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ブックマーク / blog.tatsuru.com (54)

  • 休日にマンガを読む - 内田樹の研究室

    久しぶりの休日。 暑くて目が覚める。 シャワーを浴びて、着替えて、朝ごはんをべて、またクーラーの効いた寝室に戻って、寝転がってマンガを読む。 るんちゃんお薦め、ゆうきまさみの『鉄腕バーディ』。 ゆうきまさみといえば、『パトレイバー』の人である。 『うる星やつら』と似た状況設定であるけれど、こういう非日常的な SF 世界と学園ラブコメが同居している物語をすらすらと描ける日のマンガ家の底力には感服する。 続いて幸村誠『ヴィンランド・サーガ』を読む。 これまた、たいへんな画力と物語構成力である。 森薫の『エマ』の19世紀ロンドンの書き込みにも驚いたが、このヴァイキング物語の中世アイスランドの生活の細部の書き込みにも驚嘆する。 時空を奔放に行き来するこれらのマンガに比べると、相変わらず「私小説」的な約束事から抜け出ることができずにいる現代文学の想像力の貧しさが際立ってしまう。 井上雄彦さんと会

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    d346prt 2008/07/28
    画力が上がってブレイクスルーがもたらされる、に納得。
  • アメリカ人はどこまで - 内田樹の研究室

    ポッド・キャストで町山智浩さんの「コラムの花道」を聴いていたら、「アメリカ人はどこまでバカか」という話が出てきた。 『ナショナル・ジオグラフィック』が2006年にアメリカの大学生にアンケートを実施したところ、88%はアフガニンスタンがどこにあるのか知らなかった。63%はイラクがどこにあるのか知らなかった。20%は世界地図の中でアメリカを指さすことができなかった。 オーストラリアの「アメリカ人はどこまでバカか」というドキュメンタリーの TV 番組が YouTube で評判になっている。 とくに歴史と地理について、知識の構造的な欠落があるらしい。 街行くふつうのアメリカ市民のおじさんおばさんに質問をする。 世界大戦は何回あったかという質問に「3回」と答える人がおり、「ヒロシマ、ナガサキ」とは何かという質問に「柔道!」と答える人がおり、「イスラエルでいちばん信者の多い宗教は?」という質問に「イス

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    d346prt 2008/07/17
    なるほど、国策であったのか!w/どうりで、非知性的なのを誇らしげにしている風な若い方たちが多いと思った。/上野千鶴子にフェミニズムを代表させるのも、そろそろ酷になってきたんじゃね?
  • コピーキャット社会 - 内田樹の研究室

    『こんな日でよかったね』(バジリコ)がもうすぐ発売される。 まだ書店には配架されていないが、すでに重刷が決まったそうである。 ネット「青田買い」してくださる読者のみなさんのおかげである。 自分でいうのもなんですけれど、たいへん面白いです。 ところが、読んでいるうちにすごい誤記を発見する。 261頁に「ナチスドイツの宣伝相であったゲーリングは」とあるのだが、これは誰が何と言っても「ゲッベルス」の間違いである。 ゲーリングはゲシュタポと空軍の創設者の方である。 「ゲーリング」ヴァージョンを買ってしまった方は、稀覯書を手に入れたと思ってください。三刷りからは直しておきます。 (と書いたあとにネットで調べたら、amazonで46位、bk1では全体で3位、社会で1位になっていた。もう書店に並んでいるのであろう。1位というのははじめてのことなので、これはたいへんうれしいです。お買い上げのみなさん、あ

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    d346prt 2008/07/13
    無差別殺人の被害者が報道で取り上げられる度にやるせない気持ちになるのは、こういう事なんだよね。悲惨さを説くために被害者の得難さを描けば描くほど、「誰でも良かった」のが浮彫りになって誰も救われないのに。
  • 政治化するお笑い(内田樹の研究室)

    基礎ゼミの発表で「笑い」について考えた。 「笑い」についてはベルクソンの古典的著作以来無数の研究がある。 しかし、笑いの「政治性」について論じたものはあまり多くない(私は読んだことがない)。 鞍馬天狗や水戸黄門が「わははは」と笑いながら登場するのは、別におかしいことがあるからではない。 笑いには「破邪顕正」という呪術的な力があると信じられているからである。 彼らはまずその場を浄めるために笑う。 現代では、そのような笑いの呪術的効果についての信憑は希薄化しているが、それでも「人より先に、人より大きな声で笑う人間はその場を支配する力がある」ということについての社会的合意は存在する(ガハハハと馬鹿笑いして背中をどづくというようなふるまいは、あれは「私はお前の上司である」という定型的なシグナルなのである)。 人々が見落としがちなのは、この笑いのもつ「政治性」である。 私たちの時代に「お笑いタレント

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    d346prt 2008/07/13
    確かにパワーゲームだ。/アメトークの「松竹芸人なんちゃら」とか、あえて吉本の外から語ることで却って浮彫りになってたよね。/これは内田先生のエントリじゃないのね。
  • 正しい育児 - 内田樹の研究室

    一昨日は『プレジデント・ファミリー』、昨日は『日経キッズプラス』と2日続けて育児誌の取材を受ける。 どうしてなんでしょうね。 私は育児にビジネスマインドがからむことを少しもよいことだと思っていないので、これまでもことあるごとにこのような雑誌についての批判を公言してきた。 先方には私に筆誅を加えるいわれはあっても、ご高説拝聴というようなことを言ってくる義理はない。 ともあれ、せっかく遠路お越しいただいたわけであるから、「まあ、いいからそこに座りなさい」とエディターとライターを招じ入れて長説教。 あなたがたの雑誌が推奨しているような育児戦略はその根から間違っているのであるという話をする。 両誌の編集者たちはたいへん熱心に聴いて、納得顔で帰っていった。 うーむ。 昨日の最初の話題は「子どもを階層の違う家庭の子どもと付き合わせることの可否」であった。 最初は質問の意味がよくわからなかったのだが、

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    d346prt 2008/07/13
    選民意識の強い親なのだろうね。あと、エントリで取り上げられてる通り、どんな影響があるかの想像力はまずないよね。/それか、子供を自分の付属物としか見てない?/締めの部分はお約束でw
  • 裁判員制度は大丈夫? - 内田樹の研究室

    四回生のゼミは裁判員制度。 あと1年ほどで制度が導入される。 ゼミでこの件について論じるのはもう4回目である。 毎回学生さんたちはなんとなく片付かない顔になる。 そもそも、この制度を「導入しよう」と言い出したのは誰なのか。 それがわからないのである。 「導入しよう」と言い出した以上は、その人たちにとっては、制度の導入によって何らかの利益が見込めると思ったはずである。 何の利益か。 それがわからない。 法務省にとって、この制度の導入はどんな利益があるのか。 最高裁の HP にはこう書いてある。 「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」 なんということもない文言であるが、こういうことを最高裁が言い出すということは言い換えれば、「裁判が身近ではなく、わかりにくく、司法に対する国民

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    d346prt 2008/07/13
    今回も力技な論法だけど面白いね。/ホント裁判員制度ってどっから来た話しなんだろう?/PTSDになってしまったらどうするのか興味あるな。/しかし、コメ欄なくてスッキリ!ちょっと寂しいけどw
  • そのうち役に立つかも - 内田樹の研究室

    河合塾大阪校で講演。 予備校生たちをお相手に一席。 お題は「日人はなぜ学ぶ意欲を失ったのか?」 せっかくの休日に私の講演を聴くためにわざわざご登校くださった奇特な予備校生たち200人を前に、どうやったら受験勉強が楽しく捗るかというお話をする。 あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。 当然ですね。 もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。 それができないと大学に入れない。 いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。 例えば、英語ができると英語話者に道を尋ねられたときに、「道を尋ねられた」ということがわかる。古文ができると埋蔵金の隠し場所を書いた古地図などを解読するときに有用である。 だが、必然性と実用性を理解しているだけでは、自分の知的パフォーマンスを向上させることはできない。 受験生としては、そういう外づけ的な理屈

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    d346prt 2008/07/08
    そのうち
  • 先取りされた未来から見た過去 - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今週のお題は「70歳になって、来し方を回想して、『自分史』を書くことにした君が、その45年前、25歳の一年を思い出して綴った文」。 前回は5年前、2003年6月のある一日の日記を書いてもらった。 たいへん面白かった。 思春期の自意識過剰ぶり、友人との距離感のなさ、学校と教師に対する遠慮を知らない倦厭感、過剰な攻撃性、そういう「幼さ」をみごとに掬い上げた傑作がいくつも見られた。 うまいものである。 このドライブ感を維持して書き続ければ、そのまま小説になりそうである。 しかし、「実話」というリミッターがかかっているので、想像力の暴走にもおのずと限界がある。 今回の宿題はそれをはずしていただこうという趣旨である。 まず想像的に70歳になってもらう。 この年齢となれば、ものの見方考え方もずいぶん変わっているはずである。 その条件の上で、25歳の1年という「いまだ到来し

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    d346prt 2008/07/05
    面白い試み。はるか未来の過去にあたる近い未来とは。/スピードレーサーは、あえてリアリティの無い画面作りをしたらしいしね。/↓、もっと思いを深くこめて!
  • パイレーツ・オブ・チャイナ - 内田樹の研究室

    文藝協会というところに入会したので、会報が送られてくる。 文藝協会はたぶんもともとは寄る辺なき文士たちの相互扶助組織として発生したものではないかと思う。 「寄る辺なき人々」のための相互扶助・相互支援組織というのはたいせつな中間共同体である。 しかし、文藝協会の最近のメインの仕事は著作権の管理である。 私はこれがどうにも、「なんか違うんじゃないか」という気がしてならないのである。 いま著作権の保護期間は50年である(これを国際標準に合わせて70年に延長することを協会は求めている)。 著作者が死ぬと、著作権はその親族に継承される。 だから、文藝協会の会員も相当数は操觚の人ではなく、著作権継承者の方々である。 著作者自身が自分の書き物について、その使途や改変について「ちょっと、それは困るわ」という権利を留保することは許されると思う。 文章が書き換えられて、それに自分の名前がつけられて流布して

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    d346prt 2008/07/01
    まあ、そういうこと。著作に対する金銭的見返りって更に著作を続けるためのものだよね。/死後は遺族が急に路頭に迷わないだけの間貰えれば良いという考えは自然。/著作人格権を盾に本音は印税ばかりなのがアレだよね
  • 情報を抜く - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今週の宿題は「情報を抜く」。 ものを書く上での「情報を抜く」ということの重要性を指摘した人にかの橋治先生がいる。 橋先生はこう述べておられる。 自分が生きている限り、自分の身近にはまともな生活圏があるんだから、そのことは考えなくてよくて、そこから外れたときにどう生きるかという考えをしなくちゃいけないから、外れたところにいる人のことを考えるしかないということなんじゃないのかなあ……。俺、高校のときにいっぺん外れちゃったから。 それで、自分の居場所ってどこなんだと。 知らない人のいるところで生きていくしかないから、じゃあその知らない人をとりあえず考えてということだと思うし。 あと、自分と違う人のほうがわかりやすいんですよね。 『桃尻娘』を書くときに、こっちが二十七、八じゃないですか。主人公は十五だったでしょう。 何が違うかというと、男と女が違うと考える前に、彼

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    d346prt 2008/06/28
    年代や世代を遡って思考する際、状況の違いを想像するのに彼我の差を情報の差と捉えて「情報を抜く」と定義したお話し。
  • a hollow man - 内田樹の研究室

    桂の西願寺の研修道場にて「現代霊性論」と題する講演。 聴衆は研修会に参加されている全国各地の若手の僧侶のみなさんである。 教学や組織論の講義のあいまに、私がひとりだけ「非僧」の民間人として講師にまぎれこんでいる。 今回のテーマは当日朝発作的に思いついた「記号と霊性」。 私たちの社会でいま急速に進行しているのは、「記号化の過剰」とでもいうべき事態ではないか。 そんな気がしたのである。 あらゆる人間的営為をことごとく数値化・定量化し、それを「格付け」するという操作に日人がこれほど熱中したことがかつてあっただろうか。 私の記憶では、ない。 文科省が大学に提出を要求するペーパーの要求のうちいくつはもうほとんど「ものぐるひ」のレベルに達している。 そこには、「教育目的」と「教育方法」を記述し、そのプログラムがどのような「教育効果」をもたらしたかを数値を明らかにした evidence based

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    d346prt 2008/06/12
    自分の物差しで測れないと怖いって事は、測れないものへの想像力がないのかな?/コメ欄は相変わらずだなぁ…よくもあれだけ書いてないことを想像できるものだ。
  • 記号的な殺人と喪の儀礼について (内田樹の研究室)

    秋葉原の事件について平川くんが書いている。 http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/ 彼のオフィスは秋葉原だから、まさに目と鼻の先で起きた事件である。 平川くんはこの事件については「よくわからない」という節度を保とうとしている。 確からしいことは、「かれ」は俺たちがまだ見出せていないような「必然」によって社会との繋がりから切断された存在になっていたということだけである。 その「必然」が見えなければこの事件は被害者と加害者というような明確な輪郭を持ってはいても、加害者の中に広がっていった闇については何もわからないままである。 もっと、言うなら、その闇の意味を見出せないままに書かれた「再発防止」の処方は、その闇を隠蔽し、広げるだけだと、俺は思う。 私は最後の部分が平川くんのとくに言いたいことだろうと思う。 無差別に人を殺すことを決意した人間の中にある、私

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    d346prt 2008/06/11
    被害者に関して掘り下げる報道は確かに疑問。記号化を避けんがためなのかもしれないけど(マスコミに好意的に見れば)度を越せば毒だよね。/解釈の単純化、二元論化、思考停止、増えてるね。
  • X氏の生活と意見(内田樹の研究室)

    クリエイティヴ・ライティングの授業で先々週の宿題に学生たちに「・・・さんの生活と意見」というタイトルを課した。 さきに高橋源一郎さんの『タカハシさんの生活と意見』の一部を読み聞かせ、これが『伊藤整氏の生活と意見』、『得能五郎の生活と意見』、『江分利満氏の優雅な生活』といった先行作品を踏まえたもので、さらには遠くロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディの生活と意見』にまで遡る伝統的なタイトリングである、という話をしたのである。 『トリストラム・シャンディ』について日で最初に言及したのはおそらく夏目漱石である。 漱石はこの奇書についてこう書いている。 「今はむかし、十八世紀の中頃、英国にロレンス・スターンという坊主住めり。最も坊主らしからぬ人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著し、その小説の御蔭にて、百五十年後の今日に至るまで、文壇の一隅に余命を保ち、文学史の出るごとに一頁または半頁の労

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    d346prt 2008/05/19
    伝えるのって難しいんだよねぇ。あと、2chのコピペってある意味本歌取りかも?
  • 週末婚? - 内田樹の研究室

    ゼミのお題は「週末婚」。 「しゅうまつこん」と聴いて「終末婚」という文字を思い浮かべた人もいた(臨終間際に永遠の愛を誓い合う男女・・・シュールだ)。 週日はばらばらに暮らして、週末だけいっしょに過ごす。 自分らしいライフスタイルは仮に配偶者であっても邪魔されたくないという欲求が見出したソリューションである。 なるほど。 発表した学生によると、週末婚実践者たちのブログをチェックすると、GW明けは男女問わず「配偶者と長くいたので、疲れた」という愚痴が書かれていたそうである。 疲れる理由は「自分のペースで生活できない」。「家事負担が増える」などなど。 要するに配偶者が「自分の生活」に関与してくるのをどのように抑止するかにみなさん心を砕かれているわけである。 そうですか。 でも、それなら結婚しなけりゃいいじゃないですか、とゼミの学生たちが一様に言う。 そうだね。 まあ、先方にもいろいろご事情という

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    d346prt 2008/05/14
    親族を大事にしてないのは、反省せねば。しかし、強者であることがすくないのよね...orz