ドイッチュラント級装甲艦の3番艦で[2]、前弩級戦艦「ブラウンシュヴァイク(ドイツ語版、英語版)」の代艦[3]。第一次世界大戦の敗北によって軍備を制限されたドイツにおいて、ヴァイマル共和政におけるヴァイマル共和国軍(de:Reichsmarine)が、ヴェルサイユ条約の軍備制限条項の範囲内(排水量1万トン以下)に収めながらも強力な軍艦として建造した艦船である[4][5]。 就役はドイツ再軍備宣言の1936年1月で、ドイツ国防軍が運用した[注釈 1]。 英海軍はこれらの軍艦を、小粒であるが強力であると認め、ポケット戦艦(豆戦艦[3]、袖珍戦艦[2])とあだ名した[6]。本艦は第二次世界大戦初期の大西洋~インド洋における通商破壊作戦で活躍したが[7]、1939年(昭和14年)12月13日のラプラタ沖海戦でイギリス巡洋艦3隻と交戦して損傷[8]。ウルグアイのモンテビデオ港に追いつめられ[9][注
![アドミラル・グラーフ・シュペー (装甲艦) - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b5b13c0d6bad0e8b54f9f65521640ff350e9ce89/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fb%2Fb0%2FBundesarchiv_DVM_10_Bild-23-63-06%252C_Panzerschiff_%2522Admiral_Graf_Spee%2522.jpg)