中学の修学旅行は広島だった。 原爆資料館を見学して、教師から「何故このように悲惨な原爆を落とされたのだと思いますか?」と問われて、「制空権を失ったからです」と答えて教師に睨まれた。 いま思い返しても、間違ったことは言っていない。
中学の修学旅行は広島だった。 原爆資料館を見学して、教師から「何故このように悲惨な原爆を落とされたのだと思いますか?」と問われて、「制空権を失ったからです」と答えて教師に睨まれた。 いま思い返しても、間違ったことは言っていない。
もうすぐ76回目の終戦記念日、そして原爆投下の日を迎えます。コロナ禍の影響で去年に引き続き慰霊行事は縮小されてしまうかもしれませんが、例年8月になると、平和への想いを強くさせられます。 ところで、あなたは広島と長崎に落とされた原爆についてどのようにお考えですか? アメリカの調査機関であるピュー・リサーチ・センターが2015年1~2月に日米で同時に行った意識調査を見ると、アメリカ人全体の56%が原爆投下を「正当化される」と認識しているようです。 出典:原爆投下を正当化するのは、どんなアメリカ人なのか?|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト アメリカ人の中では未だに「原爆投下は仕方ない」「むしろ正しかった行為だ」という価値観を持つ人が過半数を占めます。そして、原爆を投下された側の日本人でさえ原爆投下を正当化している人が14%存在しているのです。7人に1人は原爆投下は「仕方なかった」とみな
広島市は「景観を考慮した」と説明 オバマ米大統領が27日に広島を訪問するのを受け、広島市が原爆資料館本館で行っている地下遺構の発掘調査を中断し、現場を土で埋め戻したことが18日、分かった。周囲の囲いを撤去し、アスファルトを敷いて歩けるようにする。市は「景観を考慮した」と説明しているが、「原爆投下で街が廃虚になったことを示す遺構を、なぜわざわざ埋め戻すのか」と批判の声も上がっている。 原爆資料館の周辺は、原爆投下前は民家や理髪店、幼稚園などが建ち並び、市内有数の繁華街の一角だった。原爆で街は廃虚と化し、住民らは即死。戦後、平和記念公園として整備され、資料館から北側に原爆慰霊碑、原爆ドームを一直線に見通せるよう設計された。
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。 そして当時中学生だった祖父は、6日から1週間の内に広島市へ入市した。 これは父から聞いた話であり、私が祖父から直接聞いたのは「広島の原爆で二次被曝したから手帳を持ってるよ」だけだった。 多分子供に話す内容ではないと思ったのだろうが、祖父の死後、やはりどうだったのか気になった私は父親に聞いた。 1945年8月6日、広島県にある祖父の通っていた中学校(中心部のでは無いらしいが調べてみても分からなかった)の校長・教職員・生徒は、 陸軍学校の掃除という事で集合し、広島の中心地へ向かった。だが、9人だけは違った。 そこには祖父も含まれていた。祖父はその時、何らかの事情で行く事が出来なかった。 他にもスイカを食べ過ぎてお腹を壊した生徒や、寝坊した生徒など祖父を含めて9人が行かなければいけない大切な仕事を休んでしまった。学校側もお怒りだったらしい。 だが
今日は広島に原爆が投下された日であり、現地では追悼のための記念式典が行われます。4日付けのmilitary.comが、ジョン・ルース大使(Ambassador John Roos)が記念式典に参列することを報じています。 記事は謝罪が欲しいという日本人被爆者の声を伝えていますが、ここでは次に期待されるオバマ大統領の広島訪問に関する部分を紹介します。 ルース大使は式典で演説する予定はありません。昨年10月、ルース大使は広島平和記念資料館を訪問し、ゲストブックに「広島への訪問は核兵器の破壊力を強く思い出させ、それらなしに世界の平和と安全を模索するために共に活動することの重要性を強調します」と書き込みました。ルースの広島訪問への意欲は、11月に日本を訪問する予定のオバマ大統領が次に続くかも知れないという希望をかきたてます。オバマ大統領の広島と長崎への訪問は、核なき世界を訴えたプラハでの演説と、ノ
サイトのトップページを見ての通り、田母神俊雄氏を広島に呼ぼうとしている団体である。 戦争被害者にも様々な考えの人がおり、会の設立に被爆者が主体的に深くかかわっている可能性は充分にあるだろう。被爆者という表記がほとんど見当たらず、「被爆二世」や「被爆関係者」という記述ばかりであることは、逆に会の誠実さを示していると評してもいい。しかし、被爆関係者が参加していても、それが即座に会の妥当性を証明するものではないことも確かである。 平和と安全を求める被爆者たちの会 - 平和と安全を求める被爆者たちの会 この会の設立を決意するに至りましたのは、昨年の日本会議広島の開催された、8月6日の「ヒロシマの平和を疑う!」田母神俊雄氏講演会でした。 市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ること
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