タグ

ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (16)

  • なぜ2ちゃんねるは無差別連射レスの時代になったのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネタ的コミュニケーションからレス物量化へ 2ちゃんねるの限界が見えてきているんじゃないでしょうか。常接、ケータイから大量にレス可能になり、もはや削除などの管理が追い付かない。かつてネタ的コミュニケーションと言われていましたが、もはやそれもどこへやら。ただレス物量化してしまった。大量にレスしたもの勝ちの世界です。そうすると、暇で反射的なレスをするものが勝ってしまう。 これはいまさらということですでに何年も前から「2ちゃんねるの終焉」はいわれていた。あと聞きですが哲学板もまともに機能したのは最初の一年ぐらいでしょう。2ちゃんねるがまだマイナーでダイヤル回線でコストもかかり、レス物量が限られていた。 最近、ここで哲学的な発言を続けていることを不思議がられるようになってきました。確かに気がつくと他にだれもいなくなっている。かつては淡々と「哲学」する人がごろごろいましたが。いまは哲学好きで2ちゃんね

    なぜ2ちゃんねるは無差別連射レスの時代になったのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    denken
    denken 2008/12/08
  • なぜ東浩紀はすごいのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「動物化」という新時代宣言 東浩紀を象徴する言葉といえば「動物化」でしょう。「動物化」という考え方は既存言論のカウンターと位置づけられます。日の言論文化には文化サヨ的(主知主義的)な傾向が根強く残ります。「世界を理解しつくし世界を設計しなおせる。」このような傾向は東の登場前にすでに時代遅れなものと考えられ、パロディ、アイロニーへの転倒が行われていました。しかしこのような転倒さえ重たい。そこにはまだ言葉(思想)への執着がある。すでに若者はもっと軽く、世界にアディクションしていると訴えたのが東の「動物化」です。 これは社会への訴えというよりも、言論文化への訴えの意味が大きいでしょう。それまで時代の寵児とされていた浅田や宮台なども、もはや新たな若者文化からはズレているという新たな世代の言葉の到来を宣言したといえます。 そしていつの時代も一定数いる言論少年たちはいままでの言論を言語過剰で古いもの

    なぜ東浩紀はすごいのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 2ちゃねらーはなぜ気持ちが悪いのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ブログは前近代的合戦、2ちゃんねるは近代戦争 2ちゃねらーはいいたい放題、不作法などネットの荒らくれものというイメージで語られる。しかし2ちゃねらーの気持ち悪さはむしろその逆のところにあるのではないだろうか。2ちゃんねるはコミュニケーションのるつぼである。人類史上これほど不特定多数の人びとでコミュニケーションが行われたことはなかっただろう。このような場はネット上で2ちゃんねるだけとはいわないが、2ちゃんねるがネット上でも特殊な場であることにはかわりがない。 ホームページ、ブログ、パーソナルな掲示板では、参加者は参加者としての連続性をもつことで、ここに自らが表現される。そこでの議論はいわば近代以前の「合戦」である。かつての合戦では、「我こそは〜だ」と戦う前に名を名乗りあい、自らを誇示するとともに、相手が何者であるかをしる。 それに比べると、2ちゃんねるは近代の「戦争」のようだ。無名の人々が相

    2ちゃねらーはなぜ気持ちが悪いのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜウェブは資主義を越えていくのか 池田信夫「ウェブは資主義を越えていく」(ISBN:4822245969)を読んだ。書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。 資主義社会の前提は、資が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資家だから、資の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96 これによってITの世界では、資家と労働者を区別している「資」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれ

    なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「VIPPERvsVIPブログ連合」という聖戦 流行りは、「VIPPERvsVIPブログ連合」*1らしい。簡単にいえば、2ちゃんねるVIPネタを自分のブログでまとめて人を呼び、アフィリエイトなどで小銭を稼ぐのはけしからん、ということだ。(詳細はこのあたり*2、*3) 「のま」問題の再来といってもいいだろう。「のま」問題のときに、ボクはこれは「宗教戦争だ」といった。 このような意味で、2ちゃんねらーにとって「オマエモナー」は、単なる流行のフレーズ以上の特別な意味を持つ。 そして「モナー」とはこのような最強神としての偶像化である。「のまネコ」問題とは、その神が「無断で」金儲けに使われたのであり、神聖な神への冒涜の意味がある。これはある意味2ちゃねらーにとっても「宗教戦争」なのである。そうこれは「宗教戦争」というネタであるが、またマジなのだ。 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか

    なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか その2 「機械論の欲望」  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    素朴な「ネットの欲望」 「ウェブ進化論」 梅田望夫(ISBN:4480062858)は反響を呼んでいるようです。確かに面白いし、ネットでなにが起こっているかよくわかります。しかし「世界政府」など「危険なこと」も書いているにもかかわらずに、「素朴な好意論」が多いのが気になり、*1あえて引き続いて、少し後ろ向きな話をしてみたくなりました。 アメリカを中心とするネオコン(≒ネオリベラル)は、世界を民主主義化することが正義でありそのために武力もじさないということが言われていますが、それをグーグル的「民主主義」の中に見られると前述しました。それは、グーグルに見られる力の根底にネットの爆発的広がりという「ネットの欲望」にあり、それがネオリベラルの下支えにもなっているのではないか、ということです。そしてたとえば著者はこのを楽観主義に書いたと言っていますが、このへ「素朴な好意論」そのものが、「ネットの

    Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか その2 「機械論の欲望」  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 - Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか 「ウェブ進化論」 梅田望夫

    「ウェブ進化論」 「ウェブ進化論」 梅田望夫(ISBN:4480062858)を読みました。「当の大変化はこれから始まる」という野心的な副題がついています。最近、グーグルが凄いという話を聞きますが、なにが凄いのかが、書かれています。 著者によると、「インターネットの可能性の質」は、「無限大に限りなく近い対象から、ゼロに限りなく近いコストで集積できたら何が起こるのか。」というところにある、ということです。そして「いま多くの人々のカネと時間を飲み込んでその混沌が巨大化していく。そしてこの混沌という玉石混交から「玉」を見出す試みがおこなわれている。」すなわちこの巨大な混沌から秩序を生み出されていく可能性、そしてそれを触発する技術が今後10年の「情報そのものに関する革命的変化」になるだろう、ということです。これらの試みの例として、以下の動きが紹介されています。 「オープンソース現象」・・・リナ

    まなざしの快楽 - Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか 「ウェブ進化論」 梅田望夫
  • なぜレイザーラモンHGは憂鬱なのか  「愛」が健全な無垢への欲望を導く - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    レイザーラモンHGの憂 たとえば、レイザーラモンHGは「無垢」として登場した。その「汚物」は、人々を欲望させたのである。そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。多くにおいてそれは「忘却」であり、反復によって差異が消費されていく。今後も生き残っていくために、レイザーラモンHGは無垢を生み出さなければならない。それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、また消費されるだろう。 それは、愛されることである。愛される「強い内部」を作ることである。「強い内部」において、無垢は生み出されるのである。たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、そのような「強い内部」の存在によって、「忘却」に逆らい、無垢が生み出されるのである。 減算の無垢と加算の無垢 無垢には二通りの無垢がある。一つは「減算の無垢」であり、もう一つは「加算の無垢」である。たとえば「上から

    denken
    denken 2005/12/09
  • 続 なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■左翼系学者は2ちゃんねるを批判する? 考える名無しさん のまねこ問題以前に2ちゃんねるは成果を挙げている。今回が初めてではない。電車男が映画、ドラマ化された。小林よしのりが火をつけた嫌韓も、いったん収まりかけたが、2ちゃんで再び注目されるようになった。大手メディアと対抗できるまではまだまだだが、無視できない存在になりつつある。 左翼系学者も2ちゃんを批判してるが、未だに、なんだかんだ批判しながら見てる。皮肉だ・・・自民圧勝も、メディアが、ポピュリズムとか、劇場政治とか、いろいろ言ってるが、小泉支持率は下がらない。つまり大手メディアより、2ちゃんねるのほうが世論に近いわけ。 考える名無しさん 便所の落書きという称号をいただく2ちゃんねるの中でちゃんと議論ができる人を見抜いて、スルーしながら対論を経て論を煮詰めて精製されて生まれた金の一粒のような正論は強力な象徴として機能し、識者達を動かし政

    続 なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その6 2ちゃんねるの社会的な判断機能の可能性 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    エイベックスの駆け引き よくテレビ番組の苦情が何百件着たとかでさわがれるが、何百万人の視聴者のうちの何百人などどうでもいいのではと思うが、それは相対的な価値なのだろう。すなわち日頃何百件もこないから、着たときは大きな反響ととらえ、その裏に多くの不快に感じた人たちがいる、と判断される、のだろう。そのような価値の中で、今回ののまネコ騒ぎは大きな騒動といえるだろう。 おそらくエイベは株価や不買などによる経済的ダメージは受けてはおらず、その弊害をはかりかねているだろう。なぜなら彼らは、2ちゃんねるの反響はいままでの場合よりも、より過剰にでやすいことをしっているからである。それは、エイベックスはある意味で2ちゃんねるにとても近い位置いるからだ。 エイベックスは2ちゃんねるに謝罪したわけではなく、「ユーザーおよび関係者」に対して謝罪したのである。すなわち経済的な印象を保つことが重要であり、その駆け引き

    「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その6 2ちゃんねるの社会的な判断機能の可能性 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その5 錯覚の正義 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    松浦社長登場! とうとう松浦社長登場です。結局、2ちゃねらーはこのときを待っていたのではないでしょうか。この問題の責任者で、スケープゴード。その登場が、あまりに期待されていたとおりのベタな悪役なので、ボク自身も驚いてしまいました。 それにしても、松浦氏にしろ、及川氏にしろ、「所詮2ちゃねらーだよ」と見くびっていたということでしょうかが、無知で、幼稚すぎます。松浦社長の方針は、2ちゃんねる、そして悪しきネットユーザーとの対決ということだと思います。このような松浦氏の考え方が間違っている、正しいと言う以前に、単なる感情論に走っているように見えてしまう。2ちゃんねるでいえば、「煽りにのっている」ということです。火に油を注いでいるということです。 そういえば、ホリエモンVSフジテレビのときに、メディアのプロであるはずのフジテレビが、この問題の露出の仕方が、あまりにメディアに無防備すぎると、指摘され

    「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その5 錯覚の正義 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    denken
    denken 2005/10/03
    松浦社長のmixiでの発言など。
  • 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その3 「のまタコ」祭り - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■のまタコについての公開質問状■ 2ちゃんねるという掲示板の管理者をしております西村と申します。「のまタコ」というキャラクターの独自展開を考えており、商標登録とグッズ展開にあたり何も問題がないことを確認致したくご連絡差し上げました。勝手ではございますが、7日以内でお返事が頂けない場合は黙認されたと解釈させて頂きます。それでは、宜しく御願い致します。 のまタコ説明文 「のまタコ」は、2chのVIP板で生まれました。「のまタコ」は、伝統的な馬の鞍につける水袋の紋章にインスパイヤされてキャラクター化され、VIPPERが今回の風刺にあたって新たなオリジナリティーを加えてキャラクター化したものですが、AVEX様において「浜崎あゆみロゴ」の、Aを用いたロゴマークを使用されることを何ら制限するものではございません。 わたしたちはビジネスを行っておりますから、プロモーションの結果生じた市場の反応に対応して

    「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その3 「のまタコ」祭り - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    denken
    denken 2005/09/28
    「2ちゃんねるは脱構築装置である」
  • 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その2 安心して閉じられる場所 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■「のまネコ」に関するエイベックスネットワーク株式会社の発表について 先般エイベックスネットワーク株式会社が発表した「のまネコ」の商標出願(出願人:有限会社ゼン)について、説明申し上げましたが、言葉足らずのところがあり、みなさまに誤解を生じさせ、混乱を招いたことにつきまして、関係者の方々ならびに関連するみなさまにまずはお詫び申し上げます。 わたしたちはビジネスを行っておりますから、プロモーションの結果生じた市場の反応に対応してさらにその活躍の場を広げていきたいと常に考えております。しかし今回出願した商標につきましては、あくまでもグッズとして展開されるキャラクターの「のまネコ」のみであり、当然のことではありますが、わたしたちが、モナーの利用に対して権利を主張することは一切ありませんし、他のアスキーアート(例:しぃ、モララーなど)に対しても同様です。再度申し上げますが、あくまでも商品開発におけ

    「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その2 安心して閉じられる場所 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    エイベックスが、ヒット曲「恋のマイアヒ」などで使っているキャラクター「のまネコ」が大手掲示板「2ちゃんねる」で使用されている「モナー」に似ているとして、ネット上で騒動が起きている。 「のまネコ」は「恋のマイアヒ」を歌っているオゾンのプロモーション用キャラクターとして登場。今月からTシャツなどのグッズも発売された。プロモーション2ちゃんねるなどでは「特定企業に独占的に利用されるのでは」などと批判する数万もの書き込みが寄せられている。エイベックス側は「『のまネコ』は、インターネット掲示板において親しまれてきた『モナー』等のアスキーアートにインスパイヤされて映像化され、今回の商品化にあたって新たなオリジナリティを加えてキャラクター化した」と同社のショッピングサイト上で表明。「『モナー』等の既存のアスキーアート・キャラクターを使用されることを何ら制限するものではない」としているが、まだ納得しないネ

    「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「モヒカン族」なのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「モヒカン族」って・・・ 最近、ブログ界隈で「モヒカン族」なる言葉が流行ってきているらしい。(http://mohican.g.hatena.ne.jp/)その意味は、 ・技術原理主義者。規格至上主義者はその中の一部族である。 ・ムラ社会文化のナァナァの馴れ合いじゃなくて殺伐とした議論を求む (参照 http://mohican.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%a2%e3%83%92%e3%82%ab%e3%83%b3%e6%97%8f) これを聞いてボクは、「ほ〜」っと少し感嘆した。だって、こんなのは、ある意味「2ちゃんねる」ではあたりまえだからである。ボクが感嘆したのは、この当たり前があえて、「モヒカン族」なる排他的な表現で呼ばれはじめたことへの感嘆である。 内部としての「ムラ社会」/外部としての「モヒカン族」 ボクはネットコミュニケーションの方法として4つ

    なぜ「モヒカン族」なのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • コミュニティの暗黙の強制力 - 高速欲望

    昔、テレビで見たのだが、朝、スクールゾーンに、多くの車が近道として進入してくる。このために父母が進入口にたって、進入車に向かって、通行禁止だと呼びかける。はじめ父母たちは、進入してくる車の運転手に対して、「ここは通行止めだから通れません。」と高圧的に対応していたが、制止を振り切って、進入する車があとをたたなかった。ところが、丁寧に「おはようございます」という挨拶から入り、「申し訳ないですが、ここは通れないんですよ」という説明にしたところ、ほとんどの車が素直に迂回したということだった。 たとえば「人としてあるまじき行為である。 」とか、親として、社会人として、などと言うことを言います。この場合に「人」とはなんでしょうか。ここでは、私が、あるいは相手が価値を共有するだろう同じコミュニティに帰属していることを示します。「人として」の行為が明確にあるか、あるいはそのようなルールをもったコミュニティ

    コミュニティの暗黙の強制力 - 高速欲望
  • 1