歌舞伎町をつくったのは誰か? その答えは「台湾人」である。断言してしまうと大げさかもしれない。だが、今の歌舞伎町の原型を形造るうえで、彼らが大きな影響力を持っていたのは事実である。その軌跡を示すかのように、歌舞伎町には今なお台湾の痕跡が残っている。今回はそれらを紹介するとともに、歌舞伎町と台湾の黒社会との関係についても考えてみたい。 まず、簡単に経緯を振り返る。現在の歌舞伎町の基礎になったのは、太平洋戦争後の闇市である。元々は内藤新宿として宿場町ベースで発展していたので、マーケットとしてのポテンシャルは高かった。しかし、空襲で焼け野原になってしまったため、戦後まもなく新宿復興計画が始まった。 この復興計画では、現在の新宿バルト9、世界堂のある新宿3丁目から甲州街道沿いの南新宿~西新宿エリアが中心になる予定だったという。それもそのはずで、街道沿いのほうが発展していたし商売人も多く集まっていた