1. 緑十字飛行の通告 来るべくして来た 『敗戦』 が日本全土を覆った。昭和20年8月13日深夜、大日本航空横浜支所通信室で日本がポツダム宣言の無条件受諾を傍受したとの通信士からの報告に、嗚呼、聞くも涙、語るも涙。「われら、ふたたび大空へ羽ばたくことなし!」 戦後日台航空路開設で昔を偲びながら飛行した 15日正午、終戦の実感が沸かないまま自宅でラジオを通じての玉音放送「・・・われら忍びがたきを忍び・・・・」を拝聴した。雑音のなかで、現人神のたんたんとした声についにその時がきたのかと、身が震える思いである。とるものも取りあえず会社へ吹っ飛んでいった。 「航空機の部品管理については特命があるまでは現有機には十分な警備を配慮し、流言飛語に惑わされることなく指示があるまでは現状のまま出社されたし」との通達がだされたが、これを契機に世はまさに敗戦の混乱期へと移行していった。それこそ、いろいろな噂が飛