「違う」ことは「間違っている」のだから。 結局、なにも考えないこと、なにも感じないことが人間の証明であり、必要条件なのだから、上から下に、右から左に流れてくるものを鵜呑みにし続けることこそが絶対的運命みたいなものなわけだ。 違和感を感じたらそこで修了だよ。 スポーツはどこまでも「純粋なスポーツであり得る」のだし、大震災は「等しく日本国民の上に降りかかった国難」なのであり、原発事故は「想定外の状況に対する技術的問題」でしかないのだ。 なにも考えてはいけない。 なにも感じてはいけない。 それら以外の場所に「だれか」がいるなどとカケラでも夢想するべからず。 東北は「かわいそうなメディアショーの出演者」意外ではないし、かわいそうなのは「大震災の被害にあった人達」だけなのであって、「それ以前から何らかの被害を、不利益を被っていた人」がいるなどと考えるのは「筋違い」の「非国民的思考」なのだ。 なでしこ