!
    d1021
    d1021 2007/06/12
    "「ねぇ、ペットしてもいい?」""散歩していると、犬が好きで仕方ない少年や少女から、ときどきそう声をかけられる。""「もちろんいいよ」"
  • テレビをつけずに日々が過ぎていく - My Life Between Silicon Valley and Japan

    僕はもともとテレビ好きだった。1992年に初めてサンフランシスコに一年住んだときなど、出張で少しだけ東京に戻ったときはホテルでテレビをよく見た。1994年にシリコンバレーに引っ越して以来、年に五回以上日米を往復をする生活をしているけれど、わりと最近まで、東京のホテルで朝起きれば必ずテレビをつけたし、夜部屋に戻ってもとりあえずテレビをつけた。それが、だんだんに少しずつテレビなしでもよくなってきた。 前回の出張で東京に八泊してチェックアウトしたとき、テレビを一度もつけなかったことに気づいた。初めてのことだった。そして今回もまったくテレビをつけていない。 ネットに向かえば、自分が物理的にどこにいるかまったく関係ないわけで、ごく普通の日常に戻れる。東京でのホテルでの寸暇は、そういうふうに過ごすのが当たり前になってしまった。

    テレビをつけずに日々が過ぎていく - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/05/20
    "わりと最近まで、東京のホテルで朝起きれば必ずテレビをつけたし、夜部屋に戻ってもとりあえずテレビをつけた。それが、だんだんに少しずつテレビなしでもよくなってきた。"
  • スランプ脱出 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    関係各所でご心配いただきすみませんでした。

    スランプ脱出 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/05/19
  • 「フューチャリスト宣言」へのたくさんの感想に感謝 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    相変わらずネット上に書かれた感想は、mixiまで含め全部読んでいる。面白い。 「ウェブ進化論」が出たのが2006年2月だが、それから15ヶ月。人々のネット経験、Web 2.0経験の蓄積ゆえだろうか、当時「当たり前でなかった」ことを多くの人が自ら経験することによって、どんどん「当たり前」になっているのを今回は強く感じた。僕の当の関心は「その先の社会の変化」にあるので、こういう着実な変化をとても面白く思う。感想というのは面白いもので、著者が、この部分にこういう感想が来るだろうなと予想したものとは、いつもまったく違うものが多く、そこから学ぶことが大きい。 またいずれゆっくりこのことについては書く。 ところで今日から東京に向かう。ジャックと一週間以上会えないのがさびしい。 今回は次の四冊を選んだ。 人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書) 作者: 新潮社出版社/メーカー: 新潮社発売日: 200

    「フューチャリスト宣言」へのたくさんの感想に感謝 - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • My Life Between Silicon Valley and Japan - スランプ

    スランプというのはどうしても周期的にやってくる。 突然「ああ、来たな」という嫌な予感とともに。 なぜスランプになったかも、来たときにはだいたいわかっているが、避けようがない。来たら、しばらくは付き合わなくちゃいけない。 もう「慣れっこ」ではあるし、結局スランプになった原因に正面から立ち向かわない限りそこから抜け出すことはできないと、処理方法もわかっているんだけど、色々な理由を考えてはまずはそこから逃げ出してしまう。でも逃げれば逃げるほど苦しくなる。 そんなことをいつも繰り返し、のたうちまわりながら、しばらくしてやっと原因に立ち向かう元気を出しても、いっときさらに苦しくなる。でもそこを突破する以外スランプを脱却できないんだと悪戦苦闘しているうちに、少しずつ霧が晴れていく。 最後は何とかなるもんだと頭ではわかっていながら、いくつになっても、何度経験しても、このプロセスは当に嫌なものである。

    My Life Between Silicon Valley and Japan - スランプ
    d1021
    d1021 2007/05/14
    "結局スランプになった原因に正面から立ち向かわない限りそこから抜け出すことはできないと、処理方法もわかっているんだけど、色々な理由を考えてはまずはそこから逃げ出してしまう。でも逃げれば逃げるほど苦しく"
  • 増刷のお知らせ - My Life Between Silicon Valley and Japan

    茂木さんのところでアナウンスしていたので、こちらでも。 『フューチャリスト宣言』 (ちくま新書)は増刷(初刷40000部、 2刷35000部、計75000部) が決定しました。 ご愛読に感謝いたします。 全国の書店での出足が良いようで有難い限り。この増刷で「ウェブ進化論」のときのように品切れが長く続くことはないはず。アマゾンでの書影がまだ入らないのは何かの手違いらしく調整中で、まもなく何とかなるはずです。

    増刷のお知らせ - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 「フューチャリスト宣言」いよいよ発売です - My Life Between Silicon Valley and Japan

    首都圏の大型書店には8日から、全国の書店には9日に並びます。 弾さんが「8日の午前0時過ぎ」にきっと書評をアップされるだろうな(理由は後述)と想像していたら、まったくその通りで、ありがとうございました。 書評 - フューチャリスト宣言 献の添え状より なお、大変勝手ながら、書店に並ぶのが五月八日(火)頃からになります。ブログなどのメディアでお取り上げくださる場合は、五月八日以降にお願い致します。 あーっわかってないっ。 いくらネットの世界とはいっても、ある発言ががネットを伝播し、botにcrawlされるにはある程度の時間がかかる。はてブなどSBMの利用層に対してそれは24時間を切るが、それが検索エンジンの検索に反映されるには数日、そして別メディアがその発言を再掲載したりするには1週間から数週間の時間がかかる。それを考えれば、屋に並んでからでは遅すぎるのである。書が私の手元に到着したの

    「フューチャリスト宣言」いよいよ発売です - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 「最新戦法の話」(勝又清和著 浅川書房) - My Life Between Silicon Valley and Japan

    このは名著である。 現代将棋を鑑賞するうえでの必読書ではないかと思う。それほど将棋が強くない人でも十分に楽しめる。九章立てで、一手損角換わり、矢倉、後手藤井システム、先手藤井システム、ゴキゲン中飛車、相振り飛車、石田流、コーヤン流、8五飛戦法という現代将棋の90%以上を占める戦法の「現在」について語り、極めて俯瞰的で包括的な視点を将棋ファンに与えてくれる。また、「将棋というゲーム」の真理の探求を総がかりで行う現代の棋士たち(特にトップクラスの若手棋士たち)の姿を描くルポルタージュとして読むこともできる。 著者の1995年の処女作「消えた戦法の謎」も素晴らしかったが、書はさらにパワーアップしていると思う。特に感心したところは、やさしい語り口の中に、現代将棋質をつく「わかりやすくて深い名言」が溢れていたことである。 現代の将棋は桂という駒の価値を再発見するような歴史をたどっているのかも

    「最新戦法の話」(勝又清和著 浅川書房) - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 思い出の場所を訪ね歩いて思ったこと - My Life Between Silicon Valley and Japan

    1997年5月1日に独立してシリコンバレーで会社(MUSE)を作った。明後日でとうとう10年になる。 いい記念なので、この週末は土曜と日曜に分けて、アメリカにやってきて過ごした思い出の場所を、と二人で訪ね歩くことにした。 初めて一年間アメリカに住んだのは15年前のことで、その頃は会社勤めをしていた。サンフランシスコの住宅街のアパートに住み、毎日「1番線」というバスで通勤していた。昨日は、会社があったダウンタウンに車を置いて、あとは当時と同じようにバスでアパートと会社を往復してみたり、アパート周辺でよく散歩した通りを歩いたり、友人が来ると行っていた中華街の飲茶の店で事をしたりした。街の隅々まで眺めては、変わったもの変わらないものは何かなどを考えながら歩いた。 今日は、12年半前にシリコンバレーに格的に引っ越してきてまず住んだ借家、当時勤めていた会社のオフィスがあったパロアルト・ダウンタ

    思い出の場所を訪ね歩いて思ったこと - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/04/30
    "やっぱり「会社という鎧」を着ていたときに起こした諍いや別離は、どこか逃げ場があって良かったのかな。"↓菊川怜
  • 電話もない頃の知的生産 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    「金子教室」について書いてみて、それを改めて読み、当たり前ながら、電話のない頃と、これだけ通信環境、ネット環境が進んでしまった今の「知的生産のあり方」が激変していることに気づく。 なるほど昭和25年に雑誌に原稿を書く(金子の場合は「将棋の解説」)とき、まず編集者が筆者に電報を打ち、筆者が編集者の家にやってきて(編集者が筆者の家で待つほうが普通か、このへんは筆者によっていろいろだろうが、編集者が物理的に筆者の横で原稿のできあがりを待ったという話はよく聞く)、そこでたった一人で、通信手段もないから誰かと相談したり、新しい情報を得たりすることなく、対象(金子の場合は対局の棋譜)と孤独で向き合い原稿を書くわけである。当たり前のようで、今の知的生産とは全く違う。 たとえば、自分一人で考えてもわからない箇所が出ると、現代の我々は安易に何かに頼りがちだ。たとえば将棋解説の例で言えば、対局者の感想を聞いて

    電話もない頃の知的生産 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/04/10
    "たった一人で、通信手段もないから誰かと相談したり、新しい情報を得たりすることなく、対象(金子の場合は対局の棋譜)と孤独で向き合い原稿を書くわけである。"→2/23日常すなわち非情
  • 生命とは制御できないもののことである - My Life Between Silicon Valley and Japan

    茂木健一郎「クオリア日記」の「生命とは制御できないもののことである」が面白い。「フューチャリスト宣言」(ちくま新書、5月刊)での対談の中で、「ネット」や「ブログ」や「いまウェブ上で起きていること」を、脳の仕組みや生命現象の質と照らして、僕たちは考えた。 そういう議論・思考の延長線上でこのエントリーを眺めた。 生きものの定義を、「制御できない もの」としたらどうか。 「生命とは制御できないもののことである」 と考えることで、ぱっと視野が広がって、 様々なことの質が見えてくると思う。 茂木さんとの対談では学ぶことが当にとても多く、影響を受けるところ大であった。「オープン」で偶有的なプロセスでやっていかないと生命体の成長はない、それが生命の一大原則なのだ、ネットは生命原理に近い事象を人間の脳とか情報の領域に起こすものだ、命を輝かせるためにはネットの偶有性の海に飛び込むべきなんだ、ミトコンド

    生命とは制御できないもののことである - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/04/08
    "同時代には毀誉褒貶の嵐にさらされそのプロセスから成長した人々が多い、人間の成長を分ける分水嶺は偶有性をどう受け入れるか""このブログでも最近、少し意識してわざと「偶有性の海」を作り出そうとしている。"
  • 昭和の名稿「金子教室」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    将棋世界」だけでなく「近代将棋」もサンノゼ紀伊国屋経由で定期購読することになってしまった。定期購読申し込みが何とか間に合って四月号を入手(サンノゼ紀伊国屋には「近代将棋」が三冊しか入荷しないのだ)。金子金五郎フリークとしては、四月号から「別冊付録」で始まった「昭和の名稿「金子教室」」を入手せねばとけっこうあわてた。 永井英明氏の「「金子教室」の思い出」という文章が別冊冒頭にあった。 先生は、仏の道と、推理の解明の二つに生涯を捧げられたと言えると思います。 それだけに、将棋の解説には燃えるような情勢を傾けられました。 誌はそれから「金子教室」が評判になり、固定読者を確実に増やしていきました。 先生が誌に初めて筆をとられたS25、26年頃は、電話も普及していなくて、原稿の催促などに電報を使った時代です。 「ゲ ンコウオクリネガ ウ」と打ちますと翌朝、先生がウチワ太鼓をたたき、南妙法蓮華経

    昭和の名稿「金子教室」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    d1021
    d1021 2007/04/08
    "金子金五郎""仏の道と、推理の解明の二つに生涯を捧げられた""ウチワ太鼓をたたき、南妙法蓮華経を唱えながら、拙宅にお越しになります。""人間の魂をゆさぶり。覚醒させる何物かがそこにある。"