撮影:2022年5月。御柱直前の街の様子。 タイトルの言葉は、御柱祭のキャッチフレーズ?いつから出てきたか分かりませんが割と 御柱祭を表す言葉としてよく出てきます。 山で切り出した大木が最後には神社に運ばれ、そこに神が宿る、という祭りそのものを 表している言葉ですが、今回御柱に参加して、ああ、こういうことか、という自分なりの 理解を得ました。 そもそも、身の回りの物は草木の一本、石ころの一つにいたるまで、全てのものに 神は宿っていると思います。だから、御柱も石ころも、同じように神が宿っていて 同じように尊いはずです。 だけど、残念ながら、人はなかなか、石ころを同じように尊く感じることは難しい。 その辺の石ころに神が宿っているとはなかなか感じにくい。 そう感じるためには舞台装置と過程が必要です。 だから、山奥の森から樹齢180年のモミの大木を選び、木を伐り、苦労して苦労して 自分たちの手で、