御堂筋から少し西に入った中央区淡路町にある御霊[ごりょう]神社。1884(明治17)年から1926(大正15)年まで「人形浄瑠璃御霊文楽座」があった。文楽座の200余年の歴史のなかでもっとも人気を博した時代であった。 明治の頃には、大阪で人形浄瑠璃といえば文楽座の芝居のことだった。船場[せんば]の旦那衆らは奉行人を連れて文楽座で文楽を見物し、帰りに心斎橋で買い物や食事をするのが習わしで、義太夫節を唸り、太棹三味線をベンベンとかき鳴らすのが嗜みとして大流行した。文楽の何が人々を惹きつけたのだろうか。 能や歌舞伎などほかの古典芸能と少し違い、文楽の特徴は「三業一体の芸」だ。大夫[たゆう]・三味線弾き・人形遣いの三者が一体になり、舞台で鍛練された技をぶつけ合い、調和を成しながら物語を進めていく。これが三業一体である。さらに観衆を引き込み、そこに演者と観衆とが物語のなかで一体化する。「三業一体で繰