まず、7名の犠牲者の方々には謹んでご冥福をお祈りします。 秋葉原での事件。現実の中で最もウェブに近いとも言える地帯。ウェブへの接点は物理的にはインターネット回線であるけれども、実際の接続を担っているのは人である。現実とウェブとを近づけるのはウェブに接点を持つ人の密度であり、秋葉原こそ日本のウェブの入り口といっても過言ではない(いまどきはそうでもないか…)。 読者からのタレコミ、犯人取り押さえの現場 秋葉原で通り魔、トラックで次々とはねてナイフで斬りつけ、7人が死亡 - GIGAZINE これを 「真実の裏づけがないものを無責任に掲載する」 と取るのも 「既存メディアにはない速報性」 とするのかは議論の余地があろう。個人的には前者の感想を抱く。 秋葉原が舞台であったことが何か象徴的であったかというと、そうではない。単に繁華街で起きたというくらいの意味でしかない。 ただ、報道のありようというの
Freeman DysonがNY Review of Booksに、Nordhausの新著とイェール大学で行なわれた国際会議について書いている:Nordhausの分析は、地球が温暖化することを前提にした、環境経済学の第一人者による政策評価である。その結論は、炭素に課税することが地球温暖化に対応する必要十分条件だということで、排出権取引などは非効率な結果をもたらす有害なレトリックである。 イェール大学の会議では、科学者の賛否両論がわかれている。MITのLindzenは温暖化は起こっていると認めるが、その弊害は誇張されており、人間活動の影響も過大評価されていると主張する。これに対して議長は中立な立場だが、「多数派」を代表するポツダム大学(ドイツ)のRahmstorfは、Lindzenの議論を「世界の気象学者によって否定されたバカ話だ」と一笑に付す。 Rahmsdorfは、科学の歴史を学んだ
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2008年06月08日17:30 カテゴリ書評/画評/品評 よい本の指標は少なくとも二次元 私も答えてみよう。 ディスカヴァー社長室blog: 良書とは何か? あるいは「感動」の条件 ●干場 あなたにとっての良書の定義とは何ですか?ディスカヴァー社長室blog: 良書とは何か? あるいは「感動」の条件 ●干場「この世には、2種類の本しかない。感動のある本とない本の2種類。そして、良書とは、感動のある本だ」と。 同意しない。なぜなら、感動がない良本も存在するからだ。 それはどんな本か。 ずばり、「使う本」である。 理科年表 平成20年版 たとえば、こちら。理科年表を見ても感動できるし、私自身は理科年表を見て感動するたちだし、某所で「歩く理科年表」というあだ名を頂いたこともあるのだが、しかし理科年表の役割は、感動を与えることではなく精確なデータを与えることにある。感動はおまけ。 実は、本の本来
努力に対する報酬って数値化できる訳ではないし、誰もが機会費用とか真面目に算定して人生を選択しているとも思えず、ROIという言い方には微妙に違和感がある。でもたぶん社会が彼らを失望させたのは確かなんだろう。それは絶対的な報酬水準よりも、何かを動機付けされた時の期待報酬水準とか、周囲やメディアで流布されるライフスタイルと比べた相対的妥当性とか、将来期待とか、そういったもののアンバランスなんだろうな。 努力してもペイしないのであれば(投資に対して期待されるリターンが1:1以下なら)、努力しないのが合理的。いわゆる「働いたら負けかなと思っている」状態。 もしそういう状況を社会が弱者に強いているのであれば、「弱者の内面」の問題はすなわち社会の問題であって、「弱者の内面と社会の状況を分けて考えろ」とは言えなくなるのではないか。努力するインセンティヴを奪っておいて(あるいは剥奪状態を放置しておいて)「や
中学で最初に会った定年間近な日本史の先生は、初回授業で歴代天皇表を配り、旧仮名旧漢字の板書で授業毎に天皇の名前から始める授業をしてた。12月8日には本来講義する内容をすっ飛ばして真珠湾攻撃について語り始め「歴史の教科書は大東亞戰爭を悪く書くけれど、あの時代に少年は奇襲成功の報をラジオで聞いて、とてもスカッとしたんだ」と振り返り、ハルノートとかABCD包囲網のことをアツく語った。僕は右翼ではないが、ああいう主義主張のあるひとの話は面白いし、鵜呑みにした訳じゃないけど、子供心に教科書に書かれていないことを聞くと世界が少し広がった気がした。 神奈川県藤沢市石川の市立善行中学校の20代の男性教諭が5月下旬の授業中、米同時多発テロについて「9・11テロは米国の自作自演」と発言していたことが分かった。生徒から聞いた関係者が市教委などに抗議し、同中は今月1日、PTA役員らを集めて謝罪した。 あれも誰かが
昔、ある男性と議論していた時のこと。 相手からツッコミが入り、反論した。自分にとって重要なテーマだったので、喋り方に熱は入っていたかもしれない。熱が入ると私はやや早口になる。 喋り終わった後その人は突然、 「大野さん、今、なんか怒ってる?」 と言った。 「え? 全然。なんで?」 「いや、夏の嵐みたいだなと思って(笑)」 「夏の嵐」たって、ヴィスコンティの映画ではない。アリダ・ヴァッリのような情熱的な女性ですねと褒められているのではない。通り過ぎるまで待つしかないという意味だ。 急速に、寂しいとも虚しいともつかない感情に襲われた。嵐のような喋りなどしたくてもできない。声だって大きくないし。少し丁寧に反論しただけで怒ってもいない。それともどっか棘があったのかな。 私が黙ってしまったので、彼は隣の人と世間話を始めた。 そういうことが数回あって、一つの事実に気づいた。 議論の最中相手の発言内容につ
2008年06月07日21:00 カテゴリBlogosphere TBを見直せ、いや打ち直せ これを読むと、もうTB打つのはやめても良さそうに思える。 【このブログがすごい!】BLOG:トラックバックはなぜ流行らなかったのか んで、僕も遅ればせながら気になったことを書こうと思うのですが、それはトラックバックについて。極東さんのエントリでも「トラックバックは承認制にしなさい、ほとんどはゴミだから。」という意見があるんですが、なんとなく同意なんですよね。僕も。 だが打つ。 以下、理由。 TBは確かに効果がある まず、ブログを書く人というのが、思ったほど、他人のブログを読まなかったってのがありますね。要するにトラックバックって、他人のブログを読まない人にとっては、何の意味もない。自分のブログがあり、かついろんな人のブログを読む人。これがあまりいなかった。 これは私にとっては×。livedoor
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