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critiqueに関するdice_queのブックマーク (17)

  • 『カーネーション』のあった朝 | Fishing on the beach

    勤務先が自転車で15分の場所にあるおかげで、朝の連続テレビ小説を見て出勤するのが長年の習慣になっている。気の合う作品と出会えると、朝の仕事にもその作品に合った調子が出て、半年間がその作品の緩急にうっすら染まる一方、一、二ヶ月で見落とすようになってしまうこともあり、そんな場合は、ドラマもそこそこに出勤してしまう。これまで、最後まで見続けたものは『オードリー』『てるてる家族』『芋たこなんきん』『ちりとてちん』と大阪放送局制作のものが多い。 『カーネーション』を、3/31まで楽しみに見続けた。『カーネーション』を見ていると、作者や演出家、スタッフが、朝の生活をいかに丁寧に描いているかがよくわかった。早い朝、眠い朝、ミシンを踏みながら迎えてしまう朝、子どもを蒲団から追い出す朝の光が描かれ、時代ごとにかわる衣装や家のつくり、調度に配慮が行き届き、物語の朝が、見ているこちらの朝に染みてくる。 尾野真千

  • The Red Diptych

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych

  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

    au one netのブログサービス 『LOVELOG』は2014年6月30日をもちまして提供を終了致しました。 永らくのご利用、誠にありがとうございました。 引き続きau one netをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※お手数ではございますが、新ブログにて閲覧の皆さま向けにブログURL変更等をご周知いただけますよう、お願い申し上げます。

  • 評論について - レジデント初期研修用資料

    単なる感想文と、評論とを隔てているものは、「トレードオフの可視化」の有無であって、分野の文理を問わず、評論を名乗る文章を書く人ならば、まずはこれをやってほしいなと思う。 軽量化のジレンマ 大昔、日野自動車がトラックの軽量化とコストカットを目指したモデルチェンジを行った際には、設計者は「シリンダーを減らす」という決断を行ったのだという。当時のエンジンは、伝統的に直列6気筒を採用していて、この形式は振動から見ると理想的な配列だったから、「直列5気筒の配列を採用する」という案は、当初ずいぶん議論が盛り上がったのだと。 軽量化の手段なら、たとえばもっと「ゼロ戦」的なやりかた、あらゆるパーツの配列はそのままに、個々の部品を極限まで肉抜きするような、負担を生産現場にしわ寄せするようなやりかたも考えられただろうけれど、直列5気筒という形式を採用した結果として、エンジン単体の振動はたしかに増したのだけれど

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • Togetter - 「(私家版)『マイレージ、マイライフ』の一解釈をめぐる映画評論家町山智浩(@ TomoMachi)と@ my_yoursの議論」

    既にまとめられてますが、一度togetterの編集をしてみたかったので…… 長い議論が終わりましたが、それはオーディエンスの視線があってこそだったと思います。あくまで俺の視点に偏りがちになりますが、そうした皆さんのtweetも載せたリストにしてみました。なので長いです。

    Togetter - 「(私家版)『マイレージ、マイライフ』の一解釈をめぐる映画評論家町山智浩(@ TomoMachi)と@ my_yoursの議論」
  • 菊地誠と東浩紀とソーカルと

    あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco SF大会の懇親会で出た話題について。比喩というのは、それが比喩として機能する相手にしか意味を持たないわけです。たとえば、「フラクタル」を比喩とするなら、その言葉で「雪の結晶みたいな形ね」と思う人と「フラクタル次元はいくつなんだ?」と思う人とでは機能のしかたが違う @hazuma あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 比喩はそのものずばりではないことによって、相手の知識次第でまったく違う受け取られ方をされうるし、もちろん、時代が変われば受け取られ方も変わる。この点は比喩を使う側が当然負うべきリスクなわけです @hazuma あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 僕の考えでは、科学的な用語を「比喩」として使うのがいけないのではなく、たとえば「フラクタル」を比喩としたときに、フラクタルに詳しい人から「フラクタルのどの側面を比喩に

    菊地誠と東浩紀とソーカルと
    dice_que
    dice_que 2010/08/10
    "哲学者は科学のユーザーではだめなんじゃないかと思っていたのに、たとえばソーカル事件っていうのは「もしかして、単なるユーザーなの?」ということではないかというがっかり感"
  • The Beach :身体は繰り返す 美の術と身体の術

    滋賀県立近代美術館『アール・ブリュット−パリ、abcdコレクションより−』講演録 2009/11/9 身体は繰り返す 美の術と身体の術 細馬宏通(滋賀県立大学人間文化学部) 実をいうと、私はアートの専門家ではありません。たまたま障害者教育の現場や、障害者のワークショップをみに行く機会があり、その感想をあちこちに書いたところ、記事に興味を持った方が声をかけてくださるようになり、だんだん執筆や講演の機会が増えてきました。ですから、アートの専門家からは、「今ごろ何いうてんの」と思われる部分もあるかもしれません。私自身は、人間のコミュニケーションのなかで、どのように身体が使われているかを研究することを専門にしています。絵を描いたり、線を引いたりするときに身体がどう動くのか、そういう興味から出発して、いくつか思いつくことをお話したいと思います。 オバマ大統領とシカゴ 先日、アメリカの大統領選挙が行わ

  • ハーレクイン対フェミニズム

    1 はじめに 1963 年, 時代を画する 1 冊のアメリカで出版された。 Betty Friedan の The Feminine Mystique。 平凡な結婚生活を送っていた女性が, ある時ふと, その何不自由ない結婚生活の中に息苦しさを覚えるようになり, 自分は当に幸福なのだろうか, これ以上のものを人生に期待するのは間違っているのだろうかと自問し始める。 そんな女性の覚醒の瞬間から筆を起こしたこのが, 女性を家庭の中に閉じ込めようとする父権制社会の構造を暴き出し, 女性の自立を促して, 1960 年代後半から 1970 年代にかけて盛んになる女性解放運動の先駆けとなったことは, 既に常識の内と言ってよいだろう。 つまり 1963 年という年は, 新世代 (第 2 波) フェミニズムの誕生を歴史に刻む, 記念すべき年なのだ。 だが 1963 年という年は, 女性と結婚にかか

  • 一億総ヤクザ - 深町秋生の序二段日記

    うつくづくなんというかアナーキストでノーフューチャーな気分だ。安全ピンをシャツや耳にいっぱい刺して、発煙筒をもくもくと焚きながら街を練り歩きたい。アンチクライスト。ロンドンコーリング。女王陛下。 朝青龍の引退に続き、スノボ選手の服装問題(べつに問題でもなんでもないことを、さも問題であるかのように扱う世の中がすくいがたい病気だと思う)などを見ると、怒る前におそろしくなってくる。 この恐怖感はべつに今に始まったことじゃなく、成人式に参加した数万人のうちに含まれるごくごくわずかなお調子者のために社会面を数段ぶち抜きで報じた新聞(私の故郷の地元紙は社会面の3分の2ぐらい使って、酔っぱらってガラスを割ったバカに筆誅をくわえていた。社説もばっちり説教モード。新成人を祝福するどころか、みんな憎悪しているのがよくわかった)や、豊田商事会長刺殺事件やロス疑惑や松サリン事件を経てもまるで変わることのないメ

    一億総ヤクザ - 深町秋生の序二段日記
  • 七里結界鼻つまみ

    七里の歌謡曲日記8 ガロ「学生街の喫茶店」、あるいはすぎやまこういちについて だが(この逆接は杉彩に掛かっている)、歌謡曲の幸福な夢が、どのような危険と対価になっているのか、十分意識しておく必要があるのだろう。感受性の一元論は、つねに退嬰の夢と表裏になっている。否定神学と多様性の「倫理」を超えて、感受性による選択の問題を、あるいはひとつの詩学を語ろうとしてきたわれわれの歌謡曲論は(大変なことだ)、ここではっきりと感受性の暴力と、ファシズムの危険と向き合う必要がある(相対主義的なシミュラークルの世界に抗して、自分と世界を接続しようとする悪しきセカイ系と決断主義の論理に欠けているのは、「なぜ勝利するのは自分でなくてはならないのか」という問いであり、つまり暴力への問いなのだ[だから、それは素朴な実存主義に陥る]。すぐれたセカイ系作品は、無意識的にこの問いに応じようとしているようである)。 ヒト

    dice_que
    dice_que 2010/02/06
    "七里の歌謡曲日記8 ガロ「学生街の喫茶店」、あるいはすぎやまこういちについて"
  • 2009-10-06

    昨夜は24時半にはベッドに横になったのだが・・、またも眠気が湧いてこない。 治らない悪癖で、リンゴ、納豆、パン半キレと、脈略もなく夜してしまう。体重がまた増えそうだ。 1時半にようやく就寝。 9月になってから、朝起きるとなぜか、首筋にべっしょりを汗をかいている。 雨の中、傘をさして自転車をこいで出勤。一昨日の日曜日の「自転車での大森行き」の影響か、ふくらはぎが、かなりの痛み。 明後日の会議に向けての資料づくりをシコシコと。 18時退社。雨の中、疲れて帰宅。 録画ビデオ消化。 「俺たちダンクシューター」@WOWOW ウィル・フェレルのバカ映画。70年代テイストが最高。 「徹子の部屋クラシックス」@テレ朝チャンネル 六代目・笑福亭松鶴 「ダーウィンが来た」@NHK プレーリー・ドッグ 「気になる嫁さん」@チャンネルNECO 水野久美は、結婚相手となる父子家庭と知り合う。男の子が異様ななつき

    2009-10-06
    dice_que
    dice_que 2009/10/06
    各務三郎の植草甚一批判を検証
  • ある種の愚かさについて - jun-jun1965の日記

    『ノルウェイの森』がベストセラーになったから自分は攻撃されるようになったと村上春樹が言っていると目にしたような気がするが、まあそれはそうだろう。『失楽園』がベストセラーになってから、渡辺淳一をバカにしてもいいという空気が醸成されて、渡辺がエロティックな小説を出して売れるたんびにそれが増幅されていく。 『失楽園』は私は少ししか読んでいないし、あとのは全然読んでいない。もちろん渡辺にはそれ以前に伝記小説のいいものなどたくさんあるが、『野わき』などから、中年男と若い女の性愛を描く傾向はあった。だから『野わき』当時渡辺を批判していた人はいいのだが、もはや現在、これほど「渡辺淳一はバカにしてもいい」という空気が支配している中でせっせと渡辺淳一をバカにしようとするのは、ある種の愚かさなのである。 それは『失楽園』やら『愛の流刑地』がいいかどうかとは関係なく、「××をバカにしてもいい」という空気が充満し

    ある種の愚かさについて - jun-jun1965の日記
    dice_que
    dice_que 2009/08/07
    "「××をバカにしてもいい」という空気が充満している時に××をバカにするというのは、愚かなのである" / 離れて立つというスタイル
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 2009.7.14 - 日記

    dice_que
    dice_que 2009/07/14
    荒巻義雄の評論が駄目で日本SFの評論も大体駄目だという話。
  • 『マンガ漂流者(ドリフター)』の作り方 - 吉田アミの日日ノ日キ

    眠い。猛烈に眠いが今寝ると1日が無駄になりそうなのでこのまま起きようと思っているがいくらなんでも早すぎる。微妙な時間だ。 なので覚書。 http://www.webdice.jp/dice/series/15/ というか、自分に対して言い聞かせ。 ●その1「必ず現物に当たる」 曖昧な記憶ほど信用できないものはない。人は都合よく記憶を捏造する生き物だ。恣意的な情報は排除すること ●その2「推理」 手に入れた「情報」を組み合わせ、時には大胆に推理することも大切だ。見えなかった部分が見えてくる ●その3「90年代までは時代性を考慮する」 ゼロ年代になってくると何がどこでどう影響を受けているのかわかりにくくなってくる。しかし、90年代までは時代性を考慮したり、雑誌ごとの特色を調べるとけっこう分かることが多い。マンガはマンガだけからしか影響されないというマニアの考えでは判断できない道を見つける とい

    『マンガ漂流者(ドリフター)』の作り方 - 吉田アミの日日ノ日キ
  • 佐藤亜紀 日記: 2009.3.29

    ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上にえないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20

    佐藤亜紀 日記: 2009.3.29
    dice_que
    dice_que 2009/03/29
    佐藤亜紀 仲俣暁生
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