“『日本書紀』の中にはもう一ヵ所、フクロウに関連して注目される記載がある。それは神武即位前紀で「八十梟師」と書いて「ヤソタケル」と訓ませている箇所である。これは神武天皇の東征のころに、東日本に割拠した蝦夷の首領のことで、八十は多数を意味し、梟師は勇猛な首領を表している。興味深いことに、同じ「ヤソタケル」を『古事記』では「八十建」と記している。 「梟」を「猛々しい」とか「強い」という意味に使うことは、『漢書』とか『後漢書』などの中国の古い書物でしばしば行われている。梟雄という現在日本で使われている言葉も、すでにその当時使われていた。『古事記』も『日本書紀』も、奈良時代の遣唐使の往還が盛んなころに著されたが、紀元七二〇年に刊行された『日本書紀』は、『古事記』よりも八年おくれている。そして『日本書紀』は『古事記』より漢文調で記述されている。そうした違いが「ヤソタケル」の表記法にも反映されているわ