第二高野連設立構想 カテゴリ: 野球批評 専大北上高校が野球部を解散した。 選手は同好会でプレーを続けるようだが、同世代間の試合はできない。 「建前のためなら現実を犠牲にする」のが高野連流である。 どう考えても野球部員に罪はない。 なぜ彼らが犠牲にならなきゃいけないの?という疑問は誰もが持つだろう。 問題は球児の逃げ場がないことだ。 今回のようなことがあっても、選手は学校と運命を共にせねばならない。 「やり直し」が制限されることも不当だ。 野球を真剣にやれば昂ぶって摩擦が起こる。 遊びたい盛りなんだから練習もさぼりたくなる。 指導者に反発したり、部員同士の関係が崩れることもある。 もちろんその場に踏みとどまって解消するのが本筋だ。 でも現実にはドロップアウトが起こる。 再起に成功した例は無くもない。ただしその場合は退学が前提となる。 強豪校を辞めて、地元の公立校で再起してプロ入りという例は