はてなの近藤さんのブログの「怒る必要などない」というエントリーで、京都ではてなと同じビルに入っていた歯医者さんの引退飲み会に参加して、引退する彼の「怒る必要などない」という話を聞いたことが紹介されている。 先生が30代の頃は毎日スタッフのミスをメモし、診察時間が終わるとそのスタッフを怒っていたそうです。ところがある時、「怒る必要などない」ということを悟り、対等な人間として接するように変わったそうです。それから入ったスタッフの方の多くは、10年以上も勤務され続けたそうです。怒るのは自分の自信のなさの現れである、と仰っていました。 私個人としては、社内で人のことを「○○君」と呼ぶことにも抵抗があるタイプの人間で、「上司が部下を○○君と呼んだりしてるけど、もし立場が逆転したらどうするつもりなの?」と素朴に思ったりしてしまうわけだが、取引先や社内の関係者に対して、冷静な言葉を保てず、怒ったり威圧す
(あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇のサプリメントとして) どんな対人スキルもそうだが、理屈が完璧に分かっても、やり方を一人で100回繰り返しても、人に対して実際に使ってみないことには、結局ものにならない。 この段階で「引き返し」を続けるなら、情報をいくらクリップしつづけても、アイデアを何度と無く並べ替えても、あなたのライフ・ハックと人生は、デスク周りの領域に終始することになるだろう。 A:引っ込み思案や対人恐怖や社会不安は、対人スキルを使う機会を、そして身に付ける機会を奪う。 B:それどころか対人スキルを使う場面を回避することことが、さらに引っ込み思案や対人恐怖や社会不安を増悪させる。 AとBは、察しがつくように、悪循環を構成する。小さな不安から始まった回避は、やがて多くの生活時間を回避のために奪い、不安を手が付けられないほどに大きくするか
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