自民党はその「生まれ」を問題視し、GHQに「押しつけられた」と訴えてきた。「押しつけ憲法」論だ。2012年にまとめた党改憲草案を対外向けに紹介する冊子でも、「主権が制限された中で制定され、国民の自由な意思が反映されていない」と批判した。 ただ、制定までの道のりをみると、そう単純な話ではない。 日本政府の憲法問題調査委員会(委員長、松本烝治〈じょうじ〉国務大臣)がつくった「試案」を毎日新聞がスクープしたのは、46年2月。天皇の統治権を記すなど、戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)とほとんど変わらない内容だった。 日本政府に民主化をもとめていたGHQはみずから20人あまりで草案づくりを開始。9日後に英文の草案を松本らに手渡した。明治憲法で主権者だった天皇を「象徴」に位置づけ、国民主権を明記。新たに「戦争の放棄」をもりこんだ。 日本政府は、このGHQ案をふまえて政府案をつくったが、前文をけずるなど大
![(教えて 憲法)GHQに押しつけられたの?:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/44304f7fe7924d95e465b02296dd0d93ce22f0e1/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Farticles%2Fimages%2Fc_AS20180215004968_comm.jpg)