親と子供が初めて対立する時、その筆頭は、子供が将来の進路を決めようとする時ではないだろうか。 現代はあくまで子供の意志を尊重しようとする親や、逆に親の希望をはみ出さない範囲で進路を考える子供が多いのかもしれないが、それでも価値観の違いによって食い違いが生じることはある。 それまで親の庇護下にあって概ねは親に従ってきた子供が、年頃になって親とはまったく異なる将来を思い描き、親が進んできた道とは完全に別の道を選ぶとは、少し大袈裟に言えば、親の作ってきた世界にNOを突きつけるにも等しい「反逆」である。 だが、親子間に明確な権力関係があればあるほど、この「反逆」の意味に親はなかなか気づくことができないだろう。『リトル・ダンサー』(スティーブン・ダルドリー監督、2000)に登場するのも、そんな父親である。 跳躍する少年ビリーと地下に潜る父ジャッキー 1984年、イギリス北部の小さな炭鉱の町。学校帰り
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