Help us understand the problem. What are the problem?
2話の途中、くるみが殺したゾンビがドアの向こうにころがってる所でギブアップした。 まず「日常系」というジャンルについて。 村上龍はかつてすべての小説は「人間が穴に落ちる」「穴からはいあがる/穴の中で死ぬ」という話型でできていると道破したことがある。 日常系というのは、本質的に、この「話型」から逸脱している。そんなものが、商業作品として成立しているというのは、実はけっこうすごい事なのだ。 でもまぁ、日本人なら、「日常系の元祖って何よ?」とかって問われたら、たとえば「枕草子」とか、「徒然草」のようなものが挙げられると思う。これらの作品にも「話型」に準じる部分もあるだろうが、本質はそこではない。 要するに、日常系の本質っていうのは、「詩」「ポエム」なんだろう。 では、「がっこうぐらし!」は、というと、「日常系」のフォーマットの中で「非日常」を語る、という手法が特徴なのだな。 ふつう、ゾンビが出て
いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。 ▪コスト感覚を語らせる前に エンジニアとして仕事をしていて「コスト感覚を高めろ」という話をされた事はないだろうか。私のいた現場では、たまに朝礼の話題に上がったりした。だが、内容を要約すると、「お前らの給料高いから、安い値段でいっぱい仕事しろ」ということだ。思えば失礼な内容だ。 コスト感覚については、あくまで常識の範囲内で十分だと考えている。どうやって儲けるかは別セクションの人が考える問題だ。情報提供をして話し合うなら分かる。だが、なぜ技術プラス損益の責任まで負う必要があるのだ。営業に強引に技術をやらせるのと同じだ。部署を分けてる意味が無くなる。 もう一つ、キャパシティー的な問題がある。人一人のキャパシティーは限られたものだ。得手不得手もある。コスト計算の技術とIT技
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