何かすごい好評だったのでもう一発・・・これで終わりw 以下は全然まとまってないですけどオレが今考えてることをいくつか大雑把に。 (1) ◆言及リンクなしトラックバック論争感想 - ぶろしき 例えばこの辺で書いた、リンクなしトラバを弾くか弾かないか選べるようにするかというような仕様はブログを提供しているサービスごとに違っている方が望ましいと考えている。こういった仕様の違いがそれぞれのサービスを利用しているユーザーに思想的偏り、のようなものを生みそしてそれが純化、先鋭化していく。そのうちどのブログサービスを利用するかの選択にはこういう思想的な選択、どういう思想的コミュニティに所属するか、というようなものが最も重要視されるようになるんじゃないかと思う。というよりそうなってくると面白いなとw (2) ◆http://www.jmrlsi.co.jp/menu/report/2003/net-com
初めに アスキーアート(AA)は、自由なものだとよく言われる。「パブリックドメインだ」とか「だれにもしばられない」とか。また私も前回のエントリーで、AAはそのように認識されていると、ギコ猫騒動を題材にして書いた。 だがAAにおいて、「盗作」する自由は存在していない。ここでの「盗作」とは、「他人が作ったものを、自分が作ったものであるかのように発表すること」という意味である。いくつかの出来事を見て、AAにおいても「盗作」は禁止されていると思うようになった。 今回のエントリーでは、その思いから出発した「アスキーアートにおける盗作の位置づけ」を考えてみたい。AAにおいて「盗作」はどのように見られているのか。なぜ自由が信条であるAAでも、「盗作」をする自由はないのか。以上のようなことを書いて行こうと思う。 私の考えとしては、AAにおいてもオープンソース文化と同じように評判(名誉)が重視されているため
ドメイン差し押さえがあろうとなかろうと、2ちゃんねるは(いかなる形であれ)続くと思われるが、2ちゃんねるの最大の致命的欠陥を修正しないと、問題はさらに大きくなる一方だろうと思う。 それは2ちゃんねるには「誰も責任を取らないシステム」が存在しているという意味である。だが、その「誰も責任を取らないシステム」が続く限り、2ちゃんねるはいずれ立ち行かなくなるだろう。 簡単に言えば、「ひろゆきは、2ちゃんねらーに責任を負わせればいい」ということである――とこれだけを読むと意味がわからないだろうから、長々と説明する。 ■2ちゃんねるは誰も責任を取らないシステムである 小難しいのは嫌いなので :kyoumoeの日記(ミス・ユニバース豪州代表) 短くまとめる :kyoumoeの日記(ミス・ユニバース豪州代表) 今、2ちゃんねらーが為すべきこと。 それはひろゆきに責任を取らせることでも、外圧に立ち向かうこと
最近id:mushimoriさんのエントリー「「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて」 にあれこれコメントしていたのですが(自分のブログを更新せずに何やってるのかと(特に白い人に)怒られそう)、議論に関わった手前、この問題(「死ね死ね詐欺」)について自分のところで改めて考えながらまとめてみようかと思います。 あいかわらず話題についていくのが遅い。 募金に対する私の考え まず私は、募金というものに対してあまり意味を見いだしていません。募金はそれによってわずかな人数の命が一時的に救われるというだけで(それ自体はとても大切なことだけど)、募金を必要とする人間を生み出す構造そのものを変えることには至りません。 たった百円ほど募金するだけで自分の持つ社会に対しての問題意識などを満足させてしまうことや、根本的な問題から目をそらし対症療法ばかりに目を向けさせる可能
2ちゃんねるの「良識」 2006年09月07日08時34分 / 提供:PJ 【PJ 2006年09月07日】− 巨大匿名掲示板2ちゃんねる(以下、2ちゃん)のトップページには壷の画像があり、2ちゃんを「壷」と呼ぶ人もいる。これは、他の掲示板で2ちゃんを「痰壷」と呼んだ人がいて、それを管理者が自虐的に取り上げたのが発端、と言う説がある。2ちゃんの「住人」たちが2ちゃんをどう捉えているのかを象徴するようなエピソードで、痛快な感じがする。 2005年9月のIT Mediaの調査によれば、2ちゃんの訪問者数は990万人、年齢構成は10代が20.0%、20代が15.0%、30代が30.7%、40代が21.9%、50代以上が12.5%となっている。また、掲示板の数は700以上にのぼり、各板に数100のアクティブスレッドがある。このような巨大な掲示板で、参加者に共通点を見出すのは困難である。 最近
ネットの世界には2種類の人間がいる。 騙す人間と騙される人間だ。 ■mixiの記事について ネットの世界には2種類の人間がいる。 匿名で意識不明の女学生のために鶴を折る人間と、実名で皮膚病患者を「ミイラ」と中傷する人間だ。 ■2ちゃんねるから匿名支援 "中1女子柔道部員がリンチで意識不明"事件で ■大学生、皮膚病患者を「ミイラ」「くせぇ」とSNSで写真付の中傷 ふーむ。と思っていた矢先に、こんな記事を見つけた。 ■2ちゃんねるとmixi?須賀川市立第一中学校リンチ事件に考える 2chねらーとmixiユーザー。 この違いはなんだろなぁ? 何かが決定的に違う。いろいろ考えた。で、思った。 ネットの世界には2種類の人間がいる。 インターネットの力を信じる人間と、信じない人間だ。 知っている人間とまだ知らない人間、と言い換えた方が分かりやすいかもしれない。 ミクシィやってる人はまだまだネットの力を
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「2ちゃんねるは議論できる場所ではない」 こういった批判を耳にすることは少なくない。その最大の要因として挙げられるのが、書き込みの追跡が不可能な点である。ある意見の持ち主を論破しようとしても、匿名であるためすぐに逃亡する。それだけならまだしも、他人のふりをして擁護意見を書き込む。過去の発言をなかったことにして都合良く立場を変える。ID制の導入により多少状況は変わったとはいえ、匿名掲示板は基本的にこういった詐術がまかり通る空間である。対面のディスカッションに慣れた人が、こういった「責任の不在」を致命的な欠陥と考えるのも無理はないだろう。 しかし、僕のように2ちゃんねるでばかり議論をしてきて、2ちゃんねるで議論の仕方を学んだような人間にとっては、むしろブログやmixiといった非匿名環境における議論の方がはるかに不自由に感じられる。なぜなら、名前が明かされているということは、自分が何者であるのか
乙武洋匡公式サイトは@niftyのウェブログ(blog)サービス「ココログ」で運営しています。 【ココログって何?】 【ココログ使い方ガイド】 ある日、ホームページにこんなメールが届いた。 【掲示板最大の2ちゃんねるで、名誉毀損されています。犯人を突き止めて、名誉毀損で訴えてください】 そこに記されていたアドレスをクリックすると、ニュース仕立ての「書き込み」がなされていた。 「東北地方に起こった大地震により、タレントの乙武さん(27)の家に火災が発生した。 26日午後9時20分、乙武さんの家は全焼し、丸焦げになった乙武さんの遺体が発見された。調べによると、妻の仁美さんはすでに脱出しており、なぜか逃げ遅れた乙武さんは自力でドアを開けられず、車椅子ごと火だるまになって発見された模様」 誰もが自由に書き込みできる匿名掲示板「2ちゃんねる」において、僕は不思議と愛されているようで、こ
前回のエントリで書き忘れたんですが、俺にとって、昔からどうにも不思議なのは、「実名」を晒すことを、多くの人が過剰に恐れすぎているんじゃないかということです。 実名だろうが匿名だろうが、他人に非難されるようなことを書かなければいいだけの話なんじゃないでしょうか。 俺、実名さらして、時には顔写真まで載っける文章書いて20数年ですけど、身の危険を感じるほど他人から恨まれたり、ストーキングされたことって一度もないですよ。(小さなクレームはしょっちゅうですし、ネットでつっこまれることはよくありますが)。 まあ仕事の原稿の場合、編集のチェックが入ることも大きいですけどね。でもライター個人としても、その文章を発表したことで生じるいろんな可能性をあらかじめ考えてから書くようにしていますけど。一方でネットでは自分の判断で発表しますが、こちらも特にこれといったトラブルはないなあ(どこまでトラブルと考えるかによ
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