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鉄道とおっさんホイホイに関するdaisukeeHTNのブックマーク (9)

  • 東急田園都市線「最後の踏切」はどこにあった? トンネル完成で廃止/旧道は分断 いざ現地へ | 乗りものニュース

    「踏切ゼロ」で知られる東急田園都市線ですが、かつてはいくつかあったようです。うち最後まで残ったのはどこで、現在はどうなっているのでしょうか。現地へ行ってみました。 田園都市線と横浜線を越えていた 東急田園都市線は渋谷駅を起点に神奈川県大和市の中央林間駅までを結ぶ、全長30kmあまりの通勤路線です。川崎市や横浜市のベッドタウンを経由することから利用者は多く、全車両が10両編成で運行されています。 そんな田園都市線は、「踏切ゼロ」の路線としても知られます。特に溝の口駅(川崎市高津区)以西は丘陵地帯をイチから開発した区間であり、掘割やトンネル、高架などで道路と交差しています。ただし、かつては複数の踏切があり、最後の箇所は平成時代まで残りました。 拡大画像 東急田園都市線で使われる2020系電車(2021年10月、大藤碩哉撮影)。 最後の踏切があったのは田奈~長津田間、名称は「田奈1号踏切」です。

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  • 20年ぐらい前の小田急多摩線はどのような路線だったのか : Odapedia ~小田急のファンブログ~

    小田原線の新百合ヶ丘から分岐し、唐木田までを結んでいる多摩線。 路線の距離が小田原線や江ノ島線と比べて短く、小田急の中ではのんびりとした雰囲気の路線です。 2000年代以降は輸送力の増強が続きましたが、近年は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、減便される傾向となっています。 輸送力の増強が続き、明るい話題が多くなってきた20年ぐらい前の多摩線は、どのような路線だったのでしょうか。 古い車両が集まる路線小田急の多摩線といえば、古い車両が集まる路線というイメージをお持ちの方は多いのではないでしょうか。 近年もその傾向自体は変わらず、8000形の界磁チョッパ制御車や、1000形のワイドドア車が走っていたのは記憶に新しいところです。 1990年代に多摩線が6両化されて以降、多くの列車は2600形で運転されるようになりました。 他の形式も走っていましたが、見かける機会が多いのは2600形で、走って

    20年ぐらい前の小田急多摩線はどのような路線だったのか : Odapedia ~小田急のファンブログ~
  • 発車時刻をカウントダウン表示するiアプリ「カウントダウンTRAIN Ver.2」

    ジェイアール東日企画は9月1日より、iモード向けサイト「JRトラベルナビゲータ」で、iアプリ「カウントダウンTRAIN Ver.2」の配信を開始する。同サイトの利用料金は、一部サービスを除き無料。 「JRトラベルナビゲータ」はJR、地下鉄、私鉄、飛行機の経路探索サービスや、運賃、終電情報などを提供するコンテンツ。同サイトで提供されている「カウントダウンTRAIN」は、乗りたい電車の発車時刻をカウントダウンで表示するiアプリだ。 今回の新バージョンでは、複数の時刻表を横スクロールすることで、切り替え表示が可能。同じ駅で複数の路線を利用する利用者が、時刻表を容易に比較できるようになった。そのほかにも多くの新機能が追加されている。 アクセスは「メニューリスト」-「交通/地図/旅行」-「JRトラベルナビゲータ」から。

    発車時刻をカウントダウン表示するiアプリ「カウントダウンTRAIN Ver.2」
  • 田園都市線の顔、消えゆく「8500系」銀色電車

    高さ230mの展望台から街を一望できる高層ビル「渋谷スクランブルスクエア」が2019年秋に開業し、今年1月には東京メトロ銀座線の駅が移転するなど「100年に1度」と言われる大規模再開発が進む渋谷。 街の姿が大きく変わりつつある中、その地下に延びる線路を黙々と、いや、より正確に言えばモーターのうなりを高らかに響かせて走り続けてきた電車が、世代交代の時を迎えている。東急電鉄田園都市線の主力として40年以上にわたり活躍してきた「8500系」だ。 形式を知らなくても、角ばった銀色のステンレス車体に「コルゲート」と呼ぶひだ状の模様が目立つ電車といえば、田園都市線の利用者にはきっとおなじみだろう。東急の歴代車両形式で最多の400両が導入され、長らく同線の「顔」だったが、新型車両の投入によって2022年度までに姿を消す予定だ。 やっぱり「音」が好き 低音と高音が入り混じった独特のモーター音を響かせて走り

    田園都市線の顔、消えゆく「8500系」銀色電車
  • 国鉄近郊形電車115系 定期運行率“14%”に 当たり前だった車両も絶滅危惧 いま乗れる路線は | 乗りものニュース

    関東エリアから中国エリアにかけて多くのJRの直流線区で走っていた国鉄の近郊形直流電車「115系」。最大約1900両が製造されましたが、新型車両との置き換えにより減少し続けています。いまどこで、どれだけ走っているのでしょう。 当たり前に走っていた115系 国鉄時代に関東・中部・近畿・中国の各エリアに導入された近郊形直流電車の「115系」。JRとなってからも多くの路線で使われてきましたが、新型車両の投入により廃車が進み、車両数が大幅に減少しています。 拡大画像 2022年3月12日のダイヤ改正で定期運行を終了したJR東日新潟車両センターの115系。写真は「旧弥彦色」復刻塗装車(画像:写真AC)。 115系は、もともと東北線・高崎線上野口で使用していた車両の性能アップを目的として、国鉄が1963(昭和38)年1月に投入を開始した国鉄電車です。東海道線の東京口で使用していた111系電車を基

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  • 東急8500系、残り1本のみに 最後の“赤帯”が引退 「これまでのご愛顧に感謝」 | 乗りものニュース

    全盛期には400両が在籍しました。 8500系が有終の美を飾れますように 拡大画像 このたび定期運用を離脱した8500系電車の8631編成(画像:東急電鉄)。 東急田園都市線の古参車両、8500系電車の8631編成が2022年5月25日(水)、定期運用を離脱しました。 8500系は1975(昭和50)年、当時の営団地下鉄半蔵門線への乗り入れ車両として登場。以降、東急電鉄最多を誇る400両が製造され、長く田園都市線の主力車両として活躍してきました。 8631編成は長津田車両工場(横浜市緑区)へ回送。その様子は7月、東急電鉄の公式YouTubeチャンネルなどで公開されます。同社は「これまでのご愛顧に感謝いたします」としています。 同編成の引退に伴い、残る8500系は青い帯をまとった8637編成を残すのみとなりました。 【了】

    東急8500系、残り1本のみに 最後の“赤帯”が引退 「これまでのご愛顧に感謝」 | 乗りものニュース
  • 沢山書いたやで   ・実名主義 80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だか..

    沢山書いたやで ・実名主義 80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。 職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。 ・MDMA(エクスタシー)の不使用 MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。 心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。 ・マリファナの不使用 90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵

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  • 東急田園都市線の顔「東急8500系」を振り返る 半世紀を走った銀の車両 車内には扇風機 | 乗りものニュース

    東急の8500系電車は、1975年に誕生した同社屈指の長寿車両です。田園都市線での運用が半世紀近くになってもその走りは衰えず、力強いモーター音も健在と、単に年数を重ねただけではありません。長く主力を務めたその足跡をたどります。 登場から45年 多摩田園都市の象徴的な存在 東急8500系 東急8500系電車は、多摩田園都市の成長期、1975(昭和50)年に誕生して以来、2020年現在も東急田園都市線を走り続けています。いまでは地方鉄道や海外に転出した仲間もいます。しかし、45年以上も登場時の路線で活躍している車両は珍しく、驚きに値します。 拡大画像 田園都市線を走る東急8500系。この編成は、2020年3月に引退している(2011年6月、大藤碩哉撮影)。 もっとも、近年に登場した電車に比べて見劣りするところもあります。車内でいまだに扇風機が首を回している様子はレトロ感があります。「次の駅はど

    東急田園都市線の顔「東急8500系」を振り返る 半世紀を走った銀の車両 車内には扇風機 | 乗りものニュース
  • 覚えてますか?電車の中の水飲み封筒

    最近、全然見かけなくなりましたが、昭和の頃には電車の中でよく使ってましたよね? あの、封筒型のコップ……というかなんというか謎のアイテム。 当時はなぜ、何の疑問も抱かずにアレを使って水を飲んでいたのか? 実際問題、あんなもので水は飲みやすかったのか? まだ普通に売られていたので買って使ってみました。 1975年群馬生まれ。ライター&イラストレーター。 犯罪者からアイドルちゃんまで興味の幅は広範囲。仕事のジャンルも幅が広過ぎて、他人に何の仕事をしている人なのか説明するのが非常に苦痛です。変なスポット、変なおっちゃんなど、どーしてこんなことに……というようなものに関する記事をよく書きます。(動画インタビュー) 前の記事:色んなものに目玉シールを貼ると愉快になります > 個人サイト Web人生

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