1937年7月7日、北京(当時「北平」)郊外の盧溝橋で日本軍(支那駐屯軍)と中国軍(第29軍)の武力衝突がありました。 盧溝橋(マルコポーロ・ブリッジ)は紫禁城南西に位置する苑平県城からかかる石橋です。苑平県城には中国地方政府(冀察政務委員会)の軍隊である第29軍の部隊が駐屯しており、その目前で日本の支那駐屯軍は夜間演習を繰り返し実施していました。 満州事変(1931年)で東北三省に加え熱河省を奪われ、さらに長城線を超えて侵入・浸透を謀る日本軍は、河北省東部に冀東防共自治政府という傀儡政府を建てて(1935年)密貿易(冀東特殊貿易)を行って華北経済を混乱させました。その結果、華北の民衆の間には反日意識が高まり、蒋介石国民政府に対して、中共討伐よりも日本の侵略に対抗するべきと訴えるようになります。その状況下で西安事件(1936年)が発生し、国共合作が事実上成立するに至ります。 この西安事件の