川淵三郎からの「ちょっと助けてくれない?」という電話から、三屋裕子の挑戦が始まった。日本バスケ界の混乱期、簡単な仕事ではないのは誰の目にも明らか。それでも2020年の東京オリンピックは決まっており、ここを最初の目標として、ガバナンス改革、新リーグの成功、代表チームの強化と、様々な課題を解消しなければならなかった。今も世間では、三屋裕子と言えば「ロス五輪で銅メダルを獲得したバレーボール選手」のイメージが強いのかもしれない。だが、今は日本バスケットボール協会の会長としてリーダーシップを発揮し、ドラスティックな改革をリードしている。東京オリンピックまであと1年。改革のリーダーにこれまでの道のりと2019年の抱負を聞いた。 「自転車から降りないまま次の人生に行きました」 ──現役アスリートとして大きな成果を収めた人でも、セカンドキャリアで苦労することは珍しい話ではありません。Bリーグもこれからこの
