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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (75)

  • 『眉屋私記』 - Arisanのノート

    眉屋私記 (1984年) 作者: 上野英信出版社/メーカー: 潮出版社発売日: 1984/03メディア: ? クリック: 1回この商品を含むブログ (2件) を見る上野英信のノンフィクション『眉屋私記』は、以前から読みたかったが、最近やっと読めた。 移民や遊郭の女性となった、やんばるの庶民たちのドキュメント 現在の沖縄県名護市屋部というところで生まれ、メキシコに移民して炭鉱で働き、最後はキューバで死んだ山入端(やまのは)萬栄と、その兄妹たちの伝記。 初めの部分では、沖縄、とくに名護を含む国頭地方の、薩摩による征服以後の苦難の歴史が語られる。 この致命的な「大和の御手討」の傷にあえぐ琉球王府が、起死回生を賭して推進したのは農業生産の拡充であり、農民の収奪強化であった。十七世紀の後半、国頭地方に大規模な行政改革の波が襲ったのも、ひとえにそのためである。(p28)』 初めて知ることばかり。 たと

    『眉屋私記』 - Arisanのノート
  • 『二つの同時代史』 - Arisanのノート

    二つの同時代史 (岩波現代文庫) 作者: 大岡昇平,埴谷雄高出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/12/16メディア: 文庫 クリック: 17回この商品を含むブログ (10件) を見る だいぶ前に読み終わってたのだが、以下に書くことが気になって、なかなか感想を書けなかった。 これは有名な話らしいのだが、埴谷雄高は思想的な理由(10代のころからアナキズムに傾倒した理由でもある「能動的ニヒリズム」という言葉で説明している)から、結婚しても子どもを持とうとしなかった。は何度も妊娠するのだが、その度に無理強いしておろさせる。その結果、とうとうは子宮の病気になり、子宮を切除してしまったのだという。 僕は、中学か高校の頃に埴谷の文章にはまったことがあり、代表作の『死霊』は分からないのでほとんど読んでないが(当時は、この対談に出てくる「夢魔の世界」の章はまだ書かれてなかったので、余計に分か

    『二つの同時代史』 - Arisanのノート
  • 『大逆事件 死と生の群像』 - Arisanのノート

    きわめて重要な著作。いまの日を生きるうえで是非とも読むべきをあげろと言われたら、僕はノーマ・フィールドの『天皇の逝く国で』と並んで、この書物を推す。 大逆事件――死と生の群像 作者: 田中伸尚出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/05/29メディア: 単行 クリック: 16回この商品を含むブログ (8件) を見る このを読んでもっとも衝撃的だったのは、「大逆事件」と呼ばれる、日国家(政治・司法・マスコミ・民衆)による巨大な謀略事件が、決して、明治に起きた過去の出来事ではなく、現在進行中の事象であるという事実だ。 明治の末に起きた「大逆事件」とは、その質としては、社会主義思想の殲滅と、天皇を中心として戦争を行ないつづける国家体制の確立を主目的として、ほぼ全て警察・検察側の筋書きに沿って「共同謀議」がでっち上げられ、ほとんどがまったくの無実である26人が逮捕され、そのうち

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  • 道場親信さんの言葉 - Arisanのノート

    道場親信さんの訃報には、まだ49歳という若さだったということもあり、たいへん驚いた。 僕は、主著の『占領と平和』は読んでいないのだが、もう一つの著作『抵抗の同時代史』や、雑誌『現代思想』に掲載されたいくつかの文章を読む限り、戦後の運動史についてもっともすぐれた研究をされた方だったのではないかと思う。 残念で仕方がない。 ネットで検索すると、下のような道場さんの文章に行きあたった。 http://www1.jca.apc.org/iken30/News2/N84/SedaikanTaiwa.htm これは、2004年に行われた、ある公開討論会の感想を記したもの。この討論会は、当時、イラク反戦運動のなかで大きな盛り上がりを作っていたワールド・ピース・ナウの運動が、急速に衰退していくきっかけになった(と、記憶している)、いわゆる「警察会事件」を契機として開かれたものだったようだ。 このなかで道

    道場親信さんの言葉 - Arisanのノート
  • 高里鈴代さんの講演を聞いて - Arisanのノート

    今週の初めにFBとmixiに書いたものですが、ほぼそのままの形で以下にも載せておきます。 メモを元にしているので、内容に不正確なところがあるかもしれません。ご了承ください。 14日日曜日、大阪で行われた集会、『8・14日軍「慰安婦」メモリアル・デーを国連記念日に!〜日韓「合意」は解決できない〜』に参加し、沖縄の高里鈴代さんの講演を聞きました。 高里さんには、4月に辺野古に行った時も、ゲート前で貴重なお話を聞かせていただいたので、今回は是非講演を聞きたいと思っていました。 高里さんが、もともと東京都や那覇市での、女性たちからの電話相談に答える仕事からキャリアを始められたことを、今回初めて知りました。そのなかで出会った女性たちの話をされる高里さんの姿が、とても印象深かったです。 被害を受けたその人達の言葉が、いまの高里さんの活動を支えている、ということ。 また、沖縄では、女性に対する暴行など

    高里鈴代さんの講演を聞いて - Arisanのノート
  • 『殺生と信仰』 - Arisanのノート

    殺生と信仰ー武士を探る (角川選書) 作者: 五味文彦出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版発売日: 1997/02/06メディア: ペーパーバックこの商品を含むブログを見る 平安や鎌倉など往年の武士には、朝廷や貴族に仕えたり、また都風の優雅な文化に憧れる傾向と、東国など地方に割拠して、武勇を誉とする荒々しい傾向とが、混在していたらしい。 特に後者の方は、想像を絶するほどの暴力や残忍の気風をもっていたようである。たとえば、書で重点的に論じられている絵巻『男衾三郎絵詞』には、次のような意味の記述があるそうだ。 男衾は「馬庭の末に生首たやすな」と称し、門前を通る乞や修行者を捕まえ、犬追物の犬に代わる的にせよ、と命じたという。(p17) 屋敷の門前を通りかかった流浪の人々を、はじから捕まえて殺し、生首をさらしてしまえというのは、なんとも恐ろしい。 また、時代はくだって『太平記』に

    『殺生と信仰』 - Arisanのノート
  • 『暴力の日本史』 - Arisanのノート

    暴力の日史 (ちくま文庫) 作者: 南條範夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2014/05/08メディア: 文庫この商品を含むブログを見る 南條範夫という人については、月影兵庫シリーズの原作者というぐらいの認識しかなかったが、東京帝大卒のエリートで、満鉄調査部を経て戦後は経済学者として活躍、東京の都市計画などにも関わったらしい。それが途中から、時代物のベストセラー作家に転身したという、異色の経歴だ。 それを頭に入れて読むと、このが当初出版された1970年当時の時代状況とも重なって、為政者の側の、「民衆」や「抵抗」に対するニヒルな感覚が色濃く示されているような読み物になっている。その描写には、サディズム的な要素もうかがわれる。 だが、僕が読んでいて一番印象的だったのは、江戸時代の一揆の多さと激しさである。 ふつう、日歴史でもっとも一揆の多かった時代は室町時代(戦国末期にかけて)

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  • 小野十三郎『日は過ぎ去らず』 - Arisanのノート

    日は過ぎ去らず―わが詩人たち (1983年) 作者: 小野十三郎出版社/メーカー: 編集工房ノア発売日: 1983/05メディア: ?この商品を含むブログ (1件) を見る 最近、かなり以前にツイッターで感想を述べた、或る古いのことで質問されることがあった。 そのの題は、『日は過ぎ去らず』といって、大阪出身の有名な詩人、小野十三郎が文学者たちとの交流の思い出をつづったである。 色々と面白いなのだが、その中でも私が特に関心をもったのは、やはり詩人の、谷川雁と黒田喜夫の二人について語っている箇所だった。 入手しにくくなっているで、いま手元にないので、不正確な要約になると思うが、概ね次のようなことが書いてあったはずだ。 小野は、この二人の詩人の資質の違いの原因と呼べるものを、両者の「故郷」の捉え方の差異に見出す。 黒田は東北の農村の出身であり、谷川は(実兄の民俗学者健一とともに)九州(

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  • スターリンの「一国社会主義理論」 - Arisanのノート

    スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る年末から体に不調があって、正月休みは遠出をせず、このを読んでいた。 それで、「第一巻」「第二巻」と分かれている「第一巻」の方を、三が日の間に読み終わった。 ちょっとメモ的に書いておく。 先に書いたように、著者のドイッチャーは「スターリンはなぜ成功したのか」という問いを立てているのだが、書の前半でスターリンが権力の中枢を握るようになった大きな理由としてあげられているのは、革命後のソ連の政治機構が、動乱のなかで革命を守護するという必要から、次第に独裁色を強め、巨大な官僚的機構にならざるを得なかったという背景である。 革命を救うため、党は独立心と批判精神と勇気を持つ革命家の自由な集まりでなくなってしまった。党の大部分はますます強力になって

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  • 『神社の起源と古代朝鮮』 - Arisanのノート

    新書704神社の起源と古代朝鮮 (平凡社新書) 作者: 岡谷公二出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2013/11/15メディア: 新書この商品を含むブログ (7件) を見る 店先で平積みされてるのを見て何となく買ったのだが、思った以上に刺激的な内容だった。 著者は、最も日的なものみたいに思われている神社というものの起源が、実は古代の朝鮮半島との関わりのなかにあると考え、その原像を求めて、日各地から韓国までを歩く。 そこから浮かび上がるのは、古代の姿ばかりでなく、現在のこの国の「実像」であるようにも思われる。 第一、二、三章では、現在の福井県敦賀から滋賀県北部にかけて、古代朝鮮、特に新羅の人々と文化が大きな影響を与えながら移動した痕跡が残っていることが語られている。その時代、この地域は畿内以上の文化的・技術的先進地域だったというのである。 それは、新羅・伽耶の名残を残した神社の名や、地

  • 憲法は誰のものか - Arisanのノート

    東京新聞に載った、宮崎駿氏の憲法に関する発言を読んで、違和感をもったので、特に書いておきたい。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013072702000120.html 初めに断わっておくが、日が過去の蛮行・愚行を繰り返さないために、憲法改悪に断固反対すべきだということには、勿論まったく同意見だ。改憲反対の立場を、この時期(参院選の直前だったと思う)に鮮明にされた宮崎氏の決断には、その職業上の立場を考えても、心からの敬意を表するのにやぶさかではない。 だが、それでも違和感をもつ理由は、発言のなかで「自分たちの憲法」という言葉が用いられていることと、その文脈とに関わっている。 戦争の放棄をうたった日国憲法は、たしかに「国民」を主権者であると規定している。「自分たちの憲法」という言い方には、それ自体では何の問題もないと思

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  • 『近代天皇像の形成』 - Arisanのノート

    近代天皇像の形成 (岩波現代文庫) 作者: 安丸良夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2007/10/16メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 10回この商品を含むブログ (20件) を見る 安丸良夫氏の著作については、名著『日の近代化と民衆思想』に関して以前にこの記事を書いた。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20120625/p1 書も、それに劣らない圧倒的な面白さである。 著者は学者として偉大だというだけでなく、現役の人の中ではあらゆる分野を通して屈指の書き手であろうと思う。ただその考え方には、僕自身は同意しかねる点が幾つかあるが。 著者の近代天皇制についての基的な見方は、最初の章の次のような箇所に集約されていると言えるだろう。 古い伝統の名において国民的アイデンティティを構成し国民国家としての統合を実現することは、近代国家の重要な特質のひとつ

    『近代天皇像の形成』 - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/06/12
    他民族を差別し、優越感に浸る事を欲する"欲望自然主義的な"社会・日本/その欲望を満たし、更に加速するブリキの勲章たる天皇
  • 「面会拒否」は橋下の方である - Arisanのノート

    こういう論調が出てくることは予想できたが、これがこの国のレベルかと、ほんとに情けなくなる。 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130524/waf13052411210009-n1.htm 元「慰安婦」の人たちは、たいへん高齢であるにも関わらず、何度も来日されて日各地で証言集会などを行なっておられる。 その理由はもちろん、日が過去にこんな反人道的な行為を行なって、この人たちに多大な被害を与え、今日にいたるまで謝罪も補償もしていないからである。 そのために、この高齢の人たちは、加害当事国である日に幾度となく足を運んで、自分の過酷な被害体験を大勢の前で語らねばならないことになっているのだ。 多大な迷惑をかけているのは、元来、日のわれわれの方なのだ。 まして、わざわざ大阪市役所まで来なければいけなくなった理由は、昨年から繰り返

    「面会拒否」は橋下の方である - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/05/29
    一度非を認めると永遠に責められ続けるなどと被害妄想に陥ってるから逆にいつまでも出直せないんだよ>トオルちゃん
  • 『セデック・バレ』 - Arisanのノート

    GW中に台湾映画『セデック・バレ』を見たので、ここにも感想を書いておきたい。 http://www.u-picc.com/seediqbale/ まず何といっても感銘を受けたのは、台湾映画人たちが、山岳地帯に住む原住民(台湾の先住民族の人たちは、誇りをもってこう自称すると聞いたので、あえてこの語を用いるが)たちの歴史を正面からとりあげて、このような大作を製作したということだ。 社会のマジョリティが自己の歴史を語ろうとするのでなく、マイノリティの経験の苦難を想像することに力を注ぐ。 台湾の先住民政策は、とくに民進党政権のもとで飛躍的に進展したと聞いているが、それは「他者」の歴史と向き合うことで自分たちの社会をより開かれたものにしていこうとする、真に民主主義的な努力の現われであるのだろう。いまだに、こうした努力を行なっているというより、まったく逆方向に進みつつある日の社会とは、この点におい

    『セデック・バレ』 - Arisanのノート
  • 甘かった予断 - Arisanのノート

    これまで、自分のなかに多少は、こういう思いがあった。 安倍政権が改憲に向かって突っ走り、国内への統制を強めると共に、軍事力の増強を加速させ、周囲の国々との緊張関係を高めていった場合、それはどこかでアメリカの国益やアジア戦略と齟齬をきたすようになるであろう。 アジアの安定を壊すということもそうだし、また改憲によって名実とも「人権制限国家」を標榜するに至るなら、それは特にアメリカ民主党政権の「人権外交(戦略)」とも折り合わないだろう。だから、やがてはアメリカの政権と安倍自民党政権とは衝突し、それが極右化の一定の歯止めになるであろう、と。 だが考えてみると、これはあまりにも甘い予測だったと思う。 たしかに、そうしたことも考えられないわけではないが、アメリカにとっての日という存在は、結局、アジアにおけるもっとも使いやすい「駒」ということだ。その「駒」を対立によって失う危険を冒してまで、アメリカ

    甘かった予断 - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/03/12
    極東の"イスラエル”と化しつつある(元からそうだったかも)日本/USAは民主主義や人権尊重をうたいつつも独裁者達を利用し続けてきましたからね、仰る通りあまりアテには出来ないでしょう…
  • 「韓基大さんを守る会」結成と、署名協力のお願い - Arisanのノート

    原発反対や瓦礫焼却に反対する運動を熱心に行っていて不当逮捕、起訴されて拘留中であり、また先頃、昨年9月に大阪で行われた元「慰安婦」被害者・金福童さんの証言を聞く集会の妨害に来た在特会メンバーからの「被害届」を口実にして、三度目の起訴をされようとしている韓基大さんについて、彼を守る会が結成されたとのことである。 http://savehan.tumblr.com/post/44140383743 http://mojimojiinjail.tumblr.com/post/44175946112 このうち、三つ目の件に関しては、韓さんを含む訴追の危機にある四人の人たちを救おうという署名が呼びかけられているので、最後にその呼びかけの文章を救援ブログから転載する。 http://blog.goo.ne.jp/yoninwomamore/e/27d1d97d13a0ddf2879407d0443ff

    「韓基大さんを守る会」結成と、署名協力のお願い - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/03/05
    署名致しました/日本の警察の守っているものが人権ではなくてヘイトスピーカーのチンケなプライドと言う辺りが非常に情けなくて涙も出ないですよ/敗戦から随分になるのに未だにこのレベルというのは如何なものか…
  • 鶴橋の排外デモ・水路を開く者 - Arisanのノート

    自分は行けなかったので、詳細が分からないのだが、24日日曜日に、大阪の鶴橋で在特会によるかなりの規模(100人ぐらいという説もあるが、もっと多かったのかも)の排外デモがあり、それに対する有志による抗議の行動も行われたそうだ。 抗議行動に参加した方たちには、心から賞賛とお礼の言葉を送りたい。 この日のデモでは、「朝鮮人」という言葉が大声で連呼され、ゴキブリ殺せとか、死ねとかいうような絶叫がそれに重ねて繰り返されてたらしい。 ヘイトスピーチとか言葉の暴力といった言い方さえふさわしくないような、直接的な憎悪と脅迫の撒き散らしである。 最近は東京の新大久保でも、同様の在特会など排外主義者によるデモが、毎週だか毎月だか行われていて、やはり「朝鮮人を殺せ」だとか「ガス室に送れ」だのというシュプレヒコールやプラカードが掲げられ、コリアタウンの営業にも大きな支障が出ていると聞いていたが、東京に比べるとこう

    鶴橋の排外デモ・水路を開く者 - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/02/26
    政治利用の為に差別感情に火を付けたはいいがマッチポンプどころか抑制に失敗して身を焦がすに至る様は15年戦争の頃とそっくり/日本のメディアの性質に関しては→も参考にhttp://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130221/1361467807
  • 人間の社会に唾を吐く省令改悪 - Arisanのノート

    報道によると、下村文科大臣は、朝鮮学校を高校無償化の対象から除外するための省令改悪を、20日付けで行うと発表したそうである。 このことの、何が最も暗澹とした気持ちにさせるかというと、それはこの差別的な法の制定によって直接に被害を受ける人たちが居るという事実だけでなく、政治的理由によって人権を侵害し、またポピュリズム的でもレイシズム的でもあるような「政治的」意図によって法を改悪するという行為が実際に行われたことによって、この社会全体の民主主義や人権の土台が、決定的に損われたことである。 決して、「少数者だけでなく、われわれマジョリティにも被害が広がるから」という手前勝手な心配をしているのではない。 差別の実害を受ける少数者、ここでは多くの在日朝鮮人や朝鮮学校に関わりを持つ人たち、その人たちの生を国家や大衆の差別の欲望の犠牲にするような社会が、取り返しのつかない形で確立されようとしてるというこ

    人間の社会に唾を吐く省令改悪 - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/02/21
    人権侵害がよりお手軽になった国について/本当にこの国は命や人格そのものに価値を認める事は薄く、地位だの財産だの社会的な力しか見てこなかったというか。それのもたらす悪循環の歴史がまた紡がれる。
  • アルジェリアの事件について - Arisanのノート

    アルジェリアの事件に関しては、一言だけ言っておきたい。 それは、今回の出来事と日政府の対応が、福島原発の事故に関するものと同じに見えるということだ。 福島の原発事故は、現在も実際には収束の目処がまったくたたない中、危険な被曝労働がいつ果てるともなく続けられている。周辺住民の人たちも、健康で安心の出来る生活を断念するのでなければ、いつ元の土地での暮らしに戻れるか分からない状態である。 被曝の被害と危険は、増大しながら続いているのであり、実際には日中の人たちが、日々その脅威にさらされて生きているのだ。 それなのに、今の自民党政権は福島の事故を無かったことのようにして、原発政策を推進し続けようとしている。多くの有権者も、それを支持している(投票の棄権という仕方も含めて)のが実情だ。 それは、国も資(電力会社や財界)も、「国際社会」(核の体制を維持したい人たち)とやらも、これまで得てきた権益

    アルジェリアの事件について - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/01/25
    新聞社が悲劇の国民的共有をうたって被害者の実名報道に拘ってたのも「隠蔽の為の顕彰」が頭のどこかにあるからなんだろう…木鐸ならぬ太鼓持ちは要らない。
  • デュルケームの「罰」論 - Arisanのノート

    19世紀の末から20世紀の初めにかけて活躍したエミール・デュルケームは、フランスが生んだ、歴史上もっとも有名な社会学者の一人だろうが、その講義録『道徳教育論』(麻生誠/山村健訳  講談社学術文庫)のなかで、「学校における罰」、さらには「罰」一般について大変示唆に富む考察を行っている。簡単に整理しておきたい。 この主題についての一連の考察は、同書の第十一講から第十三講に書かれている。 まずデュルケームは、「罰」というものの機能上の質は何かと考える。 罰は、外部から人間の外面に働きかけるものであるがゆえに、道徳生活の核心に触れることはまずないといってよい。(p274) それゆえ、たしかに罰は、違反がもたらす悪を償いただす。だが明らかに、この贖罪をもたらすものは、罪人に加えられる苦痛ではない。大事なのは、子どもが苦しむことではなくして、その悪しき行為が精力的に排斥されることである。悪しき行為に

    デュルケームの「罰」論 - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/01/17
    大阪市長のトオルちゃんがばらまく嘘も暴力の内だし、彼が当初体罰肯定派だったのも宜なるかな/鷹派を自認する人はここで非難されてる類の自己陶酔が無いか振り返って欲しいものだ