某所で友だちを募集したところ、こちらが希望したあれやこれやにビタイチかすらない中国産野菜(=喰えない)みたいな人間どもからコピペと思わしき寝とぼけたメールが大量に送信されてきた。概ね男。99%男からのメールだ。まったくおまえらちんかすときたら。真剣だったのに裏切られた気持ちでいっぱいです。確かにわたしは「できれば」と書いた。「絶対に」とは書いていないし「以上に該当する人以外はお断り」とも書いていない。「できれば女性」で「できれば既婚」で「できれば喫煙者」で「できれば時間にルーズ」で「できれば心持ち後ろ向き」で「できれば下戸」で「できれば適度に人の悪口が好き」で「できれば何事に対しても概ねやる気がない。だいたいの場面において非アクティブ」な人募集。ちなみにわたしは「ダイビングと旅行と映画鑑賞が趣味」で「韓国料理とタイ料理が好き」これが今回の書き込みだ。その書き込みに対して「はじめまして^^/
他人に「阿呆」と言う奴が阿呆である確率は、阿呆でない確率と半々である。「阿呆」と言われた奴が阿呆である確率もまた、阿呆でない確率と半々のように。そして「阿呆って言う奴が阿呆」と言われた奴が阿呆である確率と、阿呆でない確率も当然のことながら半々である。だが。「阿呆って言う奴が阿呆」って言う奴が阿呆である確率は100%だ。こいつが阿呆でない可能性はまったくない。なぜなら「阿呆って言う奴が阿呆」という言い草は、無限ループを生む思考停止の決めつけだからだ。 「阿呆」と言っただけでは思考停止にも決めつけにもならない。ほんとうに相手が阿呆な場合もあるのだから。もちろん「阿呆」と言われた奴が阿呆でない場合もあり、そのときは間違ったという部分では「阿呆」と言った奴が阿呆ともいえる。でも、必ずしも絶対に阿呆なわけではない。したがって「阿呆と言う奴が阿呆」は理論的におかしい。おまけに言ったそばから墓穴を掘って
「平気で嘘をつく人たち」には日常的に他人を、また自分も無自覚に欺いているおぞましい人々ばかりが登場するが、そのなかでも、もっともおぞましいのがある小学生の男児に関する報告である。この本の著者はカウンセラーで、自身のクリニックに託された児童のカウンセリングの様子を本書に納めているのだが、あるときそこへ自殺で兄を亡くした男の子がやってくる。男の子は慕っていた兄の自殺をきっかけに非行に走るようになったという。万引きで補導されたり、学校をさぼったりし始め、注意してもまるで改めようとしない。それまでは成績優秀な優等生だったが、成績もガタ落ちした。そこで学校は彼とその両親にカウンセリングを勧めた。突然の非行に頭を悩ませていた両親も、ぜひにとそれを快諾し、そして少年を伴い著者のクリニックに赴いた。渋々ながらもやってきた男の子は、しかし、頑なに口を噤んだ。回を重ねても彼の態度は変わらず、沈黙のカウンセリン
恋愛というのは人生の恥部であり、またブラックホールであると思う。なぜなら人は、とくに女は、恋愛をするとポエムを書く。抗い難いポエム欲が湧いてきて、ついつい綴ってしまうのだ。そう、ポエムを。詩ではなく、ポエムを。これはもう事故のようなものだろう。今までさんざんポエマーを嘲笑してきたわたしだが、そんなひねくれ者だって例外ではなかった。荒んだ人間も恋愛中のポエム欲には逆らえない。だから書いた。そうポエムを。こんなわたしがポエムを!手紙やメールや口頭で、わたしは過去、恥ずかしいポエムを吐いてきた。仕方がないではないか。だって恋をしていたのだもの。いかなる女もあの湧き上がるポエム欲には抗えない。どんなにとりすました女だって、きっと裏ではあんなポエムやこんなポエムを書いているはず。恋とは、ことほどさように滑稽で不細工で、気色が悪いものだ。 「天国からのラブレター」は、そんな人生の汚点、決して人様には見
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く