政府が11日に開いた東日本大震災4周年追悼式で、宮城県の遺族を代表して菅原彩加さんが思いを述べた。全文は次の通り。 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。 小さな集落でしたが、朝、学校へ行く際、すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声を掛けてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。 あの日、中学校の卒業式が終わり、家に帰ると大きな地震が起きました。逃げようとした時には既に遅く、地鳴りのような音とともに津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。 しばらく津波に流された後、私は運良くがれきの山の上に流れ着きました。その時、足元から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見ると、くぎや木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、がれきをよけようと頑張りましたが、私1人にはどうにもならないほどの