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ブックマーク / aboutagirl.seesaa.net (30)

  • 『アヴァルト』第5巻 光永康則: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    メタ・ファンタジーものといおうか。MMORPG的なリアリティ(現代ならではの知識や感性)で(来ならば前近代であるような)剣と魔法の世界を再構成するというタイプのフィクションは近年のトレンドだけれど、群を抜いているのではないかと思われるのが、光永康則の『アヴァルト』である。ファンタジーやSFなどを通じ、よく「わかっている」はずの設定が駆使されているにもかかわらず、先のまったく「わからない」展開が次々と現れてくるのだ。 ああ、そこは既に発狂した世界であった。宇宙航海の途中で1万年の長き冷凍睡眠(コールドスリープ)から目覚めたロイド・コスギは、いつの間にか自分たちの船が地球の圏内に戻っていることを知った。どうしてか自分以外の乗務員が皆いなくなっていることを知った。地上の人類と文明のほとんどが失われてしまったことを知った。しかし、最も驚愕させられたのは、わずかに残った人類が、とあるMMORPG

  • 『百足‐ムカデ‐』第3巻 フクイタクミ: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    全3巻。この長さは、少年マンガの連載作品における通常の規格からすると、打ち切りに遭ったかのような印象を抱いてしまう。が、フクイタクミの『百足‐ムカデ‐』に限っては、この長さこそが作者の狙いであり、適正であったことは確かだ。その意味で、少年マンガの連載作品においては規格外になったといえる。そう、サブ・エピソードの列挙による(キャラクター・ビジネスに都合のいい)冗長さを抜きに放たれた。必殺の少年マンガなのだ。 以前にも述べた通り、話の筋は至ってシンプルだ。強烈な拳の使い手、馬頭丸が、自分を救ってくれた娘とその家族が住む村を守るため、100人からなる悪党の集団、百足と一昼夜に渡り、死闘を繰り広げるのである。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、それ以上でもそれ以下でもない、と焦点を絞りきっていることが、全編にフル・スウィングの勢いをもたらしている。 大風呂敷を広げることに淫するのではなく、まるで

    dododod
    dododod 2016/08/18
    3巻完結であることで誰にでも進められる作品になったと思うよね
  • 『AIの遺電子』第1巻 山田胡瓜: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    心は何に、そして、どこに宿るのか。こうした問いには、それが一定の普遍性を持っているがため、胸を衝かれるものがある。根拠になりうるほどの根拠はなかろうと、心は必ずや存在するという思いなしの上に我々の生活が成り立っているのだと感じられる場面は決して少なくないのである。 山田胡瓜の『AIの遺電子』は、ヒューマノイドが人権を得た未来、主にヒューマノイドの治療に当たっている医師、須堂が立ち会ってきた様々なケースを描く。オムニバスの形式で編まれたマンガだ。AIに人格は認められるのか。これはマンガに限らず、SF小説映画に古今東西からあるテーマだろう。また、医師と患者の苦悩をオムニバスの形式に編んだ作品ということであれば、その多くがヒューマニズムに対するアウフヘーベンを内包しながら、現在もあまた登場している。スタイルについて、目新しさのみで判じることはできない。が、双方の要素を、おそらくは最良の形で結

  • 『ものの歩』第2巻 池沢春人(監修:橋本崇載): Lエルトセヴン7 第2ステージ

    音楽(2019年)(2) 読書(2019年)(0) マンガ(2019年)(0) 音楽(2018年)(3) 読書(2018年)(0) マンガ(2018年)(12) 読書(2017年)(0) 音楽(2017年)(6) マンガ(2017年)(10) 読書(2016年)(1) 音楽(2016年)(18) マンガ(2016年)(28) 読書(2015年)(3) 音楽(2015年)(11) マンガ(2015年)(26) 読書(2014年)(2) 音楽(2014年)(18) マンガ(2014年)(30) 読書(2013)(6) 音楽(2013)(19) マンガ(2013)(53) 読書(2012)(9) 音楽(2012)(11) マンガ(2012)(37) 読書(2011)(3) 音楽(2011)(15) マンガ(2011)(40) 読書(2010年)(16) 音楽(2010年)(37) マンガ(201

  • 『真マジンガーZERO vs 暗黒大将軍』第8巻 永井豪(原作)田畑由秋(脚本)余湖裕輝(作画): Lエルトセヴン7 第2ステージ

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  • 『ANGEL VOICE』第40巻 古谷野孝雄: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    この最終40巻には見開きの2ページを丸々使ったカットが三箇所ある(三箇所しかない)のだが、まずはそこから話を広げていきたい。なぜなら、それは古谷野孝雄の『ANGEL VOICE』というマンガにおける感動や説得力が、優れた構成や場面の作り方によって支えられていることの確認になりうるからである。 一箇所目と二箇所目は対になっている。特筆すべきは一箇所目の見開きの2ページであろう。高校サッカー選手権千葉県予選決勝、市蘭(市立蘭山高校)と船和学院の試合は、激しい競り合いの末、とうとうPK戦にまでもつれこんだ。しかし、PK戦でも〈先に蹴る船和学院が決め・市立蘭山がすぐそれに追いつく〉という〈まるで試合の再現を見ているよう〉な展開が繰り広げられ、優劣のつかぬままに5人目の順番がきてしまう。ここで主人公たちのライヴァルである船和学院の5人目を任せられたユゥエル・カールソンのキックが、一箇所目のカットにあ

    dododod
    dododod 2014/11/20
    見開きについて
  • 『ANGEL VOICE』第38巻 古谷野孝雄: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    古谷野孝雄の『ANGEL VOICE(エンジェル ボイス)』は、34巻よりこちら、どの巻もクライマックス過多と評して差し支えがない。要するに、目頭は熱くなるし、胸は震えるし。で、ここまで熱量の高いものを見せ続けられたら(もちろん、良い意味で)読む方が困ってしまうのだ。おいおい、こんな作品、滅多にないぜ、と思う。34巻よりこちら、というのは、つまり、主役である市立蘭山高校サッカー部(市蘭)が高校選手権千葉県予選決勝に勝ち進み、ついに宿敵であり強豪である船和学院との対決を迎え、その試合がはじまってからずっとのことである。 端的にいって『ANGEL VOICE』のあらすじに特筆すべき点は少ない。難病を患った女子マネージャーのためにサッカー部の元不良少年たちが再起、奮闘し、不可能を可能に変えるような奇跡に挑んでいく。こうしたあらすじは、極めて通俗的であるし、予定調和として散々消費された感がある上、

  • 『何もないけど空は青い』第1巻 西森博之(原作)飯沼ゆうき(作画): Lエルトセヴン7 第2ステージ

    西森博之が『今日から俺は!!』あるいは『甘く危険なナンパ刑事』の頃より描き続けているのは、ある種の人間性テストだといえる。そこが日常であるかぎりは気楽であったはずの人物が何かしらかの極限状態に陥ったとき、果たしてその人物はどのような性と行動を見せるのか。そして、できるだけ理想的な姿=回答を正解に近いものとしてきたのだと思われる。たとえば、それは『今日から俺は!!』でドッキリにはめられた今井の同情を禁じえないのに笑えるリアクションであったり、ピンチに立たされた三橋の普段からは想像されない男気などを例に出してみるとわかりやすい。伊藤の正義感に関しては言わずもがな、であろう。また、それは立場や態度、性別は異なろうと、後の作品にも継承されてきたものであって、事と次第によったら悪役の者が人間性テストにかけられ、底の浅さを露呈した挙げ句、敗北したりもする。春風邪三太との共作である『スピンナウト』は、

  • 『春風のスネグラチカ』沙村広明: Lエルトセヴン7 第2ステージ

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  • 『はずんで!パパモッコ』第3巻・第4巻 山本ルンルン: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    メルヘンだなあ。メルヘンである。現代における良質なメルヘンが山ルンルンにはあると思う。少なくとも、この『はずんで!パパモッコ』に関してはそうだ。1、2巻に引き続き、3、4巻が同時に出た。相も変わらず、ゆったりと接せられるような人間観や光景を描いているのだったが、前巻までに確立された登場人物の「キャラクター」は、親しみを増し、作品の世界そのものをより生き生きとさせている。一話完結型のスタイルは、エピソードごとに両手ですくえる水たまりほどの感動を残していく。他方、設定とストーリーの連続性は、登場人物たちにコマで示されている以上の深さや厚み(内面やエモーション)を与える。リアリズムではなく、デフォルメを強調した可愛い絵柄でありながら、体温のよく通ったドラマを得られるのは、おそらく、このためだろう。 タイトルにある「パパモッコ」とは、作品の所謂マスコットであって、主人公である双子の父親が(発明家

  • 『真マジンガーZERO vs暗黒大将軍』第4巻 永井豪(原作)田畑由秋(脚本)余湖裕輝(作画): Lエルトセヴン7 第2ステージ

    ああ、0(ゼロ)とは正しく円環を意味していた。ついに終焉の魔神は〈我は最終にして原初 唯一無二のスーパーロボット マジンガーZERO〉なのだと宣言する。兜甲児は命を張った。剣鉄也は命を懸けた。選択肢が破滅ルートのみの世界を救うべく。そして、物語は再びゼロの地点にリセットされるのだった。結論からいえば、全9巻に渡る『真マジンガーZERO』のヴォリュームは『真マジンガーZERO vs暗黒大将軍』のプロローグにすぎなかった。しかるに、この4巻までに描かれてきた『真マジンガーZERO vs暗黒大将軍』の物語もまた、当の決着を用意するためのプロローグでしかないことが明かされるのである。 平行世界、リプレイ、時間ループものとして永井豪の『マジンガーZ』をアレンジしているのが、田畑由秋(脚)と余湖裕輝(作画)の『真マジンガーZERO vs暗黒大将軍』(と前作の『真マジンガーZERO』)である。かのア

  • 『777 スリーセブン』第1巻 小沢としお: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    以前にも述べた気がするが、小沢としおはデビュー以来一貫して学園ものを描き続けている。現代少年マンガ史を振り返ったとき(一、二作でリタイアしたマンガ家を除けば)これは極めて異例のことといっていい。しかし、『ナンバデッドエンド』の頃からか。その手つきにはいくらかの変化が見られはじめていた。変化は『ナンバデッドエンド』に続く『ガキ教室』において、より顕著であったろう。『ガキ教室』も当然学園ものであったわけだけれど、学生を主人公にするのではなく、教師の側から見られる学校を作品の舞台としていたのである。いや、何も主人公の立場の違いを指して「変化」だと言いたいのではない。そうではない。学校の存在をこの社会の比喩として描いたり、社会のミニチュアとして扱うのではなく、学校の存在をあくまでもこの社会の一部分としていること、社会から切り離された空間=特区のようには描かなかった点にこそ変化が現れているのだ。 さ

    dododod
    dododod 2013/09/09
    "我々は皆、サイコパスの隣人であると同時にサイコパスの芽である。"
  • 『デビルマンG(グリモワール)』第3巻 永井豪(原作)高遠るい(漫画): Lエルトセヴン7 第2ステージ

    そもそも『バイオレンスジャック』の時点で次元の複数化が見られはじめた永井豪のブランドは、現在もなお出版社や作者、シリーズをまたぎながらそのシェアード・ワールドを拡大化しつつある。なかでも『デビルマン』のタイトルを冠したものは、過去の公式二次創作群(傑作も多く、個人的にはPCゲーム『ラストハルマゲドン』を思わせる井上大助の『デビルマン戦団(バトラー)』の続編を今でも待っている)もそうだし、先般1巻の出たTEAM MOON『デビルマン対闇の帝王』がそうであった通り、基的には黙示録的なカタストロフを題材としているのだったが、高遠るいの『デビルマンG(グリモワール)』に関しては、いや確かに黙示録的なカタストロフをバック・グラウンドにしてはいるのだけれど、むしろスケベとギャグの部分に永井豪のイズム(もちろん、それは高遠自身の持ち味でもある)を大きく感じられた。ドジな魔女、マキムラミキ(魔鬼邑ミキ)

    dododod
    dododod 2013/06/22
  • 『僕だけがいない街』第2巻 三部けい: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    インターネット上でも次第に注目を集めつつあるようだし、「このマンガを読め!」で知られる『フリースタイル』誌の22号における個人レビューの欄で大根仁がこれを取り上げていたり、タイミング次第では年間の話題作ランキングで上位に顔を出してくるのではないかと予想される三部けいの『僕だけがいない街』だが、いや実際、すべてのコマに(と言ってしまっていいほど)張り巡らされた緊張の糸に絡め取られながら、ああ、まったくもう目が離せない。 所謂ループもののSFであり、ミステリであって、サスペンスである。万能ではないけれど、時間の「再上映(リバイバル)」に立ち会えるという特殊な能力を持った青年が、文字通り自分の運命を一変させるような事件に巻き込まれ、関わっていくうち、未解決のまま忘れられた過去の因縁に立ち向かわざるをえなくなるのだ。もちろん、こうした筋書きそれ自体はいくらかの類型を帯びてはいるだろう。では、そこで

  • 『銀のスプーン』第6巻 小沢真理: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    ああ、どうか。この〈……ぼくがしあわせであるように …その人たちもしあわせでありますように この同じ空の下で …どうかしあわせでありますように〉と祈れる心優しい青年の前途が明るいものでありますように。願い。 ほぼ同じ題名である荒川弘の『銀の匙』がほぼ同じ時期に存在しているのがどういう偶然かはさておき、小沢真理の『銀のスプーン』は、日々生きるていることの賛歌をささやかに歌うかのような作品であって、登場人物たちが自然と併せ持ったせつなさや、あたたかさ、厳しさに、ついつい胸を打たれる。 料理レシピ卓にまつわるエピソードを作中に盛り込んだ内容は(ヤングな女性層に向けてカスタマイズされた)グルメ・マンガのカジュアルなヴァージョンとして区分することが可能だろうし、何よりもコンセプトありきでスタートした部分もあったのではないか。しかしそれを踏まえてもなお、主人公である律とその家族をめぐり幸せと不幸

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    dododod 2013/01/27
  • 『絶品!らーめん娘』第3巻 友木一良: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    いま現在、最も無意味なマンガを述べよ、ということであれば、間違いなくこれを挙げたい。いや当に。他と比べてどうとかではなく、もしかしたら世界で唯一このマンガだけが無意味なのではないかとさえ思う。誤解があってはいけないのだが、褒め言葉のつもりはまったくなくて、ひどい、くだらない、と積極的に非難するのもばからしいマンガなのである。友木一良の『絶品!らーめん娘』は。しかし滅茶苦茶を言うようだけれど、ごめん。それでも『絶品!らーめん娘』のことが気になって仕方がないのだ。いつの間にか欠かさずに読んでいるマンガの一つになっているのだから弱る。弱るのだよ。こんなのを楽しみにしていると世間にバレた日にはもう絶対に後ろ指さされちゃうもんな。 ジャンルとしてはギャグ・マンガである。片田舎で人知れず(!)営業されているラーメン屋を切り盛りする三姉妹とそこを訪れる青年客が繰り広げるシチュエーション・コメディ(の亜

    dododod
    dododod 2012/11/11
    ”いま現在、最も無意味なマンガを述べよ、ということであれば、間違いなくこれを挙げたい。”
  • 『疾風伝説 特攻の拓 外伝 ~Early Day's~』第2巻 佐木飛朗斗(原作)所十三(漫画): Lエルトセヴン7 第2ステージ

    ああ、〈“死の商人”‥‥ それが“天羽一族の事業”さ‥‥ “父さん(ダッド)”はそれを憎んで合衆国(ステイツ)へ渡った‥‥ そして あの日死んだ‥‥ “母さん(マアム)”と一緒に‥‥ オレが望んだとでも? “悪魔”に赦しを請えよ? ラファエル‥‥〉と。これである。このダイアローグでありながらモノローグにも思われるポエジーこそが『疾風伝説 特攻の拓』の、あるいは佐木飛朗斗の真骨頂であろう。 果たして現代に『特攻の拓』の前日譚=『外伝 ~Early Day's~』が発表されることはどれぐらいの意義を持っているのか。2巻に入ってもなお議論の余地は残る。個人的には佐木が東直輝と組んだ性格上は続編にあたる『外天の夏』や『爆音伝説 カブラギ』のほうにアクチュアリティを見たいのだったが、しかし物語を解くというより詩歌を詠ずるような気持ちで作品に接するのであれば、コミックスのオビに記された「音速の累計70

    dododod
    dododod 2012/02/09
    ポエミー
  • 『今まで通り』佐藤友哉: Lエルトセヴン7 第2ステージ

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    dododod
    dododod 2012/01/14
  • 『囚人リク』第3巻 瀬口忍: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    音楽(2019年)(2) 読書(2019年)(0) マンガ(2019年)(0) 音楽(2018年)(3) 読書(2018年)(0) マンガ(2018年)(12) 読書(2017年)(0) 音楽(2017年)(6) マンガ(2017年)(10) 読書(2016年)(1) 音楽(2016年)(18) マンガ(2016年)(28) 読書(2015年)(3) 音楽(2015年)(11) マンガ(2015年)(26) 読書(2014年)(2) 音楽(2014年)(18) マンガ(2014年)(30) 読書(2013)(6) 音楽(2013)(19) マンガ(2013)(53) 読書(2012)(9) 音楽(2012)(11) マンガ(2012)(37) 読書(2011)(3) 音楽(2011)(15) マンガ(2011)(40) 読書(2010年)(16) 音楽(2010年)(37) マンガ(201

    dododod
    dododod 2011/10/09
  • 『PSYREN -サイレン-』第16巻 岩代俊明: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    不安が常にあるのと同じように希望も常にあるよ。とっちらかった世界を綱渡りで進むしかないのであれば、幾通りにもひらかれているはずの未来がより良い行き先を教えてくれると信じるよりほかないんだ。めげながらでも踏ん張れる。ときにフィクションは、祈りをもたらし、勇気である。 岩代俊明の『PSYREN -サイレン-』が16巻で完結した。おそらく、このアイディアには先行例がありそう、と容易に指摘できるほど現代的なスタイルの作品に独創性を見出せはしないだろう。細部の設定はもとより、バトル・ロイヤル式のサヴァイヴァルを予感させた序盤、オルタナティヴの可能をめぐる時間改変ものへとスライドしていった終盤など、大筋に関しても、じつに今時だいね、の類型に止まっているのだった。が、しかし、物語の全容を通じて確かに伝わってくるメッセージには励まされ、少年マンガとして高く買えるだけの根拠が備わっていたように思う。 とくに