先月、桜宮高校の男子生徒が自ら命を絶つという痛ましい事案が発生しました。あらためて、ご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の皆様に対しまして心からお悔やみを申し上げます。 かけがえのない子どもの命が失われてしまった取り返しのつかない事態です。子どもの安全を何よりも守らねばならない学校現場で、決してあってはならないはずのことでした。その責が教員、学校だけでなく、教育委員会、行政にあることは言うまでもありません。外部の目を入れた徹底した調査により早急に実態解明に努め、このような事態を発生させた風土を刷新しなければならないと考えています。 「体罰禁止」というスローガンを掲げ、関係者を処分するといったお決まりの幕引きには絶対にしません。ご遺族の悲痛な声をお聞きし、専門家の意見を聞く中で、運動部出身の私自身の認識も大きく変わりました。スポーツ指導における体罰や暴力行為は許されません。一方で、学校現
宮城県石巻市渡波(わたのは)地区で、東日本大震災での被災にもめげず、子どもたちを守り育てている民間の保育所がある。 震災のあと、水を怖がるようになったり、転居が重なり集中力がなくなったりした子どもたちも、震災から1年半が過ぎて元気を取り戻したという。保育所から見た被災地の現況を伝える。 黒板に「全員無事、山に逃げる」 この保育所は石巻市塩富町の「たんぽぽ保育園」で、認可外の民間保育所だが、保育時間を夕方6時まで延長していることなどで、市の補助対象施設に位置づけられている。園長の千葉初美さん(72)が1988年に自宅の庭で開設した。
東京都が全公立小中学校の校庭の芝生化を進める中、東京・多摩地区でも、児童らが緑の上で楽しむ姿が見られるようになってきた。芝生の維持管理には地域の協力が必要で、住民が負担を感じないような環境作りも大切だ。 夏休み期間中の8月下旬、武蔵村山市立第三中の校庭から、うなるような低い音が聞こえてきた。近くに住む鈴木一男さん(70)が、乗用芝刈り機で芝を3・5ミリに刈り込んでいる。顔や腕は日焼けで真っ黒だ。「こまめに刈り込み、手をかけるほど良い芝になるんですよ」。刈り込まれた芝生を見ながら目を細めた。 鈴木さんは、芝生の維持管理を行うため、保護者や地域住民ら約25人で作ったグループ「グリーン・サポーター」の副会長。教員らとともに、月に2回、水曜の放課後の芝刈りに参加している。冬は雑草取りのため、週に数回、学校を訪れることもあるという。 同校では昨年度、校庭のの一部、約1300平方メートルを芝生に
しかし、それだけでは問題の本質的な改善にはならない。こうしたことが頻発する構造問題を一つひとつ明らかにして手を打っていく必要がある。 その中で最も重要な点の1つが学校と地域の関係だろう。 今回いじめ問題を起こした町で記者会見に臨んでいる教育長や校長の姿で違和感を感じるのは、どこか上の空の対応である。 教育委員会や教員がその地域にしっかり根を張っていれば、恐らくあのような対応は生まれないのではないだろうか。 昨日、長野県の下條村を訪れた。東京都心から280キロほど、車で約4時間走ったところにある人口4000人の小さな村である。 村のほとんどが中山間地で目立った産業もないが、日本全国から視察団が絶えない。 その理由は1992年に村長になった伊藤喜平さんによる村の経営が見事だからである。 本来なら過疎に悩んでもおかしくないのに、特殊出生率が2.04と日本ナンバーワン。若い人が住み着き人口が増えて
乙武洋匡 @h_ototake 1.自殺で亡くなった方の遺族らによる団体からお話しを聞く機会を得た。彼らは、「自殺」ではなく、「自死」という言葉を使った。「自殺」という言葉は、非人道的なイメージを含む。みずから命を絶つことは、けっして悪ではない。病気や事故で亡くなる方がいるように、自死という最期もあるのだ、と。 2012-07-18 16:50:40 乙武洋匡 @h_ototake 2.たしかに、遺族の方々の多くは、深い悲しみとともに、「どうして気づけなかったのか」「本当に救えなかったのか」という後悔や罪悪感に襲われてしまうのだろう。そのとき、「自殺は悪である」という考え方は、いよいよ自分たちを苦しめることになる。だから、自死という選択を認める、受け入れる。 2012-07-18 17:00:40 乙武洋匡 @h_ototake 3.ただ、この価値観を広く社会に広めていくことに、僕はまだ抵
9/29締切【4ヶ月完結・オンライン+現地】わたしをいかした小さな商いをはじめる。まち商いスクール in 福島県双葉町 \先着300名無料/10/29 キノマチ大会議~流域再生で森とまちをつなげるオンラインカンファレンス 緑のなかのコワーキングスペースも誕生!野生植物の階層をデザインして“究極の庭”を作る「Future Garden」[マイプロSHOWCASE] 2012.04.24 杉本 恭子 杉本 恭子 みなさんは“庭”という言葉からどんな空間をイメージしますか? 季節ごとに咲く花を眺めたり、家族や友人とおしゃべりやバーベキューを楽しんだり。いわば、居住空間の延長線上にある「見る」「居る」ための空間ではないかと思います。 ところが、「Future Garden」の道端慶太郎さんのお話からは、「動く」「遊べる」「使える」「食べる」「楽しむ」とアクティブな動詞がどんどん飛び出してくるのです
学生の頃、塾の講師や家庭教師のアルバイトをした際に、「理解能力が高いのに、学校の成績は良くない」という不思議な生徒が一定の割合で存在することに気がついた。 1.謎の成績低迷 一例として、私が家庭教師を務めたA君(当時中学2年生)のエピソードを紹介する。 家庭教師を引き受けた際、A君の通知表を見たところ、5段階評価で「2」が多く、総合すると「下の中」といった成績だった。簡単にテストをしてみたところ、中学1年生の初期で習う分野から理解が曖昧だった。例えば、数学では文字式を理解できていなかった。 当時、「A君の成績を上げるのは大変そうだな」と、悲観的な気持ちになったことを今でも鮮明に覚えている。 しかし、指導を始めて数週間が過ぎた頃、良い意味でA君に驚かされた。時間を掛けて教えてあげれば、実に良く理解してくれるのである。平均的な生徒と比べると理解するスピードはゆっくりだが、能力的に劣っているとい
9/29締切【4ヶ月完結・オンライン+現地】わたしをいかした小さな商いをはじめる。まち商いスクール in 福島県双葉町 greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→ 子どもの頃、あなたの周りにはどんな大人がいましたか?近所に住む頑固オヤジ、駄菓子屋さんのおばちゃん、子どもに人気の名物おじさん……。街には顔見知りの人々がいて、声をかけあいながら暮らしていたのではないでしょうか。 でも、今の都会の子どもたちには、そんな街の人々がいません。家と保育園・幼稚園の往復で、若い女性ばかりに囲まれて過ごしているのが現状です。それならば、街ぐるみで子どもを育てる環境を、保育園から作っていこう。そんな発想で生まれたのが「まちの保育園」です。
先月の30日、いわゆる「君が代不起立訴訟」について、最高裁が原告側の上告を棄却する判決を下した。 興味深い話題だ。 が、記事として取り上げるのは、正直に言って、気が重い。 今回は、私自身のこの「気後れ」を出発点に原稿を書き始めてみることにする。 「君が代」について書くことが、どうして書き手にストレスをもたらすのか。 「君が代」の最初の課題はここにある。圧力。見逃されがちだが、大切なポイントだ。 気後れの理由のひとつは、たとえば、コメント欄が荒れるところにある。 愛国心関連の記事がアップされていることが伝わる(どうせ伝わるのだよ。どこからともなく。またたく間に)と、本欄の定期的な読者ではない人々も含めて、かなりの数の野次馬が吸い寄せられてくる。その彼らは、「売国」だとか「反日」だとかいった定型的なコメントを大量に書きこんでいく。休止状態になっている私のブログにも、例によっていやがらせのコメン
11月26日、インターネットユーザー協会(MIAU)のニコニコ生放送公式番組にて、「ここまで来た、学校とネットの新しい関係」と題した放送を行なった。内容的にあまりネットユーザー受けしないように思われたので視聴者数が心配されたが、実に2万人以上が視聴する結果となった。ニコニコ動画のプレミアム会員なら、1週間以内であればタイムシフト視聴できるので、ぜひご覧いただきたい。それ以降はニコニコ動画にアーカイブを掲載しているので、そちらをご覧いただいても構わない。 番組では、東京都教育庁のICTプロジェクトによる都立高校の実際、過去このコラムでも取り上げたことがあるTwitterで情報公開する越谷市大袋中学校、そして兵庫県神戸市にある私立須磨学園中学・高校の「制ケータイ」を導入事例をご紹介した。 特に制ケータイ導入のニュースは、子どもとケータイ、ひいては情報教育に関わる人達の間ではかなり大きな衝撃をも
タイトルだけを見ると、今回も女性向けに書かれた本のように思える。だが、中身は女性に限らず、あらゆる社会人に向けられた「働く心構え」の教えである。 部下をいかに育てるか、いかに組織を率いていくかという、上司・リーダーの心構えも含まれているが、書かれている内容の多くは、社会人にとっては基本中の基本だと言える。 坂東氏がこうした基本を強調したかったのには、もちろん理由がある。その奥に浮かび上がるのは、日本の教育が抱える根深い問題だ。 「一番大事なこと」を誰も教えてくれなくなった ── ビジネスパーソンにとっては非常に基本的な内容だという印象を受けます。あえてこうした内容の本を書いた理由は何でしょうか。 坂東氏(以下、敬称略) かつての日本の企業は、「人材養成機関」でした。大学を出たばかりで、それこそ口の利き方とか挨拶の仕方も分からない新人に手厚い教育を施して、企業を支える人材を育てあげた。大学時
また、IT企業は、情報系学生に「情報系分野の基礎理論と基礎知識の習得」を求めるとともに、「チームによるシステム開発経験」があってほしいと考えている。プログラミングスキルや基礎理論に関する教育は、教育機関側は対応しているが、「チームによる開発」については、ほとんどカリキュラムに取り入れられていないのが現状だ。 「このままでは日本のエンジニアは国際競争を生き抜けない」 実は、この「ズレ」はずいぶん前から認識されていた。しかし、これまでなかなか大学側が対応ができずにいたのはなぜなのか。 「理由はさまざまあるが、前もって定められたシラバスをすぐに変更できないこと、教える側の人材不足といった事情から、改革がこれまでうまく進んでこなかった」と、田中氏は指摘する。 だが、そうもいっていられなくなってきた背景には、激化しつつある「国際競争」への懸念がある。従来の手法では、学生が現場で使えるスキルを身に付け
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