ラス・ビハリ・ボースは、1886(明治19)年インド ベンガル地方に、政府新聞の書記をしている父 ビノド・ビハリと母 ブボネンショリの長男として生まれました。家は代々武士の階級(インド4階級の2番目)でした。幼少期は母方の叔父のもとで育ち、その後シャンデルナゴルへ、続いて父の転勤でカルカッタへ移り、再び父の転勤があると叔父の家へと移り住み、転々とした生活を送ります。このような家庭環境からくる寂しさや不満が、ボースの革命精神をより増強させていったのです。 ボースの中の革命家精神を目覚めさせたのは、学生時代、当時の新刊で革命に燃える青年達に広く読まれた『サラット・チャンドラ』でした。その本に書かれたインド兵反乱に血を湧き立たせ、ボースは学業を捨てインド兵になることを志願。そして、ウイリアム要塞司令官に入隊を志願しますが、ベンガル人は身体特徴から兵士に向いていないという理由で志願兵として登録でき