トリリンガルになった娘 私の娘がインターナショナル・スクール(以下インター)のキンダーガーテン(幼稚園)に入ったのは1987年の9月のこと。娘はまだ3歳だった。以来、娘は学校では英語、家では日本語という生活をしてきたので、バイリンガルに育った。その後、アメリカの大学と大学院に進み、その間、中国の南京大学で2年ほどを過ごしたため、中国語とのトライリンガルになった。 この間、親も娘に追いつこうと英語の勉強をしたものの、大人になってからだったせいか、ネイティブの娘には遠く及ばなかった。今も、娘に「恥ずかしいから、私の前ではそんな英語を使わないで」と言われる。 思い起こせば、娘がインターに入ったときは、バブル経済の真っ盛り。“ジャパン・アズ・ナンバーワン”が実現したという時代だった。1985年のプラザ合意まで1ドル=240円だった円は1年後には150円まで上がり、ジャパンマネーは世界を席巻していた