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思考に関するdrt256のブックマーク (6)

  • 質問ができる人/できない人: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 セミナーなどの質疑応答の時間って、ほんと質問ってあんまりでないですよね。 ああいうシーンで質問できるか、できないかって結構重要なことだと思うんです。 質問するということの意味をもうすこしちゃんと考えた方がいいはずです。 (P.S. 論の立て方がわるかったようですね。主旨が伝わってないので補足。 まず「質疑応答」の例を出したのがイメージを固定してしまったようですね。実際に質疑応答で質問が出るかなんてどうでもいいんです。そんなの聞き手ではなく、話し手が下手な場合もありますから。今回問題にしてるのは、セミナーの質疑応答という特定のシーンで質問できるかどうかじゃない。 そうじゃなくて、ようは「自分が興味をもって聞いた他者の話に適切な問いを立てることができるか/できないか」がテーマ。

  • 職人が無口な理由:日経ビジネスオンライン

    今回お話を伺った国村次郎さんは、50年にわたって新幹線の顔の部分を作り続けてきた板金職人だ。微妙な曲面をハンマー1で打ち出して作り上げていく技を見せていただいた。その打ち出しの原理を初めて理解して、ある種の戦慄を覚えた。 仮にコンピューターを使って制御したとしても、きわめて複雑な計算が必要になる作業を、国村さんは瞬時に、いとも簡単にやってのける。うまくいっているときは無心の状態で、余計なことを考えるとかえってうまくいかないと国村さんはおっしゃっていた。 意識では追いつかない自動化された高度な能力。ハイデガーもそういうことを言っている。ハンマーを振るっていてうまくいっているときは無意識で、打ちそこなうと初めてそこで意識が立ち上がるといったことだ。 だから職人は無口なのだと思った。これだけ複雑な計算をしているとしゃべっている暇はない。この複雑な計算を意識的にやろうとするとすごく大変なことだが

    職人が無口な理由:日経ビジネスオンライン
  • 長文日記

  • 議論を完了させないと気がすまない人二様 - novtan別館

    自分が納得いくまで議論をやめない 相手が屈服するまで議論をやめない どっちも相手にとっては迷惑ではあります。ある種の前者の人は、実は後者と同一のメンタルだったりもするので、より迷惑です。自分が納得するため、と言いつつ、納得する=相手が折れる、だったりするからです。でも、相手をやっつけているとは思っていない。 議論なんて途中でほっぽって遊びに行ったり、興味なくなって立ち消えたり、あの時とは考えが変わったからリセットしたい、と思ったりするわけじゃないですか。 特に、以前の考えが自分でも恥ずかしいなあって思ったときに、その詳細な背景とか心理とかを根掘り葉掘り聞かれたら、殺意が芽生えてもおかしくない。後に引けなくなるように追い込んでしまうのも、後者の目的ならともかく、前者だけが目的なのであれば、それを達成することの代償は大きくなってしまうことでしょう。 議論は吹っかける側の主導権が大きいよなあ、や

    議論を完了させないと気がすまない人二様 - novtan別館
    drt256
    drt256 2007/12/05
    いわゆるKYのこういう奴いるね
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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  • ”話が通じない”こと - kom’s log

    片方から片方を眺めたときにある解釈を”曲解”だの”誤読”、より端的には”アホ”と判断することがある。たとえば最近目にしたのは某産経新聞記者のコメント欄の炎上ぶりとか。まったくかみ合わない。これを高みから眺めて「すべては相対的な判断でしかない」とほぼ隠居というか仙人な態度もこれまたよくみかける話。一方で、この奈落のようなかみ合わなさ、ギャップを認知という状態*1をもちこんで考えてみるといいんじゃないかという話をApemanさんがずいぶん前に書いていて、おもしろいな、と思った(synonymousさん経由)。ギャップを架橋する対話工学的な手段がデザインできるかもしれないし。 レイコフ、『比喩によるモラルと政治』のためのイントロダクション 認知科学の倫理的含意――概説とケーススタディ でもこうしたメチエとはまた別の話になるが、認知の形成という器質的な過程が不可逆だったら、認知の差であると明らかに

    ”話が通じない”こと - kom’s log
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