今たくさん来られても困る──東日本大震災後にそんな「ボランティア迷惑論」が広がっているが、本当にそうなのか 被災者のために何かしたいが、何をしたらいいのか分からない──東日本大地震から3週間以上が経つなか、こうした「善意のやり場に困った人」の話をよく耳にする。震災直後からひとり歩きし始めた「迷惑ボランティア」という言葉が、被災地に行って力になりたいという人を躊躇させているのだ。 実際のところ、今ボランティアが押し寄せたら、被災者にとって本当に迷惑なのか。関西学院大学災害復興制度研究所長の室崎益輝教授に、本誌・小暮聡子が聞いた。 * * * * * ──ボランティアを自粛する動きがあるが、実際のところ人数は足りているのか。 今回の被災地は阪神淡路大震災の何倍もの範囲に及ぶので、何倍ものボランティアが必要だ。にもかかわらず、ボランティアが集まってくるペースは阪神のときと同じか、もっと
日付がずれてますが、地震のせいでこの辺が移動して(ホント・・・数センチですが)時差が生じたということで(ウソ)。 さて、稲葉くんから暖かな言葉を頂いたのだが、ぼくはツイッタとマックとグーグルにいわれなき偏見を抱いており、またツイッタに適合的なデバイスたるスマホ、とりわけiphoneをもってない(今回も全くやる気のないソフトバンクモバイル=孫正義とは、一生契約しないと思う)ので、よーわからんのである。ま、それは措いておき、今日は、現地にいない「ヘタレ人文系インテリ」((c)稲葉くん)には何ができるか、考えてみよう。ちなみに現地にいる、ぼくのようなヘタレ人文系インテリは、避難所の受付をするあたりが適任(=自分)。 ぼくにいわせれば、 現地にいないインテリがするべきは、「インテリでしか出来ないこと」をすることである。インテリでしか出来ないこととは、来たるべき(近い、あるいは遠い)未来を構想し、提
島根県立大短期大学部教授 小泉 凡 再資源化が可能な廃棄物を資源ごみと呼ぶことは、すっかり社会に浸透している。ところで、文化についてもリサイクルの発想が始まっている。蓄積され、死蔵された未評価の地域文化を発掘して光を当て、観光や地域振興など本来とは異なる用途で社会的に活用しようというものだ。この考え方を実践究明しようという学問が文化資源学で、8年前に学会が東京で産声を上げ、筆者の勤務先の島根県立大短期大学部でも文化資源学を学ぶ環境が近年、整備された。 小泉八雲の生誕160年、来日120年に当たることし、この発想に基づいて、「八雲」を社会に生かす、さまざまな取り組みに携わった。 2008年に始まった松江ゴーストツアーは、八雲が著作でも紹介した松江の怪談を資源として観光に生かそうという試みで、闇の中を語り部の怪談に耳を傾けながら、約2時間歩くツアーだ。国土交通省(観光庁)の評価も得て、す
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