小笠原さんの寄稿をいただいてから考えたのだが、小生も過去40年余りの間に、和文タイプの同人誌から商業雑誌、学術雑誌、PR誌まで、テーマ、目的・形態、予算・読者等を異にする様々な「雑」誌に、企画・編集・制作・下働きまで、様々な立場で関わる機会があった。現在はオンラインでニューズレターをやってもいる。そこでいまさらながら、デジタル(Web)時代の雑誌の運命についてさらに考えてみようという気になった。後述するように、先日来取上げている「無償コンテンツ」とかなり近い関係にある。ややランダムながら、問題・課題を明確にして、あとで整理してみたい。 もし雑誌が消えたら:出版のエコシステムにおける雑誌の7つの功徳 とくに日本の商業出版において、雑誌の持つ意味はとても大きい。雑誌こそ書籍を含めた出版の多様性をテーマ的、人材的、機能的、そして経済的に支えてきたと思われる。視点を変えて、雑誌が消えてしまった場合
岐阜県立関特別支援学校 神山忠 こうやま・ただし はじめに ディスレクシアという言葉はどのくらいの知名度があるでしょうか。この機関誌でも目にするようになりましたが、一般的な知名度はまだまだだと思います。ましてや図書館で働かれている方たちが、ディスレクシアの特性を持つ人たちの気持ちを察することはなかなか難しいのではないでしょうか。小さい頃から文字が読めなくて恥ずかしい思いをしたり、読みたくても読めなかったりするもどかしさは実感として持てないかもしれません。 よく「当事者」という言葉を耳にしたり、私自身も使ったりします。私自身ディスレクシアの特性があり、文字からの情報を得るのにはかなりの困難があります。ですからディスレクシアの当事者と言えます。しかし、私が困難を感じているのは私自身の問題なのでしょうか。極端な発想ですが、墨字にされた文字が存在することで困難が発生しているわけで、こうした環境でな
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