元ソフトバンクのブラッド・ペニー (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 平成が終わる。新たな時代を迎える前に、今一度「平成30年」の日本プロ野球を振り返ると、そこには数々の優良助っ人たちがいた一方、様々な理由で期待外れに終わった男たちがいた。1989年(平成元年)以降に在籍した“平成ダメ助っ人”を球団別に選出したい。 ■西武 アーキー・シアンフロッコ 2年連続で30本塁打を放ってリーグ優勝に貢献したマルティネスに代わる新外国人として1999年に西武に入団したのが、シアンフロッコだった。マルティネスの解雇の理由が「全く守れなかった」こと。それを教訓に、守備の万能性とパワフルな打撃を併せ持つ選手という触れ込みだったが、開幕から全く打てずに低空飛行。計15試合で打率.163、2本塁打、5打点に加えて、守備も乱れて5失策。4月末に2軍降格となり、そのまま退団となった。同年、西武はリーグ優勝を
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