日本軍「慰安婦」制度に関する日本政府や軍の責任について、『帝国の慰安婦』で朴はいかなる認識を示しているのだろうか。この極めて重要な論点について、本書はかならずしも明解に説明していない。これに限らず、本書を読む上での最大の障壁は、著者が何を言わんとしているのかをただちに読み取れない――つまり何を言いたいのかわからない――ことである。読み手の知識や情報の有無の問題ではない。論旨の展開や概念の使用が著しく明晰さを欠くためである。このため、以下では可能な限り本書の記述に基いて本書が何を言わんとしているのかを再構成したうえで、その「責任」論の特徴を検討したい。 検討に先立ち、まずは本書における「動員」という語の極めて特殊な用法について触れておこう。第一章が「強制連行か、国民動員か」というタイトルであることから推測できるように、「動員」という語に、朴は本書で極めて特殊な意味を与えようとしたようだ。「与
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