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![複数の新聞を読もう | 金沢市議会議員 山野ゆきよし](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2302e44c95c7e474fefb218540004f95dc47a4bb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimaging.jugem.jp%2Ftemplate%2Fimg%2Fjugem_og-image.png)
「30万人とされる組織的な大虐殺はなかったのでないか、という趣旨で申し上げた」。河村たかし名古屋市長が27日、自らの「南京事件否定発言」について釈明したのは、発言の余波が観光などの民間交流にも及びかねないという危機感からだった。だが市長は記者会見で、自らの発言が「誤解」されたと繰り返し、発言自体は撤回しないと強調。会見に出席した中国・香港のテレビ局記者は「とても納得できる内容ではない」と不満を漏らしており、意図した事態収拾は容易でない状況だ。【三木幸治、福島祥】 河村市長は先週末、記者団に「27日の定例会見で見解を再度説明する」と説明、それ以外の発言は封印して会見に臨んだ。記者クラブに加盟していない香港メディアの会見出席も事前に知らされており、中国での報道を「修正」したいという目的は明白だった。 冒頭、市長は「発言がメディア、報道で南京ではあたかも何もなかったかのように誤解された」と釈明し
(写真)市の担当者(左端)に申し入れ書を手渡す、(その右から)わしの恵子、田口一登、山口清明、さはしあこ、岡田ゆき子の各市議=21日、名古屋市役所 名古屋市の河村たかし市長が旧日本軍による南京大虐殺(1937年)を否定した問題について、日本共産党名古屋市議団は21日、河村市長に抗議し、発言の撤回を申し入れました。 河村市長は20日、同市と姉妹友好都市を結んでいる南京市(1978年提携)の劉志偉・中国共産党市委員会常務委員ら訪日代表団が名古屋市役所を訪れた際、「通常の戦闘行為はあったが、一般人への虐殺行為はなかったと聞いている」などと述べました。 申し入れでは、「日本軍による非戦闘員を含めた殺害、略奪行為があったことは否定できない歴史的事実だ。日本政府も06年に、当時衆議院議員だった河村氏が提出した質問主意書に対する答弁書で、『旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったこ
名古屋市長の河村たかし氏の政治家としての起点は、民社党の春日一幸委員長の秘書からになります。「(現)民主党=(旧)社会党」というレベルのウヨ知識しか持たない人は知らないでしょうが、民社党と言えばかなりの右派政党*1で春日一幸氏も反共右派と知られる政治家です*2。 春日氏は1989年に死去し、冷戦終結後の政界再編で民社党は解党。その前後に河村氏は日本新党などに鞍替えしていますが、結局は民社党の吸収先である新進党に入り、民主党へと入ったのです*3。 河村氏の経歴から見て、南京事件否定論がその口から語られるのは何の不思議もありません。 現実問題として公人による歴史修正主義発言が容認、黙認、放置されているのは、メディア、あるいは学会など専門家の責任と言うこともでき、一般人自身が興味を持っていないという意味での責任もあるでしょう。公人自身の歴史観に負うところも大きいでしょう。 しかし、個人的な意見な
印刷 関連トピックス河村たかし 中国・南京市政府は21日、名古屋市の河村たかし市長が「南京事件というのはなかったのではないか」と発言したことを受け、両市間の公の交流を当面停止すると発表した。南京市外事弁公室のスポークスマンは「虐殺の史実を否定する(河村市長の)発言は、南京市民の感情を著しく害した」と非難した。 河村市長は20日、姉妹友好都市である南京市の共産党市委員会の常務委員ら訪日代表団の表敬訪問を受けたとき、「一般的な戦闘行為はあった」としながら、旧日本軍による虐殺を否定するような発言をした。訪日代表団はその後、「河村市長の言論は無責任であり、歴史をねじ曲げ、南京の人びとを尊重する気持ちが欠けている」と非難。 河村市長が南京事件後に現地に駐屯した父親が優しくもてなされたことを理由に挙げたことについて、南京大虐殺記念館の朱成山館長は「個人的経験に基づいて歴史を主観的に臆測することは
すでにコメント欄でもご指摘いただいていますが、よりにもよって南京市と姉妹都市である名古屋市の市長である河村たかしがまたもや「恩を仇で返す」メソッドを発動しました。 CHUNICHI WEB 2012年2月20日 「南京事件なかった」 河村市長、日中討論会提案 名古屋市の河村たかし市長は20日、市役所を訪れた中国共産党の南京市委員会幹部らに、戦時中の旧日本軍の行為に関し「通常の戦闘行為はあったが、南京での(大量虐殺)事件はなかったのではないか」と述べた。その上で「真実を明らかにするためにも、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。 河村さんは「南京で終戦を迎えた父は、現地の人からラーメンの作り方を教わるなどのもてなしを受けた。本当に事件があったなら、日本人にやさしくできるものか、理解できない」と大量虐殺に懐疑的な考えを示した。 (後略) 参考エントリ http://d.hatena.ne.jp
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