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ブックマーク / scopedog.hatenablog.com (5)

  • アパホテルが「「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々」と称して公表している内容について反論しておく - 誰かの妄想・はてなブログ版

    アパホテルにヘイトまみれの南京事件否定が常置されていることが海外にばれた件。 指摘を受けたアパホテルは公式サイトに、「「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々」なる文章をアップしていましたので一応反論しておきます。 長くなりますので、アパホテルが「「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々」として挙げている8項目について最初に一言で反論し、詳細はその後に記します。 # アパホテルの主張 事実 1 犠牲者の名簿がない 誤り。名簿は存在してるし、そもそも名簿の有無と虐殺の有無がリンクするわけでもない。 2 南京は人口20万人だから30万人も虐殺できない 論拠不十分。南京の人口が20万人だったという証拠がないし、虐殺数は軍人含めた数値なので民間人の人口だけで否定できるわけでもない。 3 蒋介石は南京事件に言及していない 誤り。蒋介石は日記にも書いてるし、国民政府としては国際連盟でも言及している。

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  • 歴史修正主義者の極右政治家、永眠。 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    極右政治家の奥野誠亮氏が亡くなりました。 これを報じる産経記事に以下のような記載があります。 2016.11.17 10:50更新 奥野誠亮元法相が死去、103歳 保守政治家の最長老 国土庁長官だった62年5月には、国会で、先の大戦について「日に侵略の意図はなかった」「盧溝橋事件は偶発的」などと答弁したことが批判され、閣僚を辞任した。 http://www.sankei.com/politics/news/161117/plt1611170009-n1.html これ(昭和)「62年5月」ではなく、1988年(昭和63年)の5月です。1987年(昭和62年)5月の時点では奥野氏は国土庁長官ではありません。 そして、この奥野発言に伴う騒動に、最晩年の昭和天皇が言及したのが富田メモとして知られています。 前にもあったが どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったが 藤尾(文相)の発言。 =奥

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  • 百田尚樹氏が流布するデタラメに対する指摘 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    スマイス調査が証明する「日軍による民間人死者は少なかった」 最後に、南京の金陵大学教授ルイス・C・スマイスによる戦争被害調査(『南京地区における戦争被害:1937年12月〜1938年3月』)をみてみましょう。これは南京城内とその周辺地域における人的・物的被害を調べたものであり、加害者が日軍か中国軍なのかを特定していないものの、被害の実態を知るうえで貴重な資料です。 調査方法は、市術地では50戸に1戸、農村部では約250世帯に1世帯を抽出し、彼が中国人助手と共に面接調査したものです。大雑把な調査ではありましたが、南京における唯一の学術的調査といっていいものです。これは「南京大虐殺」を肯定するものでしょうか。否定するものでしょうか。 このスマイス調査によれば、南京市街地での民間人の被害は、暴行による死者が2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、さらに南京周

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  • 1968年における「慰安婦が半強制的な形で派遣された」という指摘 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    以前、「日社会は1990年代まで慰安婦問題をどのように捉えてきたか」という記事を書き、敗戦直後から慰安婦に関連する議論がどのように展開されたかを簡単に述べましたが、「「従軍慰安婦問題」の歴史は意外と新しい」とかのたまう人がやはり多いようですので、改めて述べておきます。 まず、最初に言えるのは、吉見義明氏の「従軍慰安婦」(1995)、朝日新聞の報道(1992)、吉田清治氏の「私の戦争犯罪」(1983)よりも先に千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973)があり、それ以前にも慰安婦らの悲惨な境遇に関して1960年代後半〜1970年代初頭には既に多くの書籍・記事が出ていました。それを知らない、調べない人は「「最初」の慰安婦問題は、1980年代に、吉田清治という山口県の男性が、戦時中に済州島で朝鮮人を奴隷狩りしたという衝撃的な告白をしたことからはじまります。」*1とか言ってしまうわけです。 さて、それ

    1968年における「慰安婦が半強制的な形で派遣された」という指摘 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 「日本帝国の申し子」に「朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した」と書かれているというデマ - 誰かの妄想・はてなブログ版

    実は前回、この話の根拠資料がわからない、と書いたときに、「朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇」説の根拠候補に、エッカートの「日帝国の申し子」が挙げられていることは知っていました。 Wikipediaでもそう書いてあるんですね。 併合時における朝鮮の国民経済は破綻しており、住民からの徴税も困難な状態にあったため、日は併合後10年間、所得税を免除した。朝鮮総督府は日政府の財政支援の下で鉄道から医療まで朝鮮半島へ最先端の各種インフラを導入して整備するとともに、教育にも力を入れ、学校を多数建設した。朝鮮人の寿命は伸び、人口は1910年には1313万人であったものが32年後の1942年には2553万人とほぼ倍増し、朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した[6]。 6.^ a b c カーター・エッカート 『日帝国の申し子』 ISB

    「日本帝国の申し子」に「朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した」と書かれているというデマ - 誰かの妄想・はてなブログ版
    dddeee
    dddeee 2012/11/27
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