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海外と歴史に関するecluciferのブックマーク (2)

  • ロココとは?(~ロコカナ)

    【真のロココ時代】 フランス王ルイ15世が親政を始めた1720年代~ポンパドゥール夫人が逝去する 1760年代の終わりまで。 【一般的にいわれるロココ時代】 18世紀フランスを中心としたヨーロッパの繊細優美な装飾美術や生活様式を ロココという。 ロココの語源は、「ロカイユ」という貝殻や小石の装飾を意味する言葉からきている。 バロックの語源「バロッコ(ゆがんだ真珠)」に語呂を合わせたもの。 つまり造語。 しかし、当時の人々は「ロココ」なんて言葉は知りません。 そんな言葉は存在していなかったのですから。 では誰が名付けたのでしょうか。 命名者は、新古典主義画家。 「倹約、質素、勤勉」が新古典主義の理念であるので 新古典主義になる前の美術を軽蔑してこう呼んだことから生まれた。 確かに18世紀の宮廷は「贅沢、優雅、快楽」ですから正反対なんですよねぇ。 現代では「ロココ

    eclucifer
    eclucifer 2009/02/11
    ロココの語源は、「 ロカイユ 」 という貝殻や小石の装飾を意味する言葉から|家具の特徴は 「 猫足 」 「 鹿の後脚 」 と呼ばれる曲線|服飾|髪|化粧|香水|音楽|結婚|育児
  • イタリア軍はなぜ弱いのか?

    当時イタリア北東にあったシバリスという国で 騎馬隊の馬を勝利のパレードのために 音楽で躍らせるよう調教した。 ところが肝心の戦いの時、相手が音楽をはじめてしまった。 大混乱の末に大敗北。 5月11日、ガリバルディは1089人の北イタリア都市生活者からなるアルプス軽歩兵軍団(通称千人隊) を率いてシチリア遠征に出発した。 5月15日、パレルモを目指して進軍していた千人隊はカタラフィーミにてブルボン軍と会戦することとなった。 赤シャツ隊とも呼ばれるこの部隊の中で、実際に赤シャツを着ていた人間は約50人と言われ、軍務経験者はジェノヴァ憲兵隊35人のみ。 対するブルボン軍は二万の総兵力のうち3000をカタラフィーミに派遣した。 当初、実戦経験の差、装備の質、兵力の点でブルボン軍の勝利はゆるぎないものだと思われていた。 実際に戦闘は苛烈を極め、千人隊は退却を考慮したが、 ガリバルディの「ここで統一イ

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