サブプライム危機以来、それ見たことかといわんばかりに、マル経の残党が『金融権力』や『閉塞経済』などの駄本を出しているが、本書は行動ファイナンスの専門家によるオーソドックスな金融理論を踏まえた議論である。 ところが皮肉なことに、その論理構成は宇野弘蔵によく似ている(著者も岩井克人『貨幣論』に言及しているが、あれは宇野のパクリ)。マルクスが資本主義の本質を生産(労働)に求めて労働価値説のアポリアに陥ったのに対して、宇野は流通にその本質を求めた。これは市場で価格が決まると考える新古典派と基本的には同じである。 宇野は資本主義の歴史を差異による利鞘の進化と考えた。商人資本主義は地域による価格差で利潤を上げたが、この差異は通商が発達すると消滅する。これに対して産業資本主義は資本蓄積で利潤を上げたが、これも同様の資本家が出てくると競争によって利潤率が低下する。そこで資本の有機的構成の高度化(技術革