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2012年7月14日のブックマーク (8件)

  • 友達 たくさん つくれ | quipped

    1999年11月、中学校を退学して渡米するぼくのために、当時の担任の先生が、クラスメート全員から寄せ書きを募ってくれた。30センチ四方の色紙の真ん中に「飛翔」と書かれており、それを囲むようにクラスメート42人が縦書きでコメントを寄せてくれた。14歳のぼくは心底感動し、渡米まもなくの頃は、しょっちゅうその寄せ書きを眺め、右も左もわからない英語圏での生活と戦う心の糧にしていた。 それでも人間なんて勝手なもので、徐々にアメリカでの生活に慣れ、次第に色紙を眺めることも少なくなった。正直、誰が何を書いてくれたかも殆ど覚えていない。が、一つだけ鮮明に覚えているコメントがある。それが、M君が書いてくれた だ。中央に書かれた「飛翔」という言葉もそうだが、寄せ書きの多くは「アメリカに行ってもがんばれー」といった僕を勇気づけるものだった。もちろんそれはそれでありがたかったのだが、そんな中でM君のコメントは、よ

    elm200
    elm200 2012/07/14
    いじめ対策法「友達 たくさん つくれ」。友達関係を「冗長化」せよ、と。ただ私の経験から言って学校で激しくいじめられると精神的に消耗し切ってしまい、学校の外で友達を作る気力がないことも。
  • 大学というビジネスモデルとカーンアカデミー(教員免許 修士義務化に思う) - ゴムホース大學

    興味深い記事を見つけた。 教員養成 修士義務づけを http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120626/k10013104121000.html 教員免許取得の要件に学部4年+修士2年(計六年)の要件が検討されているらしい。学校の先生になるにも、ますます高いお金と時間をかけないとなれない仕組みになりつつある。 多くの子供にとって、もう学校の先生になるというのは学力より経済的問題になるのかもしれない。教員免許取得の今回の要件は、今ある大学院の生存の為だけに作られた仕組みのような気がする。よく考えれば法科大学院、薬学部六年生、今に始まったことではないが・・・。 これから貧しくなる時代、多くの世帯にとって『大学進学』は金銭的に困難となってくるのではないだろうか。 今の大学の学費は、終身雇用、年功序列の昇給、退職金など高度成長期からの安定安泰のレールを親世代が全うでき

    大学というビジネスモデルとカーンアカデミー(教員免許 修士義務化に思う) - ゴムホース大學
    elm200
    elm200 2012/07/14
    大学という仕組みが、世界的に一斉に賞味期限を迎えているのは、偶然ではないと思う。私もエルム・ラボという取り組みをしているが一番重要で難しいのは「大卒でなければダメ」という社会通念が変わることだろうね。
  • なぜあなたはミスをするのか?/非効率なホワイトカラーと21世紀に求められる人材 - デマこい!

    人は労働生産性が低いという。特にホワイトカラーの仕事の効率化が急務だと言われている。「働き方を変えるべきだ!」と啖呵を切る人は多いけれど、ではどのように変えればいいのだろう。具体的施策はおろか、方針すら見つけられずにいる。 また、現在の教育の形態は18世紀からほとんど変わっておらず、とっくに制度疲労を起こしているという。情報技術の発達により「知のあり方」が変わったと言われている。だから教育も変わらなければ……と訴える人は多いけれど、ではどのように変えればいいのだろう。なんとなくのイメージではなく、明快な方針を見つけなければいけない。 端的に言って、今までの学校教育は「ミスしない人」を育てるものだった。各企業の人材育成も、その延長線上だった。日ではミスをしない人ほどいい職に就くことができ、ミスをしない人ほど高い地位へと出世できた。受験や成績考課だけではない、教室や職場での人間関係でも「

    なぜあなたはミスをするのか?/非効率なホワイトカラーと21世紀に求められる人材 - デマこい!
    elm200
    elm200 2012/07/14
    『「ミスしない人」の価値は暴落した』まさに。あと日本のホワイトカラーの生産性が低いのは、責任分担が曖昧で同僚間の意思疎通に時間を使い過ぎだから。責任分担をはっきりさせることが重要。
  • 学校があるかぎり、いじめはなくなりません - デマこい!

    重要なポイントは、大人も「いじめ」をするということ。 いじめは、あらゆる年齢層のあらゆる集団に存在している。にもかかわらず、いじめを学校の問題として語るのは、問題の矮小化にほかならない。いじめは子供だけの問題ではない。この社会に生きる私たち全員の病痾だ。 いまの学校は強制収容所だ。行きたくもないのに早起きをさせられて、会いたくもない連中と薄暗い部屋に閉じ込められる。学校に「通わせる」こと自体が、子供に対する人権侵害なのだ。学校に通わせることと、教育を受けさせることとは違う。現在はたまたま重なっているだけで、学校に通うことを強制する理由はない。 学校に行かないと社会性が身につかない――と、危惧する人もいるだろう。では、社会性(笑)を身につけた大人たちがどんな世の中を作っているのか。どんな生き方をしているのか。私たちが「社会性」だと思っている行動原理は、たぶん構造的にいじめを生む。 そんな社会

    学校があるかぎり、いじめはなくなりません - デマこい!
    elm200
    elm200 2012/07/14
    私も声を大にしていいたい。「行きたくない学校には、行かなくていいよ」。いじめの被害者たちは、学校以外の場所で学んで行けばいい。いまの形の学校があるかぎりいじめはなくならない。
  • 「わたし」の正体について - デマこい!

    「わたし」が生み出された脳の神経系は遺伝子の集合的帰結であり、「わたし」を育てた社会は意伝子の集合的帰結であり、あらゆる「わたし」の判断・意志・思考は「誰か」と「誰か」の総和で、つまり「わたし」は個であると同時に集合で、断片であると同時に連続体で、孤独であると同時ににぎやかなのだ。 ◆ 自然主義的に言って、この宇宙には善も悪も存在しない。我々が観測できる世界にシスはいないし、荒廃の王もダークファルスも存在しない。モノはモノとして、情報は情報として、ただそこにあるだけだ。それらを善と悪とに振り分けるのはヒトの主観だ。 したがって誰かの「正義」を否定するのは、他の誰かの社会的に合意された「正義」だ。ハイジャックした飛行機でビルにつっこむ「正義」もあれば、戦争捕虜を虐待死させる「正義」もある。原子炉を爆発させたことに責任を負わない「正義」もあるだろう。ただし、それらは社会的に認められない。 「正

    「わたし」の正体について - デマこい!
    elm200
    elm200 2012/07/14
    世界から分離された「わたし」という感覚はどうやら左脳で作られるらしい。左脳に損傷を受けた人の体験談が大変興味深い→http://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight.html
  • 権力と煙は高いところが好き?/空を仰ぎながら「支配」について考える - デマこい!

    ある社会でもっとも背の高い建物を見れば、その社会がなにに支配されているのか分かる――。これは神話学者ジョゼフ・キャンベルの言葉だ。中世ヨーロッパの街なら教会の尖塔、現代の都市なら商業施設、ニューヨークなら金融業者のテナントしたビルだ。科学的根拠はないけれど、なかなか示唆的でおもしろい話だと思う。 たとえば奈良時代の日ならば、東大寺の大仏殿が思い当たる。当時の施政者は宗教の力で国を支配しようとした。 また、かつて江戸城には勇壮な天守閣があった。しかし明暦の大火(振り袖火事)で焼失し、以降、再建されなかった。冲方丁の小説『天地明察』では「天守閣のない江戸の空」が、新しい時代の象徴として描かれている。言うまでもなく天守閣は軍事施設だ。戦の時代の象徴だ。開府から54年、天守閣が消えたことは、天下泰平の世が揺るぎないものになった証拠だった。そして江戸の町は火の見やぐらの時代へと突入していく。 背の

    権力と煙は高いところが好き?/空を仰ぎながら「支配」について考える - デマこい!
    elm200
    elm200 2012/07/14
    「ある社会でもっとも背の高い建物を見れば、その社会がなにに支配されているのか分かる」…なるほど。確かにそんな気もするね。現代社会は高層ビル=大企業に支配されているわけだ。
  • いじめっ子といじめられっ子を生み出すもの - 狐の王国

    昨今なにやらいじめ問題が盛りあがってるせいか、ときおり以下のような発言を見掛ける。 ブログの炎上に関して、炎上する記事を書いた側がいけないと思う人は、いじめられる側がいけないと思う人と大差ない。なぜなら、炎上というネット上のいじめを容認し、責任をいじめられる側に押し付けているのだから。 Twitter / hosotaka: ブログの炎上に関... 特に被害者と加害者が存在する事案については、被害者側の責任について物議をかもすことがある。そういった議論のなかでは、こういう見解はわりと普通に見られる。 けどこれは間違ってる。たとえ犯罪であろうともそれを実行した加害者に、一方的に責任を押しつけてるだけだからだ。 感情としては理解できるが、まず間違いなく通らないし、通らないということは意味をなさない意見だ。こういう類の意見は政治的な意味はあるかもしれないが、まじめに議論するようなものではない。

    いじめっ子といじめられっ子を生み出すもの - 狐の王国
    elm200
    elm200 2012/07/14
    これはめちゃくちゃ賛同。いじめられっ子には「逃げる」権利が与えられるべき。学校に行かなくても教育を受けることはできる。イケダハヤトさんのこのエントリーにも通じるものが→http://ow.ly/ceFEN
  • 謝罪の美徳と日本社会の閉塞感|まだ仮想通貨持ってないの?

    謝罪というものについて、思考を巡らせました。 「謝罪圧力」 photo credit: Lawrence OP via photo pin cc 特に欧米に滞在した経験がある方のお話を伺うと、「日人はすぐに謝る」という意見が出てくることがしばしばあります。先ほどもこんなツイートを頂きました。 @IHayato 日人の謝る文化に慣れると海外ですごく戸惑うことになります。相手が謝らないだけでイライラしてしまう。でも謝らない文化というものも当然あるんですよね。逆に英語圏の人に簡単にI’m sorry. というと何か悪いことをしたのかと思われてしまいます。 — ayako katoさん (@ayakok2) 7月 13, 2012 日人は「罪(否)を認め、謝る」という行為にある種の美しさを感じているようにも思います。それは「和を以て尊しとなす」の価値観に根ざした、穏便な社会を作るために培われ

    謝罪の美徳と日本社会の閉塞感|まだ仮想通貨持ってないの?
    elm200
    elm200 2012/07/14
    欧米に限らず世界中でこんなにすぐ謝るのは日本人だけだね。事実関係の解明や再発防止策の提示の前にとにかく謝る。謝罪が受け入れられれば、責任の所在は追究されず、全てがうやむやに。