ちょっと真面目に書いてみようかなナウっ!という感じで、早速ふざけて書いてごめんなさいのセナです。皆さまお久しぶりです。 さて、下記のニュースがちょっと目を引きましたので、外から見た人間の感覚として考察記事でも書いてみようかなと。人材のミスマッチが世界トップレベル、つまりは必要な専門職がいないよー。という結果ですね。そらいないだろうよ(笑)という記事を今日は書いてみようと思います。 人材不足を示す「人材ミスマッチ」、日本は世界33カ国中ワースト2位 Haysの日本語プレスリリースはこちら IT系の留学と海外就職のサポートばかり何年もやってると、日本という国の良い所、悪い所等、色々自分勝手に考える癖がつきまして。まぁそもそもすべての物事には良い面と悪い面が必ず存在するので、結局のところそのバランスを考えつつ生活するしかないわけだから、どっちが良い、悪いという話はではないんですが、それでも言いた
旅ブログで紹介して有名になった青森県鰺ヶ沢の秋田犬「わさお」と。 写真は2011年6月に再訪したときのもの。 会社員として働きはじめて9年目ですが、「働くこと」について考えたり語ったりするとき、実はちょっと苦い気持ちになります。今のところどうにか続いてはいるものの、自分は働くことが決して上手なほうではない、というコンプレックスがいつも心の底にあるからでしょう。 わたしは大学の法学部を卒業後、在宅で司法試験の受験勉強をしていました。しかし、実際は熱意も能力も遠く及ばず受験に見切りをつけ、ブランクを抱えて就職活動をはじめ、入社したのが今も働いている会社です。 ふたつの居場所を持つことで進んでこられた メレ山メレ子という名前で不定期に文筆活動をしていますが、会社も職種も、文章を書くことや出版・編集とはほぼ関係ありません。大学生のころからネットで文章を書いていましたが、就職ではあえて無関係な仕事を
「Twitterのフォロワーがひとり減って、あれ、と思ったらインスタもひとり減ってて、2日前のLINEも既読にならなくて、あ、切られたって思ったの」 アイスココアをストローでぐるぐるとかき混ぜながら彼女は言う。「切られた」と私がつぶやくと、「うん。音信不通」と射抜くような目でこちらを見た。 よく陽の当たるテラス席だった。友人は彼氏が1年間の交際のなかで一度も怒ったことのない温厚な人だったこと、学生時代のバイト先の先輩であったこと、激務で鬱病を患ってからも変わらずに優しかったこと、ある日の電話を境に連絡がつかなくなったこと--をひとしきり話し終えたあと、通りに目をやって「きょう日差しやばいね。椅子すごい熱い」と笑った。 消えてしまう人、というのはどこにでもいる。 そのころの私は駆け出しのライターで、所属していた小さな会社の社長に指示されるたび、右も左もわからないまま取材先に出向いていた。 あ
お題「エンジニア立ち居振舞い」 自分は重箱の隅をつつかないというのを意識してる。 重箱の隅をつつく問題はコードレビューの現場でよく聞く。レビューの場で所詮「書き方レベル」の指摘が横行してしまうというやつ。 誰しも綺麗なコードを追求したい気持ちはあると思うし、自分もそうなんだけど、あまり良くないなと思ってやらない事にしてる。理由は3つ。 時間の無駄 指摘される側の精神衛生上よくない そもそも意味ない 細かい指摘でも修正してマージするまでには結構時間がかかる。コードを直し、手元でビルド・動作確認し、pushしてCIを回し、「修正しました」と報告し、LGTMが付いてやっとマージできる。このプロセスが日に何度も発生すると確実に時間を食ってしまうし、Nitsな内容を何度も何度も受けると精神的にも疲弊してしまう。それで生産性が下がってしまえばもっと大きな問題になる。 こうした指摘をしたくなる時、「コー
Webサイトのデザインは紙のデザインと異なり、技術的な制約が強く、特に最近は様々な環境(デバイス、ブラウザ、画面サイズ、屋内・屋外など)での閲覧に対応できることを求められます。そのため、戦略から要件、コンテンツ、機能と論理的にデザインを決めていくと、どこかで見たことあるような没個性なデザインになりやすいものです。(注:ここでいうデザインは視覚的なデザインを指します) マルチデバイス、マルチブラウザが進み、レスポンシブWebも選択肢の一つとして一般化した昨今では、Webデザインの没個性化はますます進んだ印象があります。例えば、Googleが公開しているマテリアルデザインのガイドラインを見ても、デザインのパターン化と属人性排除の思想を如実に感じることができます。また、データドリヴンなサイト改善を積極的に行っていくと、「デザインの個性」と成果に大した因果関係がないことを痛感します。 没個性なデザ
ソフトウェアのファーストフード化ソフトウェアを否定するものではありません。むしろソフトウェアは好きです。ソフトウェアの「開発」に焦点を当てた考察になります。そして、僕自身の仕事に対する姿勢というか、スタンスを述べるものになります。 自分の仕事を思考する僕は最近、深い森に入るように仕事について考えることが多くなってきて、考えたことを誰かに話したり、こうやって文章として残したりしています。先日もUI Crunchというイベントにも登壇させていただき、「いい仕事」についてお話しさせていただきました。スライドはこちらです。https://speakerdeck.com/kwmt/iishi-shi-wosiyou 驚くほどに反響があり、自分でもびっくりしています。仕事に対して抱く感覚は人それぞれだと思いますが、僕なりには解釈ができるようにちょっとだけ熟してきた気がします。 ソフトウェアのデザインを
外国人の飲み会っていったいどんな感じなのだろうか? 世界と日本における飲み文化の違いを、筆者(シマヅ)が探っていく企画、第5弾。 過去のアメリカ編、台湾編、ベトナム編、スロバキア編でも、意外とわたしたちが知らずにいた「飲み文化」を知ることができた。 今回、紹介するのはスペインの飲み文化。 「スペインって知ってる?」って聞かれたら「当たり前でしょ!」って答えたくなるけど、企画を進めるにあたりちょっと調べてみたところ、分かったのは人が陽気、サッカー強い、フラメンコ踊る、ごはんがおいしい、くらいで、具体的なことはよく分からなかった。 知っているようで全然知らない国、スペイン。 でも「陽気な人」と「おいしい料理」で盛り上がるのがスペイン飲み会なら、きっと楽しいはず! なんだか豪快なスペイン 今回協力してくれたのは、カルラさん。 10年ほど前に留学生としてスペインから来日、現在はスペイン語・日本語・
「責難は成事に非ず」という言葉がある。これは、読んで字のごとく、「他人の誤ちを責めても物事は成し遂げられない」ということだ。 見た感じ、中国古来の格言とかのように見えるが、小野不由美のライトノベル「十二国記」シリーズの短編集「華胥の幽夢」の中の一遍に出てくる登場人物・砥尚の言葉だ。2001年くらいの本なので、故事でもことわざでも何でもないのだが、十二国記シリーズには、ラノベのくせしてこういう大事な言葉がちょこちょこ出てくる。アニメ版を嫌がる息子に無理矢理見せる程度にはバイブルだ。 もっとライトな言い方をすると、否定だけしても何も生まれない、みたいなことになる。よく会議なんかで言われる「否定するなら対案出せ!」とかにもまあ通じる。この砥尚という人物は、前の王の政治を否定して革命を起こし、自分が王になるのだがその後のビジョンを示すことができず行き詰まった結果、この「責難は成事に非ず」という言葉
低下するライティングスキル 私たち日本人は、文脈や背景の定義を必要とせず「相手を察すること」で疎通を図る「ハイコンテキスト」なコミュニケーション文化だと言われています。LINE や SNS でも短いテキストで会話が成立することは日常です。手書きからメールへ、そのメールは今やチャットに代わり、テキストの発信はどんどん増えています。 一方で、語彙力やライティングスキルが低下していると感じることはないでしょうか。記事のコピーペースト氾濫、分かりにくい文章表現、何かを PR する長文が書けない──。こうした問題はデザインやエンジニアリングの職域に関係なく、成果の質を下げているかもしれません。 ライティングは UI であること Basecamp や Campfire を展開している 37signals による『Getting Real』の中では ”Copywriting is Interface D
2016 - 05 - 26 「会社がうまくいかないと人が離れていくのはなぜなのか」 こういうことってあるよね このスタートアップ界隈。表面的に見えてくる部分は華やかですが、どこの会社も誰もかれも「うまくいかない時期、瞬間」はありますよね。2013年末から界隈にいる自分も、まわりの多くの人の苦境をみてきましたし、少なからず自分もいくつか体験してきました。 例えば、 ・お金がなくてりんご飴で生活してました ・めざす方向性の違いを理由に、 共同創業者が 他会社に就職してひとりになった ・サービスが伸びずにいたら大資本が同じサービス被せてきた など。....あと200個くらい思いつきそうです。w 自分個人が2015年に体験したことは ・友達・知人だと思っていた人からメッセージが返ってこなくなる ・友達・知人だと思っていた人から会合なりの誘いが一切こなくなる ・友達 ・知人 から「きっとうまくいか
以前はただ、新しいものを受け入れるのは億劫でそもそも興味がわかない、ということだと思っていた あんな新しいものどう扱っていいかわからん、気が進まん、という風に しかしそれは違った 自分は今まさにおっさんに近づいているが、元来変わったもの好きだし、幸い新しいものにまだ興味はある、意欲もある にもかかわらず敬遠してしまう その理由は、新しいものが「新しく見えない」からだ 若い人にとっては新しい興味をひくモノ、しかし長い時を歩んできたおっさんからすれば「昔そういうのあったな」という風に、たぶん脳みその構造上、自分の過去の経験に照らし合わせて、似たようなモノにうまくカテゴライズしてしまうんだろう そしてその「はいはいまた焼き直しね、ちっとも進歩ねーな」的知ったかぶりの態度こそ、若い世代からすればわけのわからん難癖つけて結局手を出さないおっさんそのものに見られているのだ 歳を重ねるにつれて「新しく見
40歳になってしまった。 1年という単位は、太陽とか地球とかの天体運動がたまたま決めていることで、40年も然りだし、10進法だってよくよく考えると結構適当な概念な気もする(実際問題、私たちは10数えたら桁が増えることに慣れてるだけでしかない)ので、これを節目と捉えるのは自分以外の何かの都合のような気がしてならないのだけど、他の何かと比較するには便利な指標だ。 普通に考えると人生半分以上は経過したといえる。運が良ければ人生の半分程度生きたことになるのだろうし、運が悪ければこの文章を書いた後に突然死してもおかしくはない。 40年どうにか生き残ったことだけは間違いない。40前に死んだ人よりは長生きしたし、これでやっと、40年生きるとはどういうことなのかを体験できる。 ところで、私は何のために生きてるんだろう? 今これを書いている私は、それなりに複雑な状況の中にある。 究極の選択を前にして、途方に
製品にはターゲットとなるユーザーを決めましょう、というお決まりのベストプラクティスがある。あらゆる本にそう書いてあるから、そうしたらよさそうなのはわかりきっているんだけど、実際にそれをやるとなにが起こるのか、また、それでどの程度効果があるのかは、本を読んだだけでは絶対に知ることができない。自分でやってみて、ああやっぱりうまくいくんだなとか、思ってたのと違うぞ、と実感することが大事だと、特に最近しみじみ感じる。だから、自分でやってみて、実感したことをこれから書く。 それで、ターゲットユーザーというとなんとなくよそよそしいので、ええと20代男性で、週末はバーベキューが趣味で、などと、なんとなく決めてしまう。これだと、よそよそしいままの、ふわふわしたターゲットが完成する。このやり方では、本当にそんなやつが実在するのか確証がないので、本当にそいつが製品を使うのかも確かめようがない。そうではなくて、
うちの会社が開発会社なのと会社名からちょいちょいサービス立ち上げの相談を受けます。そこでどういったサービスを立ち上げるのかなど色々お伺いしていくんですが、結構な確率でお断りすることが多いんですね。その際に 「それ、開発しないほうがいいですよ」 と伝えさせてもらってます。うちは開発会社なので、仕事として請けたほうがメリットも大きいんですが、多分結果誰も幸せにならないだろうなーと思って止めさせてもらってます。 割と同じような話を何回もさせてもらっているので、今回は改めてまとめてみたいと思います。 開発はお金がかかる まず、ここの認識を持ってもらいたいのですが、開発をはじめてしまうと非常にコストがかかるんです。今時はサービスを立ち上げる場合、ローンチして終わりではなく、継続して改善し続けないと成長しないどころか立ち上がってもきません。ですのでリーンスタートアップにも書かれているように小さく立ち上
2015-08-18 世の中のエンジニアの大半は「できないエンジニア」 感想文 なんでもない話 エンジニア Tweet なるほどな〜と考えさせられるのだがどうしても気になってしまう。 101回死んだエンジニア: 業務時間外で勉強をしなければいけない理由 日々学び続けないと人として腐るからだ。これに尽きる こんなふうに言われると、じゃあやってない人は人として腐ってんのかよ…と思ってしまう。たぶんこのエントリを書いたAnubisさんは「自分の場合は」というニュアンスを込めているとは思うし、そんな嫌なものは感じない。だけど風潮として「エンジニア勉強すべし!しない奴はクズ」みたいなのは明らかにあると思う。言葉が強いからか、少なくとも目立ってはいる。*1 僕は「できるエンジニア」の評価基準でここまで言ってしまうことに強い違和を感じている。 確かに勉強している「できるエンジニア」はユーザーにも同僚
ここ最近、海外でも日本でも「ウェブの将来は明るくない」という話題をちらほら目にするので、1990年代後半からウェブ制作をずっとやっている自分としては「ウェブ制作という仕事に未来はないのかぁ。そうなのかぁ。。。」と、少し憂鬱な気持ちになっています。 別にそれらの話を鵜呑みにして同意しているわけではないんですけどね。 ということで、これを機に頭の中でモヤモヤしていることを、一度整理して書き留めておこうと思います。こういう未来予想的な内容は10年後に読み返してみたら面白そうですしね。 10年後の自分: 「全然ちがってたっ!恥。。。」みたいな感じでw ウェブは「もう、ダメ。。。」なのか? 「ウェブはもうあッか〜ん」というプレッシャーを感じているのは僕だけですかね? 僕が感じている風潮を、大雑把に、ちょっと大げさにまとめてみると以下のような感じです: ついにスマホ全盛期が到来!これからは、モバイルフ
大きめのこととか,自信のないところを触るときは,コード書く前に,こういう作戦考えてみたけどどうですかって聞いてみたり,こういうことやりたいんだけど一緒に考えませんかって,いっしょに話して設計考えたりするとよいと思う. 一緒に考えたすぐあとに気が狂った設計とか言い出したらおかしいので,未然に変な設計のままコード書いてしまうのを防げる. 特に辛い気持ちになるのが、「気が狂った設計」「クソコード」「(こんな実装は)有り得ない」といった言葉だ。 Pull Requestのレビューが辛くて会社をやめたい 単に言葉が強いのはよくないと思う.我が社にはそんな強い言葉でレビュー書く人はいない. 我が社には,普段から強い言葉を発する人もいなくて,みんな物腰柔らかな変な言葉を話している. 言葉使いや文体は,ずっと過ごしてると同僚から移ったりするので,普段からそういう言葉を話していると,全体の雰囲気も悪くなりそ
批判ではなく批評 個人プロジェクトでない限り、公開前に誰かにデザインを見せる機会があると思います。相手はクライアントかもしれませんし、同僚・上司なのかもしれません。デザイナーの中には見せるのを躊躇している方もいるのではないでしょうか。知恵とスキルを出し切って作り上げた子供のような存在なので、万が一批判されたのであれば自分自身も批判されているように感じるのではないでしょうか。IDEOの Time Brown 氏が TED の講演で「デザインはデザイナーだけに任せるには重要過ぎる」という言葉を残しているとおり、デザインを皆で考える機会を作るべきです。デザイナーは早い段階から他の誰かとアイデアを共有するべきですが、会話が批判的なものになりすぎているのであればデザイナーも積極的に参加もしてくれませんし、デザインを前提とした会話にはならないでしょう。 「この色は違う」「使いにくそうだ」「分かっていな
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