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安楽死に関するdaaaaaaiのブックマーク (6)

  • 次のAmazonレビューを確認してください: 欧米に寝たきり老人はいない - 自分で決める人生最後の医療

    「欧米には寝たきり老人がいない」という情報に接した時以来、当だろうか、当だとしたら、なぜだろうかという疑問を抱いてきたのですが、今回、『欧米に寝たきり老人はいない――自分で決める人生最後の医療』(宮顕二・宮礼子著、中央公論新社)を読んで、全ての疑問が氷解しました。それだけに止まらず、満足のいく最期を迎えるために、高齢者の終末医療はどうあるべきかを考える必要性に気づかされました。 欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのでしょうか。「ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係のにも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、『自分の国でも寝たきり老人はいない』とのことでした。・・・『なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?』。答えはスウェーデンで

    daaaaaai
    daaaaaai 2019/03/25
    はい~
  • 鎮静は安楽死の代わりの手段なのか? 治療の一つだと信じてきた私の動揺

    鎮静するかしないかは自分自身で決めるべきか?人生の最期に、耐えきれないほどの苦痛がある患者は、自分で鎮静を行うかどうかを自分で決めることができないことが多く、結局家族に判断が委ねられます。そしてその後を生きる、家族にとってさらに悲しみを深めることがあることを前編で述べました。 それならば、鎮静を受けるかどうかは、患者人が決めたら良いのではないか。当に苦しくなってから決められないのなら、予めまだ体調がよい間に、人、家族と、医師が話し合っておいたら良いのではないかと思うのは当然です。 しかし、この当然の事を現実に実行するのは、そんなに簡単なことではありません。 なぜなら、「あなたは間もなく死を迎える」ということを伝えずして、鎮静を話し合うことはできないからです。 「今後病状が進み、死を間近したとき、あなたは相当苦しむかもしれない。その時は鎮静を受けますか?」と、当に患者に「死を迎える」

    鎮静は安楽死の代わりの手段なのか? 治療の一つだと信じてきた私の動揺
    daaaaaai
    daaaaaai 2019/01/30
    鎮静の受け入れ、いつごろ自覚するべきなのか。素人考えだけれど、癌だったり死に至る病が診断されたら、(致命的ではなくとも)もらえるパンフかなにかに書かれているとよいとか?
  • 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること/児玉真美 - SYNODOS

    尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。 「おぞましいこと」は当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分に承知していながら、なおかつそれらをこの人は「おぞましい」とは思わない、ということなのだろうか? ……目の前の議論から脱落し、そこに立ち尽くしたまま、私の頭はこだわり続けてしまう。 2006年の夏から、インターネットを使って介護と医療に関連する英語ニュースをチ

    安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること/児玉真美 - SYNODOS
    daaaaaai
    daaaaaai 2019/01/17
    正解はない。というのがこれでもかとわかる。法制化して一線を越えるのはとどまってほしいけれど、曖昧な手法とケースが増えていくのかも・・・
  • うまく死ぬには現代は複雑すぎる──『現代の死に方: 医療の最前線から』 - 基本読書

    現代の死に方: 医療の最前線から 作者: シェイマス・オウマハニー,小林政子出版社/メーカー: 国書刊行会発売日: 2018/10/19メディア: 単行この商品を含むブログを見る病気をしているわけではないのだけれども、最近死について考えることが増えた。はたして、自分は余命宣告されて、それを受け入れられるだろうか。治療方針や、諦めどころなど、難しい決断を迫られて対処できるだろうか。何もできず生きながらえるだけは嫌だと思うが、死を前にしてそれが自分に選択できるか、などなど。 死は一つだが死に至るルートは複数あり、自分はまだ死んだ経験はないので、備えようと思っても難しいものがある──と、そんなことを考えているうちに刊行されたのが、シェイマス・オウマハニー『現代の死に方』だ。アイルランドで医者として日々患者らと接し、数多くの死をみてきた著者による死に方についてのエッセイであり、哲学者から有名人、

    うまく死ぬには現代は複雑すぎる──『現代の死に方: 医療の最前線から』 - 基本読書
    daaaaaai
    daaaaaai 2019/01/07
    死に正解はない・・・
  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

    人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    daaaaaai
    daaaaaai 2019/01/07
    よい記事で、難しい宿題。境界は曖昧。決断を先送りにして家族も医療も延命し続けるんだろうけれど、どこかで臨界点はくるのかどうか。
  • 積極的安楽死に反対の緩和ケア医が、安楽死の議論を始めようとするワケ

    には死について語りあう土壌すら育っていないこのようなやりとりは、患者を看取る医療者であれば多くの方が経験していることです。 もちろん、医師が患者さんに対して心臓を停止させる薬物を投与したり、医師が処方した致死的薬剤を患者さん自らが服用するなどの方法によって、死を早める(つまり安楽死を施す)ことは、日の法律では認められていません。 その一方で、朝日新聞社が2010年に行った世論調査(有効回答2322人、回収率77%)では、積極的安楽死を自ら選びたいか、また日において法律で認めるようにするべきか、という質問にどちらも約70%の方が賛成しています。 また、脚家の橋田壽賀子さんが、その著書『安楽死で死なせて下さい』 (文春新書)にて、スイスでの積極的安楽死を望んでいることを明らかにしたり(その後、「あきらめた」ということも報道されましたが)、海外安楽死を遂げた方の報道がなされたりする機

    積極的安楽死に反対の緩和ケア医が、安楽死の議論を始めようとするワケ
    daaaaaai
    daaaaaai 2018/06/26
    これから増える高齢者・がん患者を十分とりこめる緩和ケアが実現できないというのも大きな問題。 併せて読みたい http://bunshun.jp/articles/-/6536
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