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2010年8月12日のブックマーク (5件)

  • 子供を叱る若い母親に言いたい、「お母さん、それは無理です」 | JBpress (ジェイビープレス)

    私は家庭内では、主夫として家事全般を引き受けている。さらに、結婚に際しての姓に変わっているわけで、日人男性の中では珍しい生き方をしているのだと思う。 もっとも、当人としてはさほど珍しいことをしているつもりはなくて、生活が珍しいものになってしまっては大変である。 上の子供が生まれてからもうすぐ15年になる。それだけの年月、来る日も来る日も洗濯や買い物や料理をしてきたおかげで、いずれの腕前もの追随を許さない高処に到達しているのだけれど、それを素直に喜べないのはなぜなのか? また、私自身は普通だと思っていても、主夫という存在が少数派であることにかわりはない。 すっかり顔馴染みになったスーパーの店員さんたちからは、「当にエラいですよね」と折に触れて感心されて、そんなエピソードを旧知の女性編集者に話すと、「あたしたちだと、やって当たり前ですからね」と皮肉を返される中で、私は日々の暮らしを送っ

    子供を叱る若い母親に言いたい、「お母さん、それは無理です」 | JBpress (ジェイビープレス)
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/08/12
    『懇々と言い聞かせるタイプの母親/どうすれば許してもらえるのか分からなくなった子供は大声で泣きだすが、母親は最後まで許そうとしないまま』自分の親父が丁度このタイプだったのを思い出したYO…orz
  • 詭弁「当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは歴史に対する冒涜だ」について - Transnational History

    Apemanさんのエントリ『もう1つのクリーシェ - Apeman’s diary』で知ったのですが、佐藤優氏がこんなことを言っています。 日韓併合条約が発効した1910年は、帝国主義の時代だった。当時の日の行為を現在の基準で断罪することは、歴史に対する冒涜だ。 http://news.livedoor.com/article/detail/4938861/ 当時の日の行為を現在の価値観(基準)で見るな、裁くな、断罪するな、といったいくつかのバリエーションがありますが基パターンは同じ「現在の価値観で過去を見るな」という主張です。ん? なんかおかしいですね。例えば、戦時中に美談として謳われた「玉砕」についても当時の基準のままに今も語らなければならないということなのでしょうか。んなわけない。 この詭弁「現在の価値観で過去を見るな」という主張については、歴史認識として不十分であり、誤った考

    詭弁「当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは歴史に対する冒涜だ」について - Transnational History
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/08/12
    「歴史修正主義の克服」はなかなかヨサゲな本ですね。いずれは読んでみたいです/「歴史とは何か」<タイトルは同じでも文春新書のはアレゲhttp://amzn.to/9srs6B
  • さらにもう1つのクリーシェ - Apeman’s diary

    相談話をめぐって登場した3つ目のクリーシェは言わずと知れた「いつまで(何回)謝罪すればいいのか!?」である。それこそ「いつまで『いつまで謝罪すればいいのか』と聞かされればいいのか!?」という気分だが。この種のクリーシェを口にする人びとは日政府の謝罪については記憶しているくせに、その謝罪とセットで時の与党(ってことは事実上自民党のことだが)や政府内から謝罪を台無しにする発言が出てきたことは思い出さないらしい。例えばのはなし、オバマが原爆投下について「遺憾の念」を表明したとしても、アメリカ空軍のトップが「放射線障害で人は死なない。広島原爆で死んだのは7万人だけ」と発言してみたり、有力大学の文学研究者や教育学者、あるいは偽日人の評論家が「日は原爆投下がなければ絶対に降伏しなかった」と吹聴して回ったり、国務長官が「原爆投下によって多くの日人の命も救われた」などと発言したとすれば、「やっぱ

    さらにもう1つのクリーシェ - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/08/12
    森喜朗に引導渡せませんでした…orz
  • もう1つのクリーシェ - Apeman’s diary

    日韓併合条約が発効した1910年は、帝国主義の時代だった。当時の日の行為を現在の基準で断罪することは、歴史に対する冒涜だ。この観点からするならば、 政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって という評価については、異論がある。大韓帝国にも日韓併合を望んだ政治エリートがいたからだ。 (http://news.livedoor.com/article/detail/4938861/) 強調は引用者。仮に「大韓帝国にも日韓併合を望んだ政治エリートがいた」としたところで別に植民地支配が「当時の韓国の人々」の「意に反して行われた」ことを否定する根拠にはまるでならないわけだが、ここでは強調部分のクリーシェについて。 植民地支配を合理化・正当化する論法が当時においては(現在と比べて)まかり通っていたことはその通りだとして、では「当時」においては“植民地化されて

    もう1つのクリーシェ - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/08/12
    『大韓帝国にも日韓併合を望んだ政治エリートがいたからだ』<実際には多くの人々の抵抗を呼んだのだから政治的コンセンサスという観点ではお話にならない言い逃れですね/二重基準という点でも正当化不能。
  • 我々はどれだけのイラク人をこの地上の生から「解放」しただろうか?: Falluja, April 2004 - the book

    改めて、事実の確認。我々はどれだけのイラク人をこの地上の生から「解放」しただろうか? ロバート・ネイマン ZNet原文 2010年8月8日日曜日 今日、アメリカに、正午に公共の広場に立って、他の国々を爆撃し、侵略し、占領することは人間の解放のためなのだと主張する男や女がいるだろうか? そうした人間に出会ったときは、アメリカによるイラク侵略と占領について、いくつか簡単な質問に答えてもらうとよい。 我々は一体どれだけのイラク人を愛する人と引き離して「解放」しただろう? 我々は一体どれだけのイラク人を、生まれ育った家や町、国に住むことから「解放」しただろう? 我々は一体どれだけのイラク人をこの地上の生から「解放」しただろうか? アフガニスタンで際限なく続く戦争----あるいは米国とイスラエルによるイランへの軍事攻撃----は人道的観点から正当化されると主張するアメリカ人が、アメリカによるイラク侵